第22話 大熊の釣り糸

頭文字C




 人で賑わう休日の都心部を、一人の陸上選手が疾走していた。

 機械のような精密さで腕を振り、呼吸一つ乱さずに脚を回転させる。

 やがて彼は駅の前で立ち止まり、線路を見上げながら呼吸を整えた。

 暫くすると、青い新幹線が風を切って発車する。

 その流線的なシルエットを指差して、陸上選手は不敵に呟いた。


「次はあいつだ」


 陸上選手はクラウチングスタートの構えを取り、力強く大地を蹴る。

 彼と新幹線の無謀極まる戦いは、あまりに呆気なく決着した。


『新東都、新東都です』


 アナウンスと共に新幹線の扉が開き、大勢の乗客が車内を後にする。

 彼らが歩く新東都駅のホームには、既に例の陸上選手が立っていた。


「お前たち、俺より遅い。だから狩る」


 陸上選手は親指を下に向け、特危獣013・チーターへと姿を変える。

 そして駅のホームを舞台に、壮絶なる虐殺劇を開始した。

 駅はたちまち阿鼻叫喚の地獄絵図と化し、人々は悲鳴を上げて逃げ惑う。

 駅員の緊急通報を受け、特撃班の昇、月岡、火崎が駆けつけた。


「そこまでだ!!」


 火崎が敵の注意を惹きつけ、その隙に月岡と駅員、警官隊が市民の避難誘導を行う。

 逃すまいと飛び掛かったチーターに、昇が電流を帯びた右ストレートを繰り出した。

 堪らず怯んだチーター目掛けて、火崎が弾を撃つ。

 そして昇はアライブに変身し、ゴートブレードを振り下ろした。


「超動!! はぁッ!」


 チーターはアライブの斬撃を躱し、鋭い蹴り技で彼を牽制する。

 両者は間合いを取って睨み合い、互いの隙を虎視眈々と狙った。


「……今だ!」


 アライブとチーターは殆ど同時に動き出すが、脚力の差でチーターが先手を取る。

 チーターはアライブの肩を踏み台に跳躍すると、振り向いて言った。


「お前、俺より遅いか分からない。だから狩らない」


「えっ?」


 アライブが言葉の意味を解するより早く、チーターは駅から走り去る。

 敵の逃げた方角を見つめたまま、アライブは呆然と立ち尽くすばかりだった。


「無事か、日向昇」


 ようやく避難誘導を終えた月岡が、アライブに駆け寄る。

 アライブは昇の姿に戻ると、悔しさを露わにして言った。


「はい。でも……逃げられました」


「気にするな。次で倒せばいいんだよ」


「島先輩の言う通りだ。さあ、戻って作戦を立てるぞ」


 昇たちは特撃班本部に撤退し、木原、金城と合流する。

 各種資料を一通り確認した金城が、敵の正体を特定した。


「今回出現したのは013・チーターですね。以前にも一度出現していますが、その時より身体能力が大幅に向上しています」


「それだけ多くの人間を食べてきたのか、ソウギに何らかの処置をされたのか……。いずれにせよ、厄介な相手なのは間違いないな」


 月岡が腕を組み、対策を練らんと頭を働かせる。

 その時、コンピュータと睨み合っていた木原が突然立ち上がった。


「みんな、ちょっとこれ見て!」


 木原に促されるまま、昇たちはある記録映像を確認する。

 そこには新幹線を上回る速さで爆走する陸上選手の姿が、鮮明に映し出されていた。


「こいつがチーターの人間体で間違いないよ。変身の目撃情報もあるし。問題は、なんでチーターがこんな猛ダッシュをしてたかってことなんだけど……」


「おれに心当たりがあります」


 その言葉で、全員の注目が昇に集まる。

 昇は脳内で情報を整理しながら、先の戦いでの出来事を語った。


「駅で睨み合った時、あいつ言ってたんです。『お前、俺より遅いか分からない。だから狩らない』って。……あいつは、新幹線に走りで勝負を挑んでたんだと思います」


「そして勝ったから、乗客を襲ったというわけか……」


 人間の姿や言語を獲得する前から、チーターは己の速さに相当な誇りを持っていた。

 確かにあり得る話だと、月岡は腕を組んで考える。

 昇たちが考え込んでいると、不意に火崎の無線機が振動した。


「おっ、電波が来たな」


 火崎がボタンを押すと、本部から遠く離れた場所のCG画像がコンピュータに表示される。

 その峠の麓で点滅する赤いマーカーを指差して、火崎が得意げに言った。


「さっき撃った弾には、小型のGPSが仕込んであったんだ。これで奴の居場所は丸わかりだぜ」


「木原印の特注品だから、性能もバッチリだよ」


「凄いです火崎さん、木原さん!」


 昇に屈託なく褒められ、二人は肩を組んで大笑いする。

 浮かれる二人を咳払いで窘めて、月岡が話を戻した。


「日向昇の仮説が正しければ、チーターを倒すには走りでの勝負が最も効果的です。そこで考えたのですが、エボリューション21を使ってチーターにレースを挑み、一気に倒すというのはどうでしょうか?」


