第30話 全俺が死んだ

「それにしてもビアンカ、何でお前がここにいるんだ? いつから俺たちの会話を聞いていた?」


 皆の気持ちが落ち着いた頃、まだリュミエールに抱きついているビアンカに、俺は訊ねた。


 ”私の幸せにも、王妃殿下が必要なのです”という発言が、明らかに俺たちの会話を聞いていたと思わせる内容だったからだ。


 涙を指で拭いながら、ビアンカが答える。


「お父様と休憩がてら、今後のことを話し合おうと思い呼びに行ったら、いらっしゃらなくて。お義母様が珍しくお父様に用事を言いつけられ、寝室から離れていたので、もしかしてここじゃないかと思ったのです」


 うわっ……うちの娘の勘と洞察力、良すぎ……⁉


 ってな感じで、リュミエールの寝室にこっそりやって来たビアンカだったが、物置部屋に入ろうとしたところ、突然リュミエールがやってきたため、咄嗟に隠れたのだという。


 その後、何かが割れる音がしたため、リュミエールが慌てて物置部屋に入り、俺を発見。俺たちが話す様子を、ビアンカは隠れながらこっそり見ていたのだという。


 ……全部見てない?

 どこからっていうか、最初から全部見てない?


 俺が彼女を抱きしめたところや、なんかやかんや色々と娘に見られてない?


 い、いや、ちょっと、恥ずかしいんだが‼


 娘に見られたと思われる恥ずかしい場面を思い出すと、ぶわっと顔全体に血が上った。

 真っ赤になっているであろう俺の顔を見て、ビアンカが小さく噴きだした。そして、リュミエールから離れると、俺の方をチラチラとみながら、呆れた様子で口を開く。


「お義母様のことになると、急に臆病になって、情けないところがたくさんあるお父様ですけど、どうかよろしくお願いいたします、お義母様」

「び、ビアンカっ、リュミエールに、な、何を言っているんだっ‼」

「あ、ようやく、お義母様のお名前を言えるようになったのですね?」

「お、お前っ!」


 慌てて娘の口を手で塞ぐと、ビアンカがふごふごしながら抗議してきたが……これ以上、俺の情けない姿を話させるものか!

 しばらく父と娘の攻防戦が繰り広げられていたが、


「ふっ……ふふふっ……」


 軽やかな笑い声によって、俺たちの戦いは終結した。

 

 笑っているのは、リュミエール。握った手を口元に当てながら、肩を振るわせていた。そして、目尻に残った涙を指で拭いながら、俺たちに向かって笑顔を見せる。


 初めて俺たちに見せた満面の笑顔は、華やかでありながらも優しい色合いのチェリックの花を連想させて――


「凄いですね、ビアンカ。そんな発言、十歳で出来る人はいませんよ」

「そ、そんなことは、な、ないのです! い、今の十歳は、お義母様が思っていらっしゃる以上に大人びているのですよ!」


 リュミエールの発言に、ビアンカが焦りだした。


 そりゃそうだろう。

 本当の中身は、成人なのだから。


 まあリュミエールも、まさか娘の中身が成人しているとは思わないだろうが。


 妙に焦るビアンカを不思議そうに見ていたリュミエールだったが、優しげな微笑みを浮かべながら、白雪姫と名高い娘の白い頬に触れた。


「私こそ、まだまだ未熟者ですが……妻として母として、どうぞよろしくお願いいたします」

「はい、よろしくお願いします、お義母様!」

「あ、うん、よ、よろしく……」


 三人で頭を下げてるけど、何、今のこの状態?


