第42話 新たなる女神の誕生(別視点)

「っ‼」


 ファナード崩壊に巻き込まれ命を失ったアリシアだったが、身体を真っ二つに引き裂かれるような激痛で目を覚ました。


 痛みは一瞬だけだったようで、今は何も感じない。

 身体を起こし、自分の身を確認するが、服装がファナードの女神と同じような物に変わっているのと、無数にあった怪我が癒えている以外、変化はない。


 死ぬまで握りしめていたビアンカの髪飾りは、なくなっていた。


 しばらく自身の身体を抱きしめ、心を落ち着かせる。

 乱れていた呼吸が一定のリズムを取り戻し、身体の震えも落ち着いてきたころ、ようやく今自分がいる場所を確認する余裕が出て来た。


 立ち上がり、周囲を見回す。


 真っ白な空間だった。

 その中に一際目立つ、黄金の巨木があった。

 

 幹は、大人が何人手を繋げば一周出来るのか分からない程太い。

 だが巨木には、本来あるべき枝や葉が存在していなかった。まるで斧で切り倒されたかのように、幹の途中から上部がなかったのだ。


 不思議に思いつつ、今度は巨木の根元に視線を落とす。

 巨木の根元には、広大な水面が広がっていて、アリシアの足下にも及んでいた。だが身体は水中に沈むことは無く、何も履いていない足から水の冷たさは伝わってこない。


 水底では、キラキラと輝く透明な結晶が沈んでいる。

 膨大な数だ。少なくとも、視界に収まっている結晶を数えるだけでも、何日かかるか分からない。


 上部がない黄金の巨木。

 足下に広がる水面と、膨大な数の結晶。

 それ以外何もない空間。


 幻想的で美しい光景だと思う反面、恐ろしいほどの静寂の中にたった一人残された不安を感じながら、アリシアは今までのことを思い出していた。


(確か世界は、私に取り憑いた狭間の獣の特異個体? というものによって滅ぼされた。一人生き残った私は、この世界を捨てようとされていたファナードの女神に、この世界を私に譲って貰うようにお願いして……叶えられた。それから私は一体どうなったの?)


 女神は確か、世界の譲渡の諸々の準備はしておくと、そして詳しい話は副管理者という女神から聞けと言って消えたはず。


 あまりにも雑で不親切な対応ではないだろうか。

 いやそれ以前に女神として、簡単に世界を放り出そうとしたあの対応はどうなのか。


 女神という存在は、世界を維持するのが役目であって、人間を救う立場ではないことは知っている。だがあの女神は、世界を維持する役目すら放棄しようとしていた。


 やむを得ない事情があったのかもしれないが、アリシアへの態度や発言からは、身勝手さしか伝わってこなかった。


 そのとき、


「ようこそ」


 アリシアが出会ったファナードの女神と違う、穏やかで柔らかな声が耳に届いた。


 振り返った先にいたのは、ファナードの女神と同じような服装に、顔を布で覆った女性だった。


 一見、ファナードの女神と同じように見えるが、目の前にいる女性の方が背が高く、気品のある佇まいをしている。同じような服装をしているが、身に纏っている雰囲気が全然違うので別人だと分かった。


「あなたは……」

「私は、ファナードの副管理者たる女神です。ファナードの女神――いえ、もう世界は譲渡されていますから【元管理者】と呼びましょう――彼女からあなたに、女神の役割や世界の仕組みについて話すよう、言付かっております」


 副管理者たる女神は、アリシアに向かって軽くお辞儀をした。元管理者とは違い、物腰が柔らかく丁寧な相手の態度に、アリシアは警戒を解き同じように頭を下げた。


 副管理者はアリシアに近付きながら、大きく溜息をついた。心なしか肩を落としたように見える。


「気持ちは落ち着きましたか? 突然世界が滅んで辛い中、元管理者に世界が滅んだ責任を押しつけられていましたが」

「何故それを……」


 あの場にいたのは、自分とファナードの前管理者だけだったはず。

 アリシアの隣を横切り、黄金の巨木の前に立った副管理者は、その幹に触れながら申し訳なさそうに答えた。


「私も副管理者として監視していたのです。でもごめんなさい。見ていることしか出来なくて……」

「いいえ、全て本当のことですから……」


 ――あんたのせいよ! 

 ――あんたがいたから世界が滅んだのよ‼ 

 ――なんであんた、毒盛られたとき、死ななかったの?


