第41話 私に譲ってください(別視点)

 遠くまで響く、狂ったような叫び声。


 手の中に残る、愛する継子の髪飾りを握りしめながら、アリシアは地面に頭を叩きつけた。額が切れ、血がしたたり落ちる。

 それは赤く血走った瞳の中に流れ、赤い涙となって地面に落ちた。


 何も考えられなかった。

 考えたくは無かった。


 このまま頭を割って死んでしまいたかった。

 消えてしまいたかった。


 自分の存在を、一つ残らず消滅させて欲しかった。


 愛する家族と一緒の場所に、送って欲しかった。


 ――いや。


(世界を滅ぼした私に、家族と同じ場所に行く資格などない)


 死してなお、許されない自身の罪を思い、アリシアは叫び声をあげながら、地面に頭を打ち続けた。

 壊れた玩具のように。


 そのとき、


「あーーーーーーー、うるっっっっさっ‼」


 後ろから聞こえてきた鬱陶しげな女性の声に、アリシアは声と動きを止めた。


 この世界に存在しているのは、自分だけのはず。

 聞こえるはずのない他人の声に心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、ゆっくり頭をあげ、声の方を振り返った。


 顔を布で覆って隠した女性が、腕組みをしながら立っていた。


 足先まである二枚の白い布を肩の部分で縫い合わせ、布が開かないように腰紐が結んであるが、全体的にはゆったりとした服装をしている。


 女性だと思ったのは、服から出ている両腕が細く、全体的な身体付きも男性にはない丸みがあったからだ。


 アリシアは、この女性に見覚えがあった。

 かつて夫とともに訪問した大神殿で見た、この世界――ファナードを管理する女神像と、まるっきり同じ姿。


 心の声が、口を衝いてでる。


「女神……様?」


 叫び続けて痛む喉から出たのは、掠れ声。

 でも相手には伝わったようだ。


「そうよ。私はここファナードの女神」


 女神と名乗った女性は、フンッと鼻を鳴らすと、組んでいた腕を組み直した。布に覆われていて表情は分からないが、苛立ちと怒りが感じ取れた。それらは、アリシアに向けられている。


 砂と石を踏む音をさせながら、座り込んだままのアリシアの前に立つと、皆が想像する女神とはかけ離れたぞんざいな態度で、彼女を見下ろした。


「ったく……あんたのせいで、今まで私がやってきたことが全部おじゃんよ。一体、どう責任とってくれんのよ‼」

「せき、にん……?」


 突然女神に激しく詰められ、アリシアは意味が分からなかった。


 呆けた表情を向ける彼女を見て、女神は布の上から頭をガリガリと掻いたかと思うと、右手の親指を布の中――丁度口に当たる部分にもってきながら呟いた。


「ここまできて、やり直しとかあり得ないんですけどー! 一応、今から八年前でセーブしてるけどさぁ……これでやり直したら、私の記録に【やり直し 一回】という傷がついちゃうじゃない! それだけは絶対に嫌! もうっ、調子乗って、ハードモードなんかにチャレンジするんじゃなかった! ハードモードだから、女神たる私ですらこの世界にほとんど干渉出来ないのに、【狭間の獣】の特異個体が発生して、世界を滅ぼすし! 一体どうしろっていうのよ! 無理ゲーじゃない? だからハードモードなんだって言われると、何にも言えないけどさ……こんなのクリア出来る女神なんている?」


 始めは小さかった女神の呟きは、ドンドンと大きくなり、最後の方はもはや呟きとは呼べないほどの大声となっていた。

 

 女神の言葉を、アリシアは理解できなかったが、何か想定外な出来事が女神に降りかかり、酷く困っていることは伝わってきた。


 だが一つだけ、アリシアが知っている単語があった。


「狭間の……獣……狭間の獣が、この世界を滅ぼしたのですか?」


 狭間の獣とは、邪纏いだ。

 発生すれば、国なんて簡単に滅ぼしてしまう史上最悪の邪纏いで、歴史上何度か現れ、そのたびに人間たちに大きな被害を齎した。


 邪纏いに対抗するために設立した団体――大神殿は、狭間の獣を祓うために存在しているといっても過言ではない。

 それだけ、強大な存在だ。


 アリシアの掠れ声が耳に入ったのだろう。

 女神は独り言を止めると、アリシアに顔を向けた。


「ええ、そうよ。あんたに取り憑いていた狭間の獣の特異個体が目覚めたせいで、せっかく私が頑張って育ててきた世界が滅んでしまったの」

「特異個体って……」

「通常の狭間の獣なら、世界を滅ぼすまではいかないけど、あんたの中に眠っていた狭間の獣は、強い憎しみと混ざり合って強大な力を得たのよ。それこそ、この世界を滅ぼす程の力をね。あんたのせいよ! あんたがいたから世界が滅んだのよ‼ なんであんた、毒盛られたとき、死ななかったの? 意味わかんないんだけどっ‼」

