第45話 異世界転生(別視点)

 そのとき、


「お待たせいたしました。レオンさんを迎え入れる準備が整いました」


 その声とともに、副管理者が姿を現した。


 アリシアとレオンの視線が副管理者の方へと向く。レオンの魂がアリシアの手を離れ、副管理者の方へと近付いた。


『無理を言ってすまなかった』

「いいえ。私も、あなたの奥様の力になりたかったので嬉しいです」


 副管理者が首を横に振ると、顔を覆っている布がサラリと揺れた。次に発した副管理者の言葉は、どこか畏怖を感じさせる重々しい声だった。


「あなたの魂はこれから、私が管理する世界で新たな命として転生することになります。その際、今までの記憶――ここでの記憶はもちろん、ファナードで生きた記憶も全て忘れます」


 彼女の言葉の続きを、アリシアが引き取る。


 異世界に転生したレオンを見守りながら、ファナード停滞の打開策を見つけ出すことを。

 もし見つけ出せれば、彼をファナードに連れ戻すことを。


「ファナードに戻れば、副管理者の世界で過ごした記憶も失われますが、記憶は蓄積されて残ります。ファナードに戻ったとき、それが今後あなたにどのような影響を与えるかは未知数です」

『未知数、か。良い響きじゃないか』


 レオンが心底愉快そうに笑った。表情が見えるなら今彼は、不敵に笑っているだろう。


 無駄かもしれない。

 影響はあっても、現状を打開出来るほどのものではないかもしれない。


 だがそれをアリシアが、口にする権利はない。

 これは、レオンの戦いなのだから――


 レオンの視線がアリシアの方を向いた。不可能を可能にしてしまうのではないかと錯覚してしまうほどの、自信に満ちた声が響く。


『見つけてくれ、ファナードを救う方法を。そして約束する、アリシア。今ここでのことを思い出し、お前とともに戦うことを。そして、お前との【幸せの形】を取り戻すことを――』

「……やくそく、ですよ」

『ああ』


 今、レオンは笑っている。

 アリシアを安心させるように、自信に満ちた満面の笑みを浮かべている、と思った。


 話が終わったと察した副管理者が、レオンの魂の結晶を両手で包み込んだ。黄金の光が溢れ、やがて消えていった。


 あまりにも呆気ない別れだった。


 夫の魂は、もうここにはない。

 ファナードを救う手かがりを得るために、自ら未知なる領域へと足を踏み入れたのだ。


 だがまだレオンがいる気がしてならなくて、周囲を見回しているアリシアに、副管理者が手を差し伸べた。


「レオンさんの魂は、私の管理する世界に移り、新たなる生を受けました。さあ、行きましょう。ファナードを……あなたの愛する家族を救う方法を、見つけ出すために」


 副管理者の言葉に、改めてレオンが旅立ったことを悟る。


 喉をギュッと締める。

 鳩尾に力を込める。

 倒れないように両足を強く踏みしめる。


 そして、副管理者の手を取り――


「はい」


 アリシアは強く頷いた。


 *


 こうしてレオンは、異世界ファナードの副管理者の世界で、井上拓真という新たな命として誕生した。


 彼を取り巻く環境は、様々な娯楽で満ちあふれていた。

 拓真は、母親の世話と仕事に追われる中、膨大な量の娯楽を消費しながら、日々を過ごしていた。


 そんな彼をアリシアは、ずっと見守り続けていた。


 ファナードの前管理者の発言は、分からない単語が多かったが、この世界に関わることで、彼女の発言の意味を理解することができた。


 副管理者に聞くと、前管理者は井上拓真の世界の副管理者をしていたらしい。

 アリシアにファナードを譲渡したことで、副管理者という立場も放棄したため、アリシアが代わりに副管理者になり、ファナードの副管理者は大変感謝してくれた。


 拓真を見守り続けていたアリシアは、やがて彼が楽しんでいた娯楽の中に、一つの可能性を見いだした。


(小説……女神のミスで死ぬ……【チート能力】を授ける……)


 拓真が読んでいる娯楽小説に、女神のミスで死亡した主人公が、チート能力という特別な力を得て、新たな世界で生きていくという物語があることを知ったのだ。


 そして思う。

 これを使うことはできないかと。


 ファナード外で、狭間の獣を祓う力を与えることはできない。魂が膨張して形が変わり、ファナードが魂を受け入れないからだ。

 情報の場合は膨張を抑える方法があるが、狭間の獣を祓う力となると厳しい。


「ですが、力を与えるための繋がりを作ることは、可能だと思うのです」


 アリシアの提案に、副管理者は少し考える様子を見せながらも、発する声色に興奮を滲ませる。


「……そう、ですね。繋がりだけなら魂は膨張しませんから、ファナードにレオンさんを戻すことが出来る。そして、ファナードに戻ったレオンさんが、狭間の獣を祓う力を願ってくれれば、その繋がりからあなたの力を送ることができる」