 だが、皆同じことを想ったのだろう。頭を上げ、お互いの顔を見合わせると、示し合わせたように笑いが洩れた。


 その声はどんどんと大きくなり、物置部屋に響き渡る。


 さっきまで泣いていたのに、今度は笑って……ほんっと、感情が忙しい。


 だけど、嬉しい。

 本当の気持ちを曝け出し、笑い合えるこの瞬間が、愛おしくて堪らない。


 家族が、こうして一つになれる日が来るなんて――


「じゃあ、私は部屋に戻ります。大神殿に戻る準備をしなければならないので」


 立ち上がったビアンカはそう言うと、俺たちにカーテシーをして部屋を出ていった。

 部屋に残されたのは、俺とリュミエールだけ。


 盛大に告白したことを急に思い出し、恥ずかしさで心が一杯になる。

 視界の端に、鏡の破片が映り、俺はこの場の雰囲気を変えるため、リュミエールに言った。


「ここは、鏡の破片が散らばって危ない。人を呼んで片付けさせよう」


 ま、俺がやったんだが。

 しかしリュミエールは、鏡の欠片の一つを手に取ると、首を横に振った。


「……いいえ。ここは私が片付けます。そうしたいのです」

「こいつはお前を唆し、破滅へと導こうとしたんだぞ?」

「それでも、です」


 予想外の返答に驚いたことが伝わったのか、リュミエールは立ち上がると、再び鏡の前に立った。手を伸ばし、鏡の枠を指でなぞる。


「この鏡は、邪纏いでした。ですが……私の話を聞いてくれて、陛下やビアンカの姿を思い存分見せてくれた大切な友人、そして……何も知らなければこの国を滅ぼしていた私に、全てを教えてくれた恩人なのです。だから最後はせめて、私の手で送ってあげたいのです」


 そんな義理堅いことをしなくてもいいのに。


 こいつの正体は、ファナードの女神だぞ? 

 女神自らが、お前を殺そうとしていたんだぞ?


 だが、ポチと話すリュミエールの姿は、本当に楽しそうだった。俺やビアンカに嫌われるために常に気を引き締める日々の中で、誰の目も気にすることなく、本当の姿を曝け出すことができる唯一の時間だったからか。


 もしかして、ポチ、お前も――

 今となっては分からない。


 リュミエールは、ゴミ用の麻袋を部屋の隅から持ってくると、壁から鏡を外そうと、枠に手をかけた。

 が、鏡はそこそこ大きく、まだ破片が残っている。そんな危険な物を、リュミエールに片付けさせるわけにはいかない。


「俺がやる」


 隣で、「あ……」という声が聞こえたが、聞こえないふりをし、俺は鏡を取り外した。

 鏡が取り外された壁をみて、リュミエールが声をあげる。


 あ、やば。


「あら? こんなところに凹みなんて、あったかしら……」


 彼女の視線の先には、ベコッと凹んだ壁があった。怪訝そうに首を傾げ、指で凹みをなぞる。


 これ、ポチをぶっ壊しに行ったとき、王杓で叩いて脅したときに出来たやつじゃないか! 確か、壁の凹みがバレないように、鏡を少しだけずらして隠したんだったっけ……


「あ、あははっ……き、きっと俺が鏡を壊したときに凹んだんだろ……わ、悪かったな」


 とは言ってみたが、割れた鏡面の裏にあった鏡の枠は無傷。なのに、枠の向こうの壁だけが凹んでいるなんて、普通はあり得ない。


 無茶すぎる言い訳にツッコミが入ったらどうしようと、心の中で震えていたが、リュミエールは納得したように頷いた。


「なるほど。陛下のお力なら、有り得ますね」


 いやいや、どんな力を想像しているんだろうか……

 前世の世界にあった漫画みたいな不思議な力が、俺の拳から出たとでも思っているのかな?


 まあ……そういう意外なところで抜けている部分がまた、この人の可愛いところなんだが。


 そんなやりとりをした後、俺たちは黙々と鏡の破片を片付けた。

 王と王妃自らがほうきをもって掃除している姿は、他の人間が見れば卒倒する光景だっただろう。


 凹んだ壁以外は全てが元に戻って一息ついたとき、リュミエールが頭を下げた。


「陛下。無害であるとはいえ、本来であれば邪祓いすべき品を無断で城内に持ち込み、申し訳ございませんでした。どんな罰でも受け入れます」


 そう言われて遅ればせながら、邪纏いの品の持ち込みが罪だったことを思い出した。

 あまりにも無害すぎて、遠く離れた娘を見守るカメラみたいな扱いなってたな、俺の中で。


 それにやつの正体、神殿が崇めるファナードの女神だし。

 邪纏いの品だって言って良いのだろうか?


