第16話 木原と家出少年
やかまし科学者のいない日
解毒剤を巡る騒動から、一週間が過ぎた。
しかしソウギたちに目立った動きはなく、出来事といえば散発的に数体の特危獣が現れたのみだった。
倒したそれらの資料を纏めながら、本部の金城は強い凝りを覚える。
振り向きついでに背骨を鳴らしながら、彼は木原の定位置に向かって言った。
「木原さん、少し休憩に……」
そう言いかけて、金城は木原がいないことを思い出す。
彼女は水野や他の市民たち共々、未だに眠り続けていた。
鍛錬を終えたばかりの火崎が、タオルで汗を拭いながら話しかける。
「やっぱりお前も慣れねえか。あいつの不在には」
「……ええ。例えあんな人でも、いなくなると寂しいものです」
いやに静かな研究室を見渡して、金城は本音を漏らした。
心から研究開発を楽しむ木原の姿に思いを馳せて、彼は続ける。
「それに、最近は随分まともになりましたからね。昔とは比べ物にならない程に」
「ああ。本当、人って変わるもんだよな」
木原たち特撃班や家族、そして己自身も、日々変わっていく。
そんなことをぼんやり考えながら、火崎が質問した。
「……木原、いつ戻るんだ?」
「木原さんは解毒剤の優先投与者に選ばれていますので、今日の晩には戻るかと」
「そうか。これでやっと五人揃うな」
「ただいま帰りました」
会話を弾ませる二人の元に、パトロールを終えた昇と月岡が帰ってくる。
楽しげな様子の火崎たちに、月岡が書類を提出した。
「ご苦労だったな。……どうした日向、そんな浮かない顔して」
「いえ、何でもないです」
「何でもないわけあるか。話してみろ」
煮え切らない態度ではぐらかす昇の背中を、火崎が軽く叩く。
暫し考え込んだ末、昇は躊躇いがちに口を開いた。
「実は……先週のことが、まだ引っかかってて」
解毒剤を巡る騒動は、一人の男の自作自演だった。
彼の承認欲求を満たすためだけに、多くの者が被害を受けた。
彼の薄汚い笑顔を思い出しながら、昇は懺悔のように告げる。
「あの人が逮捕された時、おれ『いいなぁ』って思ったんです。人間として扱われているのが、凄く羨ましくて」
しかし彼は人間の尊厳を捨て、不相応な願いのために悪事を働いた。
その事実を理解した時、昇の中に湧いたのは怒りでも正義感でもなかった。
どうしようもない嫉妬心だけが、昇を動かしていた。
「おれにはもう分かりません。月岡さんたちとあいつやソウギが、同じ人間だなんて認めたくありません! ……おれが人間の仲間に入れないことは、尚更です」
心をどれだけ律しても、異形の姿を持つ限り昇は決して人間にはなれない。
そればかりか、戦い強くなる度に自分は人間から遠ざかっていく。
思い悩む昇に、月岡が言った。
「……怪物を恐れる怪物なんかいない。そうやって悩むことこそ、お前が人間である証拠だ」
「そうですね。それにマイナスの感情もまた、人間を構成する大切な要素です」
金城も付け加えるが、昇の表情は晴れない。
見かねた火崎が手を叩き、腕を組んで叫んだ。
「よし! こうなったら、俺がとっておきの昔話をしてやる!」
「昔話、ですか?」
「ああ。木原がここに来たばかりの頃の話だ。きっとお前の役に立つぞ」
「それは……ちょっと気になりますね」
仲間の知られざる過去に、昇は僅かだが興味を示す。
そして火崎たちの時間は、去年のとある夏の日に戻っていった––。
「……今日、だったよな。うちに新しい科学者が来るの」
汗ばんだ顔を団扇で扇ぎながら、火崎が呟く。
金城は読んでいた文庫本から目線を上げると、淡々と待ち人の来歴を述べた。
「そうですね。名前は木原林香さん。国内最高峰の大学を主席で卒業し、数々の分野で目覚ましい功績を……」