「ファナードの内に存在している状態なら、全てを思い出し、魂が膨張して形を変えても、異物として拒絶されません。まとめるとこうです」


 まずはレオンが転生した拓真を殺し、世界の外に呼び戻す。


 アリシアは、レオンの記憶を失っている拓真に、ミスで彼を殺した詫びとして、彼を王族に転生――元のレオンの役目に戻す――させ、チート能力を授けると伝え、了承を得る。それによって彼に力を与える繋がりが生まれる。


 そしてチート能力を授けずに彼を転生させ、狭間の獣と直面したとき、チート能力を願わせ、それに応えてアリシアがレオンに力を送り、獣を祓う――


 拓真は、異世界転生やチート能力を題材の娯楽小説を、たくさん読んでいる。

 何の知識もない相手に突然、王族に転生させるやら、チート能力を授けるなんて言っても受け入れるのに時間が掛かりそうだが、拓真はそのへんの予備知識があるので順応しやすいだろう。


 それに肝心の力を与えるための繋がりは、相手の心の底からの納得と了承がなければ作れない。


 突然、好きな力を与えるとか言われても、普通なら警戒してしまうだろうが、娯楽小説の知識を知っている彼ならば、チート能力を与えられるメリットを娯楽小説で山ほど読んでいるので、受け入れやすいに違いない。


「良い案ではないでしょうか。まさか娯楽小説から、この案を思いつくなど……しかし……」


 副管理者の少し沈んだ声色の意味を、アリシアは理解していた。


「はい。この作戦には、大き過ぎる問題があります。まず一つ。ファナードに戻ってきたレオンが、井上拓真だった前世の記憶を思い出さなければならないこと。そしてもう一つ、チート能力として、狭間の獣を祓う力を、望まなければならないことです。私から一方的に力を送りつけることはできませんから。つまり……」

「彼には、前世の記憶だけでなく、前々世の記憶も思い出して貰う必要があるということですね。井上拓真に今までのことを改めて説明すると、今度こそ魂が膨張して元に戻らなくなるため、話せないですしね」

「……私が彼に全てを話さなければ、説明出来たかもしれなかったのに……」

「後悔しても仕方ありません。それに、あのときレオンさんに話をしなければ、彼を私の管理する世界に転生させる案も出ませんでした」

「そう……ですね……」


 しかしただでさえ、前世の記憶を思い出すことだって稀なのに、前々世の記憶を思い出させるなど、奇跡に等しい――


 だがゼロではない。

 記憶は、魂の結晶のなかに蓄積されているのだから。


 それに、


「あの人は言いました。必ず思い出すと……そして、私とともに戦うと……」


 アリシアが失った【幸せの形】を、取り戻すと――


 母親が亡くなり、急に生きる気力を失った拓真の姿を見ながら、アリシアは自分に言い聞かせるように呟いた。


 頼りない足取りで、拓真がコンビニに入る。


「聡明な彼です。全てを思い出せば私からの説明がなくとも、何をすべきか分かってくれるはずです」

「……分かりました。レオンさんを連れ戻しましょう」


 次の瞬間、目を突き刺すような強い光が視界を覆った。


 光がおさまると、目の前にはレオンの魂の結晶が浮いていた。だが以前と違うのは、その結晶を身体に埋め込んだような形で、拓真の身体が実体化しているところだろう。彼は目を瞑り、何故か正座をしていた。


 副管理者の姿は無かったが、声が聞こえた。


”どうかあなたたち夫婦の愛で――ファナードを救ってください”


 アリシアは頷くと初めて顔を布で覆い、大神殿で祀られているファナードの女神と同じ姿となった。そして彼に世界の情報を与えないよう、黄金の巨木と魂の結晶を隠した。


 真っ白な空間の中で、井上拓真がゆっくりと瞳を開く。


 拓真として異世界で生きたレオンが、どう変わったのか。

 今後ファナードにどのような影響をもたらすのか。


 分からない。

 分からないが――


(彼が私たち家族を想う強い気持ちは、決して変わらない)


 だから、起こしてくれるはず。

 泣いていたアリシアの元にやってきたような奇跡を、もう一度――


 確信を胸に、ポカンとした表情でこちらを見つめる拓真に、アリシアは告げた。


「私はここ、異世界ファナードの管理者である女神です」


 と――

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