 前管理者の罵声が、耳の奥に蘇った。

 副管理者の謝罪に首を横に振るが、記憶の中の罵声が、ドロッとした汚泥になって頭の中に流れ込んで来る。


 耳を塞ぐ代わりに双眸を閉じるが、流れを止めることはできない。

 だが副管理者の涼やかな声が、汚泥を押し流した。


「あの人の言うことは、気にしなくていいですよ。他罰的な性格なせいで、自分の思い通りにいかなければ、他人を責める方でしたから。それに――」


 涼やかな声は、静かな怒りを湛えた声色へと変化する。


「数多ある命を乗せた世界を育むという女神の役目を、まるで自分が楽しむための遊戯のように思っている方です。育てた世界に愛着などなく、世界に生きる者たちを、動く記号としか認識していなかった。そのような存在の言葉の重みなど、塵に等しいのですから」


 遊戯。

 記号。


 まさしくそうだ。

 でなければ、ああも簡単に世界を投げ出すことなど、出来るはずがないのだから。


 そんな存在がファナードを管理していたと思うと、心底ゾッとする。


 副管理者が振り返った。伝わってくるのは前管理者への怒りではなく、アリシアへの深い同情と憐れみだった。


「……しかし、この世界はあなたの手に余ります。いえ恐らく、誰も育てることは出来ないでしょう。この世界を枯らして終わらせ、新たな世界を育てた方がいい。幸いにもあなたは女神となったので、ファナードを枯らしても消えることはないのですから」


 言葉的には、前管理者の女神と同じようなことを言っているが、アリシアのことを純粋に案じてくれているのは分かっていた。


 だが、胸の奥が怒りで熱くなるのを抑えられなかった。


「しかしそれは逆に、ファナード内にある私以外の命全てが、消えるということではないのですか?」


 記憶の中に、愛する夫の優しい眼差しが蘇った。

 愛しい娘と息子が、アリシアに向かって手を振る光景が浮かんだ。


 目の奥が熱くなる。


「諦められるわけが……ありません。私はただ、家族を救いたいだけなのです。彼らの幸せを守りたいだけなのです! そのためなら私は……何でもします。どんな手を使ってでも、それが後ろ指を指されるような行為でも、何でも……」


 叩きつけるように、アリシアは叫んだ。

 声は木霊することなく、すぐに消え、静けさが戻る。


 動いたのは、副管理者たる女神だった。


「では、この世界について説明いたしましょう。全てを理解してからの判断でも遅くはないでしょう。あなたの決意は分かりましたから、少し気を楽にしていきましょう」


 そう話す副管理者の声色は、柔らかかった。


 *


 黄金の巨木。

 それ自体が、ファナードの世界そのものであると聞いたとき、アリシアは驚きを隠せなかった。


 非常に太い一本の幹のように見えるが、良く見ると無数の幹が絡まり合い、上へと伸びていた。


 絡まり合う幹一本一本が、異なる時間軸なのだという。


「具体例を出すなら、ここから分かれている幹の右側は、グアバル王国で王太子暗殺が成功した時間軸、左側は暗殺が失敗した時間軸となります。幹の数だけ異なる時間軸がある。ファナードは、様々な時間軸と絡まり合いながら成長しているのです」


 遠くから見れば巨木に見える幹は、無数にある時間軸の束だったのだ。根元か過去で、上に行くほど未来になる。


 アリシアの視線が上っていった先は、幹の途中を斧でスッパリ切られたように何も無い。世界そのものというには不自然すぎる形に、アリシアは怪訝そうに眉を潜めた。


「……本当は、ここにも無数の幹や枝、葉があったのですよ。ついさっきまで」


 副管理者の言葉に、アリシアは目を瞠った。まるで祈るように胸の前で両手を組んだ副管理者が、悲しそうに言葉を続ける。


「狭間の獣によって世界が滅ぼされたため、全ての時間軸が枯れ、消滅してしまったのです。前管理者が記録していた八年前の時点まで……」

「すべ、て……? ちょっと待って頂けませんか?」


 アリシアは声をあげた。

 副管理者から受けた説明を必死に思い出しながら、疑問点を口にする。


「おかしくないでしょうか? 確かに、狭間の獣は世界を滅ぼしました。しかしそれは、ファナードを形作る時間軸が一つ枯れただけ。それなのに全ての幹が……全ての時間軸が消滅するなんて、あり得るのですか⁉」