「そんなことはどうでもいい! 問題は、そいつが配属初日から大遅刻してるってことだ!」
火崎が指差した壁掛けの時計は、約束の時間を既に2時間も超過している。
彼はとうとう耐えかねて、弾かれるように本部を飛び出した。
「もう我慢ならん! その木原って奴を探し出してやる! いくぞ月岡、金城!」
「は、はい!」
火崎に急かされ、月岡と金城も後に続く。
照りつける夕陽と蝉の鳴き声に包まれながら、月岡はパトロール中の真影に連絡を取った。
「そういうわけで、後から合流してくれ」
「ああ、分かった」
謎の天才科学者を求めて、月岡たちは夏空の下をひた走る。
同じ頃、木原は近くの図書館で分厚い論文を読み耽っていた。
「これも大したことなかったなぁ……あれっ、もうこんな時間!」
少し休憩するだけのつもりが、つい長居をしてしまった。
木原は慌てて図書館を飛び出し、特撃班本部を目指して爆走する。
しかし彼女の爆走は十数秒で終わり、建物の壁に手をついて薄い胸板を上下させた。
「これマジで死ぬやつ……もう無理……ん?」
不意に肩を叩かれ、木原はどうしたことかと振り向く。
茶髪を風に靡かせた青いユニフォームの少年が、真っ直ぐこちらを見つめていた。
「ん」
少年はリュックサックからりんごジュースのボトルを取り出し、無言のまま突き出す。
恐る恐る受け取った木原に、彼は目だけで飲むよう促した。
「くれるの? それじゃあ遠慮なく……」
口をつけた木原の渇きを、りんごの優しい甘みが潤す。
少年に抱いていた警戒心などすっかり忘れ、彼女は喉を鳴らしてジュースを飲み干した。
「ぷっはー! 生き返るぅ〜っ!」
「……反応オッサンくさ」
「ん、何か言った? まあいいや。とにかく助かったよ少年くん! じゃ!」
「待って」
再び全力疾走しようとする木原の袖を掴んで、少年が彼女を引き留める。
焦る木原に、彼は思いがけない依頼を持ちかけた。
「俺、今家出してるんだ。協力してよ」
「ええっでもあたし急いでて」
「ジュースあげたでしょ」
「美味しかったです」
少年に急所を突かれ、木原は呆気なく言い負かされる。
空のボトルと少年の顔を交互に見て、彼女は少年の頼みを聞き入れた。
「……まあいっか。どうせ遅刻は確定だし」
少年は『してやったり』と笑みを浮かべ、木原を従えて歩き出す。
何とも彼女らしいエピソードに、昇が思わず苦笑した。
「木原さん、最初から結構アレな人だったんですね……」
「ああ。初日でクビでも不思議じゃなかった」
「ってことは、何かあったんですね」
「そうなんだよ。この後特危獣が現れたんだ……」
続きを語ろうとした火崎を、警報が遮る。
彼は戦う男の顔になり、全員に号令をかけた。
「こんな風にな! 特撃班、全員出動!!」
「了解!!」
四人は特殊車両に乗り込み、特危獣の出現場所へと急行する。
アクセルを踏み締めながら、月岡が無線機に向かって叫んだ。
「敵の特徴は分かるか!」
「空を飛んでいます……見えました! 特危獣008・ドラゴンフライです!」
警官隊の報告に、月岡たちの表情が強張る。
流れていく景色を横目に見て、火崎が呟いた。
「こいつは凄え偶然だな」
「えっ?」
「あの日現れた特危獣も、ドラゴンフライだったんだよ」
しかし今、木原はいない。
数奇なる因縁に導かれるまま、四人を乗せた車が現着した。
——————
ただいまとおかえり
季節外れな蝉の声に誘われて、木原林香は目を覚ました。
その肉体は宙に浮かび、熱さも冷たさも感じることができない。
風に乗って空を飛び回りながら、彼女は即座に状況を理解する。
これは夢だ、と。
そして木原は望み通りの夢を見てやると意気込み、夢世界の旅を開始した。
