第46話 到達
――俺は、全てを思い出した。
俺の前世は、日本という国に住む、井上拓真という名の男だった。
早くに父親を亡くし、病気をもった母の介護と仕事に明け暮れていた。その気晴らしに、ゲームや漫画・小説など、様々な娯楽に没頭する、そんな人間だった。
だが井上拓真には、前世があった。
それが、異世界ファナードのエクペリオン王国、国王レオン・メオール・エクペリオン。
エデル王国との政略結婚で嫁いできたアリシアに恋をし、心を通じ合わせて本当の夫婦となり、可愛い娘と、アリシアとの間にもうけた息子の四人家族で幸せに暮らしていた男。
そして、アリシアに取り憑いた狭間の獣によって、妻も娘も息子も、国も世界そのものも失った、男――
訳が分からなくなるから、アリシアと夫婦だった前々世のレオンを、旧レオンと呼ぼう。
女神となったアリシアの涙に導かれ、全てを知った旧レオンは、愛する家族を、妻を救う方法を見つけるべく、ファナードの副管理者という女神に頼んで、副管理者の世界――井上拓真の世界に転生した。
旧レオンの記憶を全て失い、拓真として三十年ほど生きた彼は、突然雷に打たれて死んでしまう。
目覚めた井上拓真は、ファナードの女神と出会い、彼女のミスで殺されてしまった詫びとして、エクペリオン王族に転生させること、チート能力を授けることを約束させた。
女神は了承し、だがすぐにはチート能力を授けずに、拓真を送り出した。
本当の故郷、異世界ファナードへ。
……いや、連れ戻すにしても、雷で打つことなくないか? まあ、ストレスで云々な部分は、フェイクだったとしてもだ。
俺が、気に食わない奴を雷で殺せるかって聞いたから、そいつの印象が残っていたのか?
まあ、トラックに轢かれるよりかはいいけど。
旧レオンの記憶まで取り戻した今なら分かる。
何故、魔法の鏡に扮したアリシアが、チート能力でただ狭間の獣を祓うだけでは駄目なのだと言ったのか。
何故、狭間の獣を祓うチート能力を授けて貰おうとしても、俺が願うことを躊躇ったのか。
駄目なのだ。
ただチート能力で、狭間の獣を祓うだけでは。
この時間軸の狭間の獣を祓うだけでは――
アリシアは井上拓真に、彼が望む力【チート能力】を授けると言った。
拓真はあのとき、チート能力で無双して、美女や美少女に囲まれてウッハウハなイージーなスローライフとか思っていた。
だが違うんだ。
俺が願うべき力は……チート能力は始めから決まっていた。
決まって、いたんだ――
それなのに俺は……
「レオン、怒って……いらっしゃいますか? 私があなたの記憶が戻るのを待たず、あらゆる時間軸の
そう問うアリシアの声は、若干震えていた。
アリシアは、自身を犠牲にすることや、卑下する発言をすることを、俺が嫌っているのを知っているからだ。
しかし、
「……いいや、怒ってはいない。ただ、自分の不甲斐なさが情けなくて堪らないだけだ。あれだけお前に大見得を切っておいて、このザマとは……」
目の前の狭間の獣の対処だけのために、チート能力を望み、無駄なやり直しをずっとずっとアリシアにさせていた。
繰り返した時間軸の記憶が思い出せないはずなのに、戦いの際に身体が動くほど、何度も何度も……繰り返した。
彼女が再び絶望し、自身の半身を唆してファナードを救おうとしたことを、責める資格が俺にあるのか?