 月岡の策は皆の賛成で実行されることとなり、昇たちはその準備を始める。

 そして数十分後、木原を除く4人はそれぞれの愛機を駆ってチーターの待つ峠に向かったのだった。

——————

超動最速理論



 とある山奥の峠道は、かつて走り屋たちの決闘場だった。

 しかし特危獣チーターが棲みついたことにより彼らは撤退し、整備もされなくなった道路にはあちこちに小さな亀裂が入っている。

 錆びついたガードレールに腰掛けて夜空を見上げる陸上選手を、不意に特殊車両のヘッドライトが照らした。


「見つけたぞ、チーター」


「昼間の奴らか。何をしに来た?」


「お前と競走しに来たんだ」


 昇の宣言に、チーターの胸が高鳴る。

 愛機エボリューション21のエンジンを響かせ、昇が力強く叫んだ。


「おれとお前、どっちが速いか勝負だ!」


「……いいだろう!」


 峠の麓から頂上に辿り着くまでの時間を競う闇のレース。

 放たれた銃声を合図に、共に異形の姿となった昇とチーターは夜の峠を駆け出した。

 チーターは一瞬で最高速度に到達し、昇––アライブを置き去りにする。

 月岡が無線機越しに、怯むアライブへと檄を飛ばした。


「恐れるな! ギアを上げろ!」


「分かりました!!」


 遅れてアライブも速度を上げ、チーターの背中を捉える。

 一気に追い抜かそうとしたその時、二人の前に大蛇のような連続カーブが出現した。

 暗いら視界の中で少しでも確実にカーブを曲がり切らんと、アライブはバイクの速度を落とす。

 しかしチーターはむしろ加速し、危険極まりない速度で大蛇の口に飛び込んだ。


「教えてやる。このカーブの越え方を!」


 チーターは跳躍を繰り返し、曲がりくねった道を強引に直線として突破する。

 抜群の脚力と瞬発力を持ったチーターにしか許されない荒技に、アライブはあくまで正攻法で対抗した。


「最低限の角度でカーブを曲がり、ロスを減らす! 互いのスペック差を加味すれば……タイムはほぼ同時!」


 アライブの読み通り、二人は殆ど同じタイミングでカーブ地帯を突破する。

 一歩も譲らぬ攻防は、とうとう最後の直線へと持ち越された。

 冷たい風を全身に浴びて、両者はラストスパートをかける。

 しかしここでも、先手を取ったのはチーターだった。


「まだだァ!」


 アライブはそれでも勝負を捨てず、鬼の執念でチーターを追う。

 背後に迫る刺客への恐怖と上り坂が、チーターの脚を一瞬だけ緩めた。


「一瞬あれば……充分だ!」


 瞳に蒼炎を宿したアライブが、遂にチーターを差し切る。

 そして熱を帯びたままのエボリューション21を竹刀のように構え、激走するチーターを迎え撃った。

 活人剣の極意・バイクバージョンである。


「ぅおりゃああっ!!」


 渾身の力で振るわれた灼熱の鉄塊はチーターを強かに打ち据え、木っ端微塵に爆散させる。

 アライブは昇の姿に戻ると、ショックブレスで月岡たちに連絡を取った。


「こちら日向昇。特危獣013・チーターを撃滅しました!」


「よくやった。すぐに峠を降りて、俺たちと合流しろ」


「ごめんなさい。暗くて道分かんないです」


「……仕方ない。迎えに行くからそこで待ってろ!」