「にしてもこの景色、どっかで見た気がするんだよねえ……」
果てなく広がる真夏の夕暮れを眺めながら、木原は既視感に襲われる。
地上に目を落とすと、その正体はすぐに判明した。
「これ、あたしと少年くんだ! 懐かし〜!」
木原は地上に足をつけ、ユニフォーム姿の家出少年と昔の自分を尾行する。
無警戒にも少年の差し出したジュースを飲んだばかりに彼の協力者となってしまった昔の木原が、少年に問いかけた。
「あの〜、少年くんはそもそも何で家出してるの?」
「親も先生も、俺のことを分かってくれないから」
少年はぶっきらぼうにそう答え、歩くスピードを早める。
彼の言葉に思い当たる節を感じた木原は、少年の観察を開始した。
左に重心を寄せた歩き方に、時折不自然に右脚を触る癖。
木原は全てを察し、少年に診断結果を告げた。
「少年くん、怪我してるよね」
推理は見事に的中したようで、少年の足取りは途端にぎこちなくなる。
彼の手を握って、木原は優しく微笑みかけた。
「少し休もっか」
「……うん」
少年は頬を夕陽に染め、弱々しく頷く。
河川敷の土手に二人で寝そべりながら、彼は家出の理由について語り始めた。
「俺、今度親の仕事の都合で遠くに引っ越すんだ。だから今いるサッカークラブで試合できるの、次が最後なんだ。なのに……」
脚の怪我が発覚した時、少年の両親は監督に頼んで彼を試合メンバーから外させた。
少年はそのことで親と大喧嘩し、勢いに任せて家出をしてきたというわけである。
「俺はあのクラブでやるサッカーが大好きなんだ。あそこは、俺の居場所なんだ!」
「居場所……」
暮れゆく空を見上げて、木原は自分の居場所について考える。
彼女は暫く思索に耽ると、少年に問いかけた。
「そのクラブって、少年くんにとってどんな場所?」
「……ただいまとおかえりを言い合えるくらい安心できる、俺が俺でいられる場所」
木原は頷き、自分が過ごしてきたコミュニティを少年の定義に当て嵌める。
しかしそうした場合、家も学校も居場所と呼べるものではなかった。
自分を忌避し、排斥する存在しかいない閉鎖環境。
そんな自分の過去と少年のいたクラブを比較して、木原はぽつりと呟いた。
「あなたにはそういう場所があるんだね。少し羨ましいよ」
「えっ、お姉さんにはないの?」
「……うん。あたしはね」
木原の言葉を、耳障りな羽音が遮る。
太陽を隠して現れた異形の怪物を目にして、少年が呟いた。
「特危獣……!」
「走るよ!!」
怯える少年の手を掴み、木原は全速力で走り出す。
しかし特危獣ドラゴンフライは異常発達した複眼で二人を捉え、瞬く間に彼らを追い詰めた。
「やってるやってる。確かこの時は……」
だらしない姿勢で空中に寝そべりながら、現在の木原が過去の記憶を思い出そうとする。
しかし答えが喉元まで出かかった瞬間、彼女の意識は現実へと引き戻された。
「うわあっ!!」
墜落するような感覚と共に目を開き、忙しなく周囲を見回す。
白い光に包まれたその場所は、どこのとも知れぬ病室だった。
「あたし、元の人間に戻ってる?」
木原は半信半疑で額を撫でるが、そこにアリの触角はない。
元の人間に戻ったことを確認すると、彼女は自分が眠っていた間の情報を知るべくテレビを点けた。
「嘘……」
テレビには河川敷で暴れるドラゴンフライの姿が、拡大して映し出されている。
交戦する昇たちの姿を除けば、それはまさに夢の再現だった。
「まだ解毒剤を打ったばかりです! 安静にしていないと」
「そっちの方が体に悪いって」
看護師の制止を振り切り、木原は病院を飛び出す。
病み上がりの体に出せる力は微々たるものだったが、それでも懸命に脚を動かした。
少年の手を握りながら走った、あの日のように。