アリシアは俺の言葉に、強く首を横に振った。
「いいえ! ファナードに戻ったあなたは、何度も井上拓真の記憶――前世の記憶を取り戻しました! そのたびに、リュミエールが魔法の鏡と会話している噂や、ビアンカが白雪姫と呼ばれていることを、井上拓真の世界に存在する【白雪姫】という物語と重ね、邪纏いの鏡に行き着きました! そして最後には、狭間の獣を祓うためにチート能力を望み、獣を祓ったのです‼」
「だが……それはゲームで言うと、ノーマルエンドだ。トゥルーエンドじゃない。今の今まで、世界は滅びを繰り返してきたんだろ?」
「で、でも、あなたは私との約束通り、どの時間軸でも一生懸命戦ってくれていました! 家族のために‼」
「しかし、結果は出なかった。お前が、
アリシアは、俺との約束を信じていたはずだ。
信じて、何度も何度も世界をやりなおしたはずだ。
だが、俺は思い出さなかった。
一度希望を抱き、裏切られた絶望は、計り知れない。
アリシアが、全時間軸に存在する狭間の獣を祓う可能性をあげるために、半身を殺そうと考えてもおかしくないのだ。
家族を守りたいがためだけに、この厄介な世界を譲り受けた優しい彼女ならば――
そしてその性格は見事といわんばかりに、半身であるリュミエールにも引き継がれている。
でなければ、邪纏いの鏡に扮したアリシアから全てを教えられ、俺とビアンカを救う為に悪女となって処刑されようだなんて考えない。
「何故、全てを伝えられた?」
「えっ?」
「何故アリシアはリュミエールに、狭間の獣の情報を伝えられた? 女神も邪纏いと同じく、世界の制約に縛られているんだろ?」
ふと思い浮かんだ疑問を口にする。
世界の制約によって、女神は世界に干渉できない。出来たとしても言葉を伝えるぐらいで、それすらまともに出来なかったはず。
アリシアは、ああそのことか、と言わんばかりに肩の力を抜いた。
「
「自分自身に伝えているから問題ないってことか?」
「その通りです」
「それなら、何故リュミエールに真実を伝えなかった? 俺に、全ての時間軸の狭間の獣を祓う力を願えと言ってくれれば……」
「それを伝えることを、世界が許さなかったからです。あなたも、前世の記憶があることを、魔法の鏡以外には誰にも明かさなかったので」
くっそ、そういうことか。
もし俺が前世の記憶を持っていて、チート能力を授けて貰えるという話をしていれば、もっと早くトゥルーエンドにたどり着けていた可能性があったってことか。
ぐぬぬ。
「あと、ビアンカは死に戻りではないんだろ?」
「はい。あれは、ビアンカの魂の結晶内に蓄積された、別の時間軸の記憶がたまたま続けて思い出しただけなのです。蘇った記憶が鮮明だったせいで、時間が巻き戻ったように感じていたみたいですが」
だから、一回目と二・三回目のリュミエールの行動や様子が、違ったんだな。
時間軸自体が違ったから。
色々と謎が解けていくが、俺の後悔が溶けることはない。
だが、アリシアは手を伸ばして俺の手をとると、自身の胸の前で包み込んだ。
俺の手が温もりで包まれ、潤んだ青い瞳がこちらを真っ直ぐ見据える。
「……ですがあなたは……思い出してくれました。こうして――」
アリシアの優しい声が、俺の心に一筋の光をもたらした。
瞼を閉じた彼女の瞳から零れ落ちた涙と、春を思わせる温かな笑顔によって、俺の鳩尾辺りに鎮座していた鉛のような何かが溶けて消えた。
「真実を知ったあなたは、いつも私に同じことを言いました。『俺は、決して諦めない』と。その言葉が、何度私の弱い心を導いてくれたのか分かりません。ありがとうございます、レオン。諦めそうになった私を、あなたが何度も救ってくださったから……私たちはここに辿り着くことができたのです」
「そう、か……」
「はい」
心の底から頷くアリシアに対し、俺はそれ以上何も言えなかった。
彼女は自分が弱いと言う。
確かに、自身を卑下したり、自分を犠牲にしようとするなど、自分を軽視している部分がある。
だが……とても強い。
俺なんかよりも、ずっとずっと――強い。
その強さの源は、俺やビアンカ、そして失ってしまった息子――家族への愛だ。
彼女への愛おしさで、声が詰まった。
だがそれ以上の想いが、たった一つの言葉となる。
「ありが、とう……」
「いいえ。私も、申し訳ございませんでした。自分で自分を傷つけるなと、あれほどあなたに言われていたのに……」
「ああ、そうだな。俺も、お前の心の傷を完全に癒やせたのだと過信していた。全てが終わったら、ビアンカと一緒に、お前の良いところをたくさん伝えてやらないとな」
そして、自分を卑下する暇などないくらい、彼女が大好きなキメ顔を見せてやって、一緒に過ごして、照れて表情筋がドロドロになるような言葉を雨というか滝並みに浴びせてやって、もっともっともーーーーーーーーーーーーーーっっっっっっっと、愛してやらないとな‼
「……何か良くないことを企んでいらっしゃいます?」
「ん? いいや?」
だって愛することは、良くないことじゃないだろ?