 月岡は通話を切り、昇の待つ峠の頂上へと白バイを走らせる。

 昇は彼の到着を待つ間、バイクのサドルに座ってぼうっと夜空を眺めていた。

 頂上の空気は普段いる街より澄んでいて、星もよりはっきりと見える。

 暫く天体観測を楽しんでいると、ある男が昇の肩を叩いた。


「坊主、ちょっといいか」


 身の丈八尺の大男は見た目に違わぬ低い声でそう言い、威圧感のある瞳で昇を見下ろす。

 言葉に詰まる昇に、彼は簡潔な自己紹介をした。


「俺は大熊総一おおぐまそういち。見ての通り、ただの釣り好きだ」


 手にしたバケツや釣り竿から、その言葉が嘘でないことは伝わる。

 しかし何故声をかけてきたのだろうか。

 考える昇に、大熊は更に続けた。


「近くにいい川があるんだ。一緒に釣りをしないか」


「あー……お誘いは有り難いんですけど、今ちょっと待ち合わせしてて」


「時間は取らせん。さあ、行くぞ」


「いやそこ行き止まりですよ!?」


 草むらを掻き分けて進む大熊の後を、昇は慌てて追いかける。

 昇が追いついた時、彼は既に川に釣り糸を垂らしていた。


「あの、大熊さ」


 大熊は人差し指を口元に添えて昇を黙らせ、カンテラの灯を揺らしてこちらへ来るよう促す。

 光に誘われるまま、昇は大熊の隣に腰掛けた。


「……釣れそうですか?」


「いや、坊主だな」


「だからおれは坊主じゃなくて」


「何も釣れないってことだよ」


 大熊は針の先に餌のミミズをつけ、再び池に糸を投げる。

 灯に照らされた横顔は、少年のように無邪気だった。


「釣れない割には、楽しそうですね」


「釣りは待つ時間が9割。魚の獲れる獲れないはおまけみたいなもんだ」


 なあ坊主、と大熊が徐ろに言う。

 水面に顔を向けたまま、彼は昇に問いかけた。


「特危獣と人間は、共存できると思うか?」


 これまでの戦いと己自身が持つ力の強さから、昇は特危獣の脅威を誰よりも理解していた。

 自分がアライブだと悟られないように言葉を選びながら、彼は慎重に結論を述べる。


「……思いません。あんな人喰いの化け物と共存なんて、あり得ない」


「なら、人間を喰わない特危獣ならいいのか?」


「えっ?」


「もし人間を襲わない友好的な特危獣がいたとして、それでもお前は共存を拒むのか?」


 馬渕の存在が頭を過ぎり、昇は決断を躊躇う。

 行き詰まる思考回路は、最悪の結論を導き出した。


「まさか、あなたは……」


 夜風が川面を撫で、昇の肌を凍えさせる。

 冷たい緊迫の時間は、駆けつけた月岡によって終わりを告げた。


「日向昇! こんな所にいたのか。待ってろと言った筈だぞ」


「すみません! ……そういう訳なんで、これで失礼します」


「ああ。気をつけろよ」


 大熊に見送られ、昇と月岡は夜の川を後にする。

 静かな峠の坂道を、二台のバイクが降っていった。


「あの坊主、まさか俺の正体に勘付くとはな。……そうか、あれが馬渕の言ってたアライブか」


 昇のことを思い出し、未だ釣りを続ける大熊の口元が緩む。

 川を漂う釣り針に、最初の魚が食いついた。

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