 分からんが、説明するとややこしいから、邪纏いの品ってことにしておこう。


「幸いにもあの邪纏いは、直接的な害を成す存在ではなかった。それに俺も、邪纏いだと知っていながら利用していた。奴の存在を容認していたという意味では、お前と同罪だ」


 国を預かる者として甘いとは思うが、もしこれでリュミエールを表立って罰してしまったら、ビアンカも黙っていないだろう。自分も邪纏いの鏡の存在を知っていたと、堂々と申し出て、大変なことになりそうだし。


「だから、二人だけの秘密だ」


 真剣な表情で俺の処罰を待つリュミエールに向かって、シーッと唇に人差し指を当てるジェスチャーをしてみせた。


 まあ知っているのは本当は、三人なんだが。

 あとでビアンカに根回ししとかないとな。


 じゃないと、何故ポチのことをビアンカが知っていたのか説明しなければならなくなるし、その時に死に戻りの話をしたらややこしいことになるだろうし。


 リュミエールの唇からボソッと、二人……と呟きが洩れた。相変わらず大きく表情は変わらないが、青い瞳がどこかホワンとしたかと思うと、いやいやいやと首をフルフル横に振った。


 ナニコレ、カワイイ。


「い、いけません! ただでさえ、私のせいで陛下に多大なるご迷惑をお掛けしているというのに、この件まで甘い対応をされては、臣下に示しがつきません! この件を表に出さないと仰るならせめて、内々で処罰をお与えください。ここまで、陛下の温情に甘えるわけには参りません!」


 何か、説教されてしまった。

 真面目だな……


 それにしても、罰かぁ……


 もちろん、リュミエールに辛い思いなんてさせたくないし、相変わらず自分に辛さを課そうとしている彼女の考えを変えたい。


 なので、「ごめんなさい! やっぱり陛下の温情に甘えますっ!」と考えを改めるような提案をしよう。

 

 例えば、


「――なら、今夜お前の寝室に行く」

「……はっ?」


 夫が夜、妻の寝室に通うというのは、まあ……そういうことだ。

 いわずもがな、だ。


 リュミエールが、ぽかんと口を開いたまま固まっているのを見る限り、ちゃんと俺の言いたいことが伝わっているようだ。


 ほーーら! 流石に無理だろ!

 これから夫婦で、家族で頑張ってこー! とはなったが、流石にこれは拒否するだろ。


 だからもう自分に厳しくするのは止めて、俺の温情に甘え――


「しょ、承知……いたしました」


 ……………………

 ……………………

 ……………………

 ……………………


 あれ?

 あれあれあれ?


 おっかしいなぁ?

 断らないぞ?


 ……………………

 ……………………

 ……………………

 ……………………


 ちょ、ちょちょっ、ちょっと待て?

 断るだろ、普通。


 腕や首までしっかり隠したドレスを常に身につけ、絶対に肌は見せないという鉄壁の意思を見せていたあなたなら、全力で拒否るだろ⁉


 ほら、我慢せず、ちゃんと断って?

 やっぱり陛下の温情に甘えまーーす☆ って言ってくれ‼


 いや、お、俺も早く訂正を。

 冗談でーーす☆ って言わないと、取り返しのつかないことになってしまう。


 俺だってまだ心の準備が出来てねえっ!


 お互い、引き返すなら今だぞ!


「あのっ……」

「な、何だっ⁉」


 断り、来たか! とばかりに、少し食い気味に訊ね返す俺。

 リュミエールは、俺の勢いに少しだけ驚いた様子だったが、俺と目が合った瞬間、頬だけでなく耳の先まで真っ赤にし、恥ずかしさと照れが入り交じった表情を浮かべた。


 ポチを通してでしか見ることの出来なかった、妻の裏の顔が目の前にあった。


「そ、それって……果たして、わ、私にとって……」


 心を鷲掴みにする愛らしさに、上目使いが追加された。


「ば、罰になるのでしょうか?」


 それを聞いた瞬間、全俺が死んだ。

 なんかもーーーーーーーーーーー色々と無理で駄目で、この人には一生勝てないなって思った。

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