第15話 一緒に転んでくれる人

 俺はアリシアとともに、庭園に出た。

 廊下では俺の後ろを歩いていた彼女だったが、俺がなんとか歩く速度を調整することで、隣を歩いている状態だ。


 ……が、案の定会話がない。


 すでに今日の天気という話題は使ってしまっているため、とりあえずもう一つの万国共通の話題【音楽】について話すことにした。


「王妃は何か音楽を聴くのか?」

「いいえ、聴きません」


 シーーーーーーーーーン


 はい、終了!

 はい、解散っ‼


 いや、この世界で音楽を話題にするってことが間違っていた。前世の世界みたいに、浴びるほど音楽に溢れているわけじゃないからな……

 そういう俺――レオンだって、付き合いで歌劇を聴きに行くぐらいで、全く音楽に興味なかったわ。


 完全に話題のチョイスを間違えたと心の中で頭を抱えていると、アリシアが前を向きながら言った。


「陛下、私にお付き合い頂きありがとうございます」

「気にするな。そろそろ一息入れようと思っていたし、少し仕事も行き詰まっていたところだったからな」

「ならば、散歩などしている場合ではないのでは?」


 仕事が行き詰まっているという話を聞いたアリシアの瞳が、待ってましたと言わんばかりに、一瞬だけ光った気がした。

 どんだけ俺を執務室に帰したいんだ。


 だが俺だって腹を括ったんだ。

 ここで逃がしてたまるか。 


「いや、そうでもないぞ? 知っているか王妃、歩きながら何かを考えたり、話し合うことは、机に座って考え事をしたり会議をするよりも、創造性があがると言われている」

「創造性……でしょうか」

「ああ。良い案が浮かぶってことだ。世の中にはそれを利用し、散歩をしながら話し合う、という会議の方法もあるらしい」


 まあ、前世の世界での話であって、この世界で実践している人間がいるかどうかは知らんけど。


 俺の話を聞き、アリシアは表情一つ変えずに言った。


「しかし散歩しながら会議をするなど、国の主として落ち着きがないと思われ、家臣たちに示しがつかないのでは? それに情報が外に洩れる可能性もございます」

「……そうだな」


 あー……、まだこの世界では早すぎたかー。

 ま、別に創造性なんてどうでもいい。


 今は――


「でも、こうして誰かと一緒に歩くのも悪くはないだろう?」


 アリシアと二人でいることが目的なのだから。


「……左様でございますか」


 俺の呟きに、アリシアはそれだけ言って口を閉ざした。

 

 寒々とした俺たちの空気感の中に、華やかな香りと、ピンク色の花弁が入り込んできた。

 ようやく目的の場所、チェリックの木々が立ち並ぶ通りにやってきたのだ。


 チェリックの木が、道を挟んで立ち並んでいて、まるでトンネルのようになっている。足下は、落ちた花弁がピンク色の絨毯のように敷き詰められていた。


 ふわっと風が吹き抜けるたびに、花弁が舞い上がり、ここだけ現実とは違う幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 おとぎ話の世界をリアルに表現すると、こういう感じなのだろうか。


「王妃のいうとおり、丁度見頃だな」

「はい。散る前に陛下にご覧頂けて良かったです」


 そんな会話を交わすと、俺たちはチェリック並木を歩き出した。

 しかし、歩き出して気付く。


 一見綺麗に見えるチェリックの絨毯だが、先日の雨のせいでまだ濡れていた。俺は特に問題はないのだが、


「王妃、歩きにくいのか?」


 ドレスが地面に付かないように慎重に歩くアリシアを見て、俺は声をかけた。相変わらず表情は変わらないのだが、明らかに動きがぎこちない。


 ドレスが濡れないように気をつけ、さらに少し緩くなった地面に足をとられないようにしなければならないのだから、気が抜けないのだろう。


「いいえ。この程度、問題ございませ――きゃっ!」


 俺の問いに毅然と答えた瞬間、アリシアの唇から短い悲鳴が洩れ、身体が傾いた。

 お約束通り、足を滑らせたのだ。


 あっと思った瞬間、チェリックの香りが俺の鼻孔をくすぐった。

 花から香るものではなく、もっともっと香りを凝縮したような匂いだ。それに何かあったかいし柔らかいし、視界の端に水色が見えて――って、ちょっ、ちょちょちょっ……ちょっと待って!


 これ、どういう状況?


 あのアリシアさんが、俺の胸にしがみ付いている。

 そういう俺だって、彼女の身体に両手を回して抱きしめていて――


 ……………………

 ……………………

 ……………………

 ……………………


 いやいやいやいや‼

 だからこれ、どういう状況――――――――っ⁉


 大事なことなので、二回言いました‼


 起こったことは別に、大したことじゃない。


 事故だ。

 ラブコメとかでよくある事故だ。


 何故こういう状況になったかは、なんとなく分か――うわぁぁぁー! 何なんこれ、めっちゃ柔らかい……――っている。

 アリシアが倒れそうになったから、俺が思いっきり抱きしめ――ちょっと待って、力込めたら折れそうなくらい、腰細くね? ――たのだ。


 アリシアはアリシアで倒れないように、近くにいた俺を咄嗟に掴ん――俺の服をギュッと掴んで胸に顔を埋める姿……可愛いすぎん? ああ、それに良い匂い……スンスンしたい……――だのだろうって……


 俺の下心と邪念の邪魔が凄すぎて、全く考察がまとまらねぇーーーーーーーーーーわっ‼

 理性、ちょっとは仕事しろ‼


 彼女の身体は、全体重を俺に預けているはずなのにとても軽い。

 それに柔らかくて――温かい。


 氷結と呼ばれ、一部では、本当に人間の血が通っているのか、と言われるほど冷たい雰囲気を纏っているのに、ちゃんと温かな血が通っていて、抱きしめ合う身体から伝わってくる。