「私のせいって……毒を盛られたときって……どういうこと、ですか?」


 塞がったと思った心の傷が、ジクリと痛んだ。

 心臓が恐ろしいほど早く脈打っている。なのに背中は、まるで何か冷たい物を押しつけられているように、冷え切っていた。


 女神は、ハッという息の塊とともに、鋭い言葉を吐き出す。


「あんたの母親が処刑される際、あんたに狭間の獣を取り憑かせたのよ。強い憎しみと一緒にね! そいつが混ざり合って、世界を滅ぼす程の力をもった狭間の獣が生まれたってわけ! だから世界が滅んだのは、あんたのせい。あんたが母親に憎まれていなければ、それか、毒を盛られたときに死んでいれば、こんなことにはならなかったのよ‼」


 私の、せい――


 女神の言葉は、無数の刃となって、アリシアの心に突き刺さる。


 もう自分は、母親を殺した罪人ではなくなったと思っていた。

 許されたのだと、幸せになっていいのだと、思っていた。


 だがそれは、間違いだった。

 許されていなかった。


 母の呪いは、憎しみは――続いていた。


(私は……罪人のままだった)


 手を強く握ると、ビアンカの髪飾りの尖った部分が皮膚を貫いた。痛みが走ったが、それを痛みと認識できるほど、アリシアの心は正常を保っていなかった。

 

 女神はひとしきりアリシアに罵声を浴びせた後、大きく息を吐き出し、諦めたように言った。


「……もう良いわ。ここまできて悔しいけど、ファナードは【枯れた】ってことで終わりにする。今まで一度もやり直しをしなかった私の記録をこんなことで汚すくらいなら、失敗回数が増えた方がいいわ。なんだかんだ、枯れてもクリアっちゃークリアだから、クリアポイントが入るし。それに仮にやり直したって、こんなに縛りがきつい中、どうやってクリアするんだって話だから、譲渡も厳しいだろうし」


 女神からの罵声によって心を傷つけられ、自身の思考に閉じこもっていたアリシアが、ふと顔を上げた。

 耳に入ってきた女神の発言から、引っかかる物を感じたからだ。


 頭はまだ働いていない。

 だが口は、その引っかかりを紡ぎ出す。


「やり……直し? やり直せるのですか?」

「あ? 出来るわよ。ただし、私がセーブした八年前からになるけどね。でもやり直しなんてしないからね? やり直し0の記録を失いたくないし。ってかそもそもこの世界、無理ゲーすぎるし」


 セーブや無理ゲーが何かは分からない。

 でも何となくセーブについては、世界が滅びた八年前に戻れるということは、理解できた。


 八年前――丁度、エクペリオン王国に嫁いできた頃。


 息子はまだいないが、愛する夫と、可愛い継子が存在していた時間。

 氷結の王妃と呼ばれていた自分を、暖かな親子の絆の中に迎え入れようと、色々と関わってきてくれていた時期。


 ビアンカの髪飾りが傷つけた手の痛みが、流れる血液とともに身体中に響く。

 まるで、アリシアに強く訴えるように。


 まだ、完全に終わっていないと――


 その痛みを、胸の内で鳴り続ける鼓動の振動を感じながら、アリシアはゆっくりと立ち上がった。額から流れた血が目に入ったが、それを拭いながら、女神を見据える。


 絶望に打ちひしがれ、獣のように泣き叫んでいた王妃の姿はない。

 額と右手から血を流し、身体に無数の傷がつきながらも、その青い瞳には、女神と呼ばれる存在に一瞬の畏怖を覚えさせるほどの強さがあった。


 発された声はもう、掠れてはいなかった。


「あなた様がこの世界を捨てるというのなら、私に譲ってください」


 女神は何も言わなかった。

 いや、言えなかったといった方が正しい。


 それほど、目の前の女から発される気迫に圧されていたのだ。しかしその事実が、女神のプライドを酷く傷つけた。

 刺々しい口調で、訊ねる。


「なんで? なんでこんな世界を譲って欲しいの?」

「この世界には、私の大切な家族がいます。彼らを救いたいのです」

「はぁ? これまで多くの世界を育ててきた私が、無理だって言ってんのに? 世界がなんたるかを知らないド素人のあんたに、世界を滅ぼす程の力がある狭間の獣を、どうにか出来るって言うわけ?」

「私には、あなた様がもつようなこだわりはありません。この世界を、家族を守れるのなら、なんだっていたします」


(こいつ、何様のつもりなの? 所詮、この世界の中に蠢くキャラクターの一人のくせに!)