「どうしてこういう時って、体が勝手に動いちゃうのかなぁ……!」
理屈でない何かに急かされるまま、木原は肌寒い秋の街並みをひた走る。
同じ頃、昇たちはドラゴンフライに苦戦を強いられていた。
「超動……うわあっ!」
空を飛ぶ敵に銃弾は届かず、アライブへの変身は急降下攻撃によって阻害される。
高所から放たれる衝撃波を避けながら、月岡が叫んだ。
「くそっ、こいつに弱点はないのか!」
「弱点ならあるよ!!」
遠くから響いた声に、昇たちは一斉に振り向く。
復活を果たした木原が、息を切らして駆けてきた。
「奴の目には沢山の神経が張り巡らされてる。そこに攻撃を当てれば倒せる!」
木原は息を切らしながら、昇たちに弱点を伝える。
大きく開かれた火崎の目を見据えて、彼女が力強く告げた。
「……あたしに考えがあります」
「分かった。やってみろ」
「……はい!」
火崎に指揮権を譲られ、木原は数式を解くように仲間たちを導き始める。
彼女が立てた作戦は、独特かつ効果的なものだった。
「おらッ、ついて来いトンボ野郎!」
火崎が特殊車両に乗り込み、エンジン音を鳴らしてドラゴンフライを誘い出す。
敵が火崎を追い始めたのを見計らって、金城が白い布を広げた。
油性のマジックで渦巻き模様を描き、真っ直ぐに掲げる。
そして低空飛行で火崎を追うドラゴンフライに、彼は渦巻きを見せつけた。
「ッ!?」
視神経を掻き乱され、ドラゴンフライが墜落する。
その隙にアライブ・ライオンフェーズへと変身した昇に、月岡が自身の銃を投げ渡した。
「はあっ!」
アライブは月岡の銃をライオンキャノンに変え、腰を低く落として構える。
激昂したドラゴンフライが立ち上がり、羽音を轟かせてアライブに迫った。
しかしアライブは怯まず、木原の指示を待つ。
静かに突き出された彼女の指鉄砲に合わせて、アライブがライオンキャノンの引き金を引いた。
「……BANG」
炎の弾丸がドラゴンフライの複眼を埋め尽くし、その体を跡形もなく爆散させる。
敵の最期を確認して、月岡が短く告げた。
「特危獣008、撃滅」
「やったーっ!!」
特撃班の勝利を喜び、木原は全身で跳び上がる。
そこで緊張の糸が切れ、彼女はバランスを崩して倒れ込んだ。
何とか昇に受け止められ、安堵のため息を吐く。
気まずそうにはにかむ木原に、火崎が優しい声で言った。
「おかえり、木原」
月岡たちも彼の横に並び、異口同音に木原の帰還を祝福する。
瞳に涙を滲ませながら、木原は満面の笑顔で答えた。
「……ただいま!」
五人に戻った特撃班を乗せ、車は本部へと走り出す。
心地よい振動に揺られながら、昇が話しかけた。
「それにしても凄い作戦でしたね、木原さん」
「昔の作戦を使い回しただけだよ。その時の車は自転車で、銃はサッカーボールだったけど」
少年と共にドラゴンフライに追われた時も、木原は同様の作戦を展開した。
そして特危獣を撃退した功績を買われ、彼女は見事にクビを免れたのであった。
「少年くん。あたし、ちゃんと居場所を見つけたよ」
すっかり暗くなった窓の外を眺めて、木原が呟く。
他愛のない馬鹿話に興じながら、夜は賑やかに更けていった。
そして皆が寝静まった頃––。
「……目覚めたんだね。新たな力に」
檻の中のスパイダーに、ソウギは明るい口調で語りかける。
進化の種が持つ自我すらも食い尽くした彼は、より強靭で禍々しい姿・『猛毒体』へと変貌を遂げていた。
「ああ。この力で全てを終わらせてやる」
スパイダーは毒液で檻を溶かし、洋館を後にする。
静かな夜の街に、凶悪なる毒蜘蛛が放たれた。
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