ってことで、心の底から否定してやる。
アリシアはまだ疑わしそうな目でこちらを見ていたが、一つ息を吐くと俺から手を離し、表情を真剣なものへと変えた。
「さあ、行ってください。今この瞬間も、他の時間軸の狭間の獣が目覚めようとしていますから。そしてどうか救ってください。私の半身を……」
「ああ、もちろんだ」
「それと……狭間の獣は、強力な一手を隠しています」
「強力な一手?」
「結界内に、膨大な数の雷を呼ぶと同時に、巨大な剣で辺り一帯をなぎ払う攻撃です。ビアンカの力で防御結界を張ればいいのですが、いつその攻撃をしてくるのか分かりません。予備動作もないので」
予備動作がないのか。
それにアリシアの言葉から察するに、狭間の獣が俺にその攻撃をあまりしていないから、身体が攻撃パターンを覚えているってわけでもなさそうだしな。
厄介だな、それは。
「分かった。心しておく。まあ、そいつを使わせる前に、俺が倒せば良いだけの話だ」
「気をつけてください。別の時間軸のあなたは、それで何度か殺されていますから」
なにそれ、めっちゃこっわ‼
だがここまで来て、怖がっている場合じゃない。
ようやくここまで辿り着いたのだ。
何をすべきか分かった今、もう失敗は許されない。
このチャンスを逃せば、次はいつ俺が旧レオンの記憶まで思い出せるか分からないのだから。
もし失敗すれば、今度こそアリシアは絶望し、ファナードを枯らして、その後悔を胸に生きていくことになる。
……絶対に駄目だ、そんなこと。
愛する妻が、後悔しながら死んだように生き続けるなんて、想像しただけで胸が苦しくなってしまう。
もうこれ以上、アリシアに苦しい想いをさせたくない。
リュミエールを苦しめたくはない。
ビアンカを悲しませたくない。
俺は決意を固めるとアリシアに近付き――唇を重ねた。抱きしめた彼女の身体が一瞬だけ緊張し、すぐに俺に身を預けるように力を抜いた。
唇を離し、リュミエールと同じように頬を赤らめながらこちらを見上げる彼女に、自信満々に伝える。
「行ってくる。さっさと全てを終わらせ、お前を苦しめた長き戒めから解放してやる。そして……取り戻そう。俺たちが失った幸せの形を」
アリシアの瞳から、再び涙が零れた。
しかし嬉しそうに口角が上がっていた。
「……はい。信じています。あなたがファナードを救ってくださることを」
「ああ、行ってくる」
「いってらっしゃいませ」
アリシアが頭を下げた瞬間、彼女の姿が消えた。
目の前が、この世界にやって来た時と同じように、白い光で一杯になる。
そういえば井上拓真に転生前、副管理者が言っていた【とある島国で流行っている娯楽】ていうのが、今になってやっと理解できたな。
手のひらサイズの画面ってのは、スマホ。
そしてピコピコは、家庭用ゲーム機のことだろう。PS○とかSw○tchとかのやつ。
てか、ピコピコて……
どれだけ家庭用ゲーム機が進化しても全部同じように呼んじゃう、かーちゃんなのかな?
気が付くと俺は、現実に戻ってきていた。
慌てて自分の身体を確認するが怪我は増えていないし、俺が最後に記憶していた場所から狭間の獣が動いていない。
つまりアリシアとのやりとりは、現実時間だと一瞬だったようだ。
だがその一瞬が、この世界の命運を変える。
俺が願うべきチート能力は、決まっている。
さあ、今こそ――
そう思った瞬間、頭上にゾッとするような恐怖を感じ、俺は慌ててその場から退避した。俺のいた場所に雷が落ちる。
もしかしてこれが、アリシアの言っていた狭間の獣の最強の一手ってやつか⁉
振り向くと、狭間の獣の手には巨大すぎる剣が握られていた。アレを振られたら、俺は間違いなく真っ二つになってしまう。
ビアンカの力で、防御結界を張らなければ――
しかし、相手が動く方が早かった。
気付けばすぐ目の前に狭間の獣の剣が迫り、俺は為す術なく立ち尽くすしかなかった。
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