 アリシアの発言は、栄光ある記録に傷つけないために、この世界を投げ出そうとしている自分を、遠回しに責めているように思えた。


 だが怒りはすぐに、意地悪い考えと変わる。

 布の内側にある口角が、大きく上がった。


「もしあんたに世界を譲ったとなると、あんたは私に変わってファナードの女神になるのよ。ファナードに、あんたの存在はなくなる。それでもいいの? あんたは、家族との生活を取り戻したいんでしょ?」


 女神の言葉に、アリシアは一瞬だけ言葉を詰まらせた。

 しかし、


「それでも、です。例え私の存在が無くなっても、家族の幸せの中に私がいなくとも……レオンとビアンカが幸せであれば、私はそれでいい。幸せな彼らを見守ることが出来るなら、私はそれでいいのです」


 そう発言するアリシアに、迷いはなかった。

 レオンとの間に生まれた息子は、諦めなければならないが、きっと存在が無くなったアリシアの代わりに、別の女性が彼の伴侶となるだろう。


 そして、跡継ぎが生まれるだろう。

 また幸せの形を作り出せる。


 それでいいのだ。

 アリシアが存在し世界が滅びるよりも、ずっとずっと――


 そういえば、先ほどからずっとアリシアの髪を揺らしていた風が止まっている。ファナードの女神の顔を覆う布や服も、全く動いていない。


 不思議に思っていると、


「……いいわよ。あんたにあげる。譲渡出来るならそっちの方がいいし」


 女神が軽く頷きながら承諾した。

 感謝を告げようとするアリシアを制止すると、さらに女神が続ける。


「後、この世界からあんたの存在がなくなるっていうのは、嘘よ。この世界に住まうキャラクターが一人でも欠けると、世界は動かなくなるから。特にあんたは、狭間の獣に関係するキーパーソンだしね。あんたの覚悟を見たかったの」

「そうでしたか」


 やはり、家族から自分の存在が消えることは、辛かったのだろう。明らかに安堵しているアリシアの顔を見ながら、女神は布の向こうで薄く笑った。


 今の発言は全て本当のことだ。

 アリシアの覚悟が見たかった、という気持ちも本心。


 だが、


(その覚悟はいずれ、絶望へと変わる)


 それほど、アリシアに取り憑いた狭間の獣を何とかするのは、難しい。

 いや、数多ある世界を育ててきた女神の見立てでは、不可能だ。


 今まで世界を成長させるために積み上げてきたものを、一瞬にして崩したアリシアが憎い。


 だから、


(その憂さを、家族を救うと……救えると信じているこいつを、絶望に突き落とすことで晴らしてやる)


 仄暗い復讐心を胸に、女神は楽しくて仕方が無いとばかりに笑った。

 そして、女神の言葉を待つアリシアに、少し声色を和らげて話し出す。


「とはいえ、あんたの魂が一つだけだと、世界を譲渡できない。あんたの魂を、女神とこの世界のキャラクターと、二つに分ける必要がある。つまり、分身を作るってわけね」

「じゃあ私の分身は、レオンたちと一緒に過ごせるということですか?」

「そういうことね。で、魂を分けるとき、苦痛が伴うんだけど……」

「問題ありません」

「あ、そう」


 間髪入れずに了承するアリシアに、女神は面白くなさそうな様子で頷いた。


 アリシアにとって苦痛など、世界を滅ぼし、たった一人になったときの絶望と比べれば、なんともなかった。


 分身とはいえ、またレオンたちと過ごせる。

 その光景が見られるだけで、アリシアは十分だった。


 何故なら、分身はアリシア自身なのだから。


 女神が質問を続ける。


「で、あんたの名前、なんだっけ?」

「アリシア・エデル・エクペリオンです」

「その【アリシア】って名前は、この世界のあんたは使えない。女神側の名前になるから」

「そうなのですか?」

「ほら、あれよ。ゲームの重要人物の名前は、主人公の名前にできないのと一緒。まあ、女神側の名前を表立って使う機会はないけど」

「はぁ……」

「とにかく! やり直した世界にいるあんたの分身には、別の名前をつけなくちゃなんないってこと! で、何て名前にするの?」


 アリシアは考えた。


 ふと記憶の中に、親子四人のでこぼこした影が思い出された。

 夫レオンが言っていた【幸せの形】が。


 その幸せの形を生み出すものは――


「……リュミ、エール……リュミエールという名前にしてください」

「ふーん、リュミエールね。悪くないわね」


 女神は笑った。


 光という意味をもつ名を。

 その光がいずれ輝きを失い、闇の中に沈む光景を想像して――


「じゃ、譲渡のための諸々の準備はやっておくから、詳しい世界の説明は、ファナードの副管理者っていう女神に聞いて? それじゃ、せいぜい頑張ってねぇーーん」


 心底楽しそうに女神は言うと、パチンと指を弾いた。

 

 次の瞬間、止まっていた風が、立っていられない程の強風となって、アリシアを襲った。今まで女神が止めていた世界が、動き出したのだ。

 

 空が割れる。

 地面が揺れ、砂のように崩れていく。


 その破壊にアリシアの細い身体が巻き込まれ、消えていき――


 ファナードは完全に崩壊した。

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