 悪女であろうが、氷結の王妃であろうが、アリシアは一人の人間だ。

 そして――この細い身体が押しつぶされてもおかしくないほどの何かを、抱えている。


 胸の奥が詰まって苦しくなる。

 彼女を抱きしめる腕に、僅かに力を込めた瞬間、


「大変失礼いたしました、陛下」


 アリシアの冷然とした声が、耳の奥に吹き込まれたかと思うと、俺の胸がグッと押された。彼女が俺から離れようとしていた。


 だけど、


「陛下?」


 彼女の背中に回した俺の両手が解かれず、離れられないアリシアが、こちらを見上げた。これ以上ないほど近付いた距離から見た彼女の瞳には、僅かに戸惑いが映っていた。


 あー……このくらいの距離なら、何となく感情が分かるんだな。

 いや、僅かにでも感情が表に出てしまうほど、彼女の心が揺さぶられているのかもしれない。


 なら……もっともっと困らせたい。

 決して崩れることのない氷結を僅かでも溶かして、その向こうにある素顔に触れたい。


「足下が思った以上に悪いようだな」

「いえ、私の不注意によるものです。助けて頂きありがとうございます」

「気にするな。でもまた同じようなことがあるかもしれないから……抱き上げて連れて行ってやろうか?」

「……は?」


 呆気にとられたような彼女の声が響いた。だが慌てて口元を手で覆うと、表情をキリッと引き締める。


「必要ございません。もう二度と、先ほどのような失態はいたしませんので。それに、このような足下が悪い場所で、私を抱き上げて歩くなど危険すぎます」

「まあそのときは一緒に転んでくれ。一人で転ぶと恥ずかしいが、二人なら恥ずかしさを共有できるだろ?」


 ま、万が一転んだとしても、アリシアだけは絶対に守るけどな!


 冗談交じりに笑って言うと、隙あらば俺から離れようとグイグイ胸を押していた彼女の動きが止まった。

 美しい瞳がこちらを真っ直ぐ見上げていた。木々のざわめきで消えそうな程小さな声で囁く。


「……一緒に、ですか」

「ああ。まあ、転ばないようには気をつけるが。だが人生の中でも、一緒に転んだり笑ってくれる人が傍にいると……嬉しいな」


 そしてその人が、アリシアであればと思う。


 でもその言葉は……まだ雑魚レベルな俺が口にするには早いというかなんというか……


 急に湧き上がってきた恥ずかしさを隠すため、アリシアを俺の腕の中から解放した。解放した瞬間、二歩ほど俺から距離をとった彼女に向かって、手を差し伸べる。


「さあ、行こうか」

「あの……」


 差し伸べられた手と俺を交互に見比べるアリシアさん。

 少し離れても彼女の困惑が伝わってくるほど、氷結が崩れてきていた。


 だからもっともっと崩したくなる。


「ああ、悪い。抱き上げた方が良かったか?」

「ち、違います! そうではありません!」


 アリシアの瞳がクワッと見開かれた。声もひっくり返り、感情が込められた叫びが静かな庭園に響いた。

 頬を赤くして、困惑と恥ずかしさを滲ませた彼女がそこにいた。俺と目が合うと、慌てて視線を逸らし、両手を強く握りながら俯いた。


 ナンダ、コノ可愛イ生き物ハ。

 語彙力消失シソウ。


 このままだと、俺もどこかでナニにかがアレしてヤバげだし、アリシアもアレがコレしてナンにもならない。


 だからお互いのために逃げ道を示す。


「足下が悪いから、手を繋いで俺を支えて欲しい」


 俺が手を差し出した理由を聞いたアリシアの表情が、一瞬にして凍った。


 いつものアリシアさんだ。

 これはこれで……ちょっとホッとするかもしれない。


「畏まりました」


 感情のこもらない淡々とした返答とともに、俺の手の上に彼女の手が乗った。支えるなら手は逆だと思うのだが、まあそこは気が付かなかったことにしよう。


 手を繋ぎながら進んでいく。


 ピンク色の花弁が舞う中、太陽の光に照らされたアリシアの姿は、俺が想像したよりも神々しく美しかった。

 思わず、心の声が口に出る。


「……綺麗、だな」

「左様でございますね。すぐに散ってしまうのが、とても残念です」


 相変わらず、アリシアは勘違いしているようだ。

 だから、今度は誤魔化さない。


「綺麗なのは、王妃、お前だ」


 ……言えた。

 やっと言えたああああああああああああああああああああ‼


 もう、いつ言おういつ言おうかって、ずっとタイミング狙ってたもんな!

 いやぁ……俺、成長したわ……


 流石のアリシアも、こんなことを言われたらさぞかし氷結が崩れ――って、あれ?


「ありがとうございます、陛下」


 そう礼を言うアリシアの表情は、全く崩れていない。

 スンッどころか、見ていて怖いぐらいに冷たいんですけど……


 その後、行き以上に重い空気の中、何とか部屋に戻った俺は絶望していた。


 ドン引きされた?

 調子乗って、グイグイいきすぎた?

 これが噂に聞く、蛙化現象ってやつなのか?


 色んな考えと後悔が過る中、一つの報告が俺の耳に入った。


 アリシアさん。

 散歩から部屋に戻った後、熱を出してぶっ倒れたそうです。


 ま、まさか、俺が綺麗と言ったとき、滅茶苦茶表情が凍ってたのは、許容範囲超えたせいで処理落ちしちゃった感じ?

 そして、熱暴走起こしてぶっ倒れた感じ?


 いや……

 いや、まさか……なぁ……


 ははは……

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