「……そこですよ。それが、前管理者が早々にこの世界を投げ出した理由なのです」


 良く気が付いたと声色に出す副管理者とは正反対に、アリシアの背中にゾクリと寒気が走った。


「あなたに取り憑いた狭間の獣は、特異個体。時間軸を越えて滅びを齎す存在なのです。もし仮に百の時間軸があったとして、九十九の時間軸の狭間の獣を祓ったとしても、たった一つの時間軸の獣を祓えなければ、救った九十九の時間軸を巻き込んで枯らしてしまうのですよ」

「そん、な……」


 言葉を失うアリシアを一瞥――とは言っても表情は見えないが――すると副管理者は、本来なら枝や葉が覆い茂っていたはずの空間を見上げた。


「ここに、どれだけ異なる時間軸が発生すると思いますか? だから私は諦めるように申し上げているのです」

「それなら……全ての時間軸から、狭間の獣を祓うだけです」

「そうですね。通常であれば、女神の力で全ての時間軸の獣を祓うことが出来るでしょう。それだけの力が私たちにはある。しかし、ファナードに限ってそれは無理なのです」

「な、何故なのですか⁉」

「……女神が何故、世界を育てていると思いますか?」


 突然話題を変えられた意図が分からず、アリシアはキョトンとした。返答を得られないと判断したのか、アリシアの回答を待たずに副管理者が答えた。


「世界を育てていけば、やがて花が咲き、実を付けます。私たち女神は、その実を母神に献上しているのです。実を献上すれば、母神から褒美が頂けます」

「褒美……ですか?」

「ええ。願いを叶えて頂けるのです」


 思わず息を飲んだ。

 アリシアの驚きを感じ取りながら、副管理者が続ける。


「とはいえ、簡単に育つような世界の実を献上しても、叶えて頂ける願いは、たかが知れています。育成が難しい世界の実であるほど、叶えて頂ける願いの幅が広がるのです。元管理者はそれを狙って、育成が難しいとされたファナードを選びました」


 前管理者が、ハードモードという単語を連呼していたのを思い出す。あれは、世界を育てるのが難しいという意味だったのだと、今の説明で理解できた。


「前管理者は、母神に叶えて頂く願いの幅をさらに広げるべく、ファナードの育成難易度を自らあげていたのです。そのせいで、本来ファナードには存在しなかったはずの邪纏いという存在が現れ、邪纏いにも管理者自身にも、様々な制約を課せられることになりました。簡単に言えば、ファナードは女神の過度な干渉を受け付けない。それが例え、世界を救う行為であっても」

「では、女神自ら狭間の獣を祓うことは……」

「出来ません。あくまで、ファナード内で生きる者たちが対処しなければならないのです。前管理者も色々と試していましたが、女神が干渉出来るのはせいぜい、言葉を届けることぐらい。しかしそれも、世界によって制約が課せられているため、大したことは言えません」


 副管理者がもつ権限もせいぜい、世界の監視と、管理者が不在となった際の世界の処分だけだと続けた。


「それならばせめて、前管理者自らが設定した難易度だけでも、下げることはできないのでしょうか? 本来の育成難易度にまで下げることは……」

「残念ながら、前管理者はその権限をあなたに譲渡せずに消えてしまいました。本来ならあってはならない行為なのですが。前管理者は、相当あなたに腹を立てていたのでしょう。いかがですか? これでも、あなたはまだファナードを育てるというのですか?」


 世界を維持する立場だというのに、出来ることが少なすぎて眩暈がする。

 しかし、諦めるわけにはいかないのだ。


(まだ……私は何もしていない。まだ何も試していない)


 だから泣き言が出そうになる口を、強く結ぶ。

 眩暈がしてぐらつく両足に力を入れる。


 落ちそうになった目線を、前に向ける。

 アリシアは副管理者の隣に立ち、先のない黄金の巨木を見上げた。


「……そうであっても、私は諦めません」

「あなたなら、そう仰ると思っていましたよ」


 そう言う副管理者の声色は明るく、優しかった。


「私は、あなたを歓迎いたします。新たなるファナードの女神よ。あなたならもしかすると、辿り着くことが出来るかも知れません。この世界の至るべき形へ」


 アリシアの足下に、大きな波紋が広がって消えた。


 黄金の巨木が、新たなる女神の誕生を祝福しているかのように――

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