第2話 超動

突きつけられた現実




 雑木林でフォックスを殺してから三日後、日向昇は白いベッドの上で目を覚ました。

 様々な検査用の機械が取り付けられている自分の腕を見て、彼は今いる場所を自分の病室だと思い込む。

 もう一眠りしようと思った矢先、男の低い声が響いた。


「いい加減に起きたらどうだ」


 声をかけてきた男の顔を、昇は寝ぼけ眼で眺める。

 無造作な黒髪を持つ仏頂面の男に、昇は困ったような笑顔を浮かべて言った。


「あの、どちら様でしょうか?」


月岡静海つきおかしずみだ」


「月岡さんかぁ、いい名前ですね。おれは日向昇って言います。どうぞよろしく……」


 お願いしますと握手を求めようとした時、昇は自分の四肢が鎖に繋がれていることに気がついた。

 驚いて部屋を見回すと、普段の病室とは似ても似つかぬ光景が広がっている。


「どうなってるんだ!? おれ、入院してた筈なのに」


「入院? バカを言うな。あれほど暴れ回っていた奴が病院になど行くものか」


 昇の言葉を一蹴し、月岡が薄型テレビの電源を入れる。

 フォックスとの死闘の様子を再生しながら、彼は単刀直入に問い質した。


「特危獣021・キメラ。お前は三日前に009・フォックスと交戦しこれを殺害した。そうだな?」


「……何のことですか。全然分かりません」


「誤魔化すとためにならないぞ」


「本当に分からないんです! 大体キメラって何ですか、おれは人間の日向昇ですよ!」


「いいや特危獣だ。これを見ろ」


 月岡はテレビの画面表示を切り替え、2枚のレントゲン写真を見せる。

 適宜縮尺を変えながら、彼はこの写真について解説した。


「フォックスの死体を解剖し、お前のレントゲン写真と照合した。その結果、両者の細胞組織は99.9%一致していることが分かった」


「つまり?」


「お前は特危獣だ」


「……おれは人間ですよ」


 物的証拠を提示され、昇の言葉から勢いが消える。

 どうにか反論しようと言葉を探していると、間延びした女性の声が聞こえてきた。


「あっ、キメラちゃん起きてる!」


 肩まで伸ばした茶髪を靡かせて、アロハシャツの女性が小走りで駆けてくる。

 困惑する昇を置き去りにして、女性が月岡に話しかけた。


「シズちゃん、上でみんなが呼んでるよ」


「分かりました、すぐに行きます」


「いってらっしゃ〜い」


 部屋を後にする月岡を見送り、女性は大きく息を吐く。

 そしてシャツの裾を翻して振り向くと、悪戯っぽい口調で言った。


「ここからはあたしが話し相手になったげるからね、キメラちゃん」


「……あなたは?」


特撃班とくげきはん木原林香きはらりんか。一応科学者やってるから、よろしく!」


「特撃班?」


「警視庁特別危険生物駆除法対象獣撃滅専従班……まあ簡単に言えば特危獣やっつけ隊かな。あたしとシズちゃんはそこに所属してるんだよ、凄いでしょ!」


「は、はぁ……」


 怒涛の勢いで捲し立てる木原に、昇は少々気圧される。

 無愛想で当たりの強い者や自分のペースを一方的に押し付ける者との会話は、昇にとって初めての体験だった。


「ええとあの、おれは」


「分かってるよ、人間だって言うんでしょう? でも今のままみんなに信じてもらうのは難しいかな。だってほら、君は特危獣の体なわけだし」


 木原は機械を操作すると、小型のパッチを昇の左胸に貼り付けた。

 動かせる機械を昇の周囲から遠ざけて、赤いボタンを押す。


「ちょっとビリビリするよ」


 言うが早いか、昇の体に強烈な電流が迸った。

 鼓動と呼ぶには激しすぎる衝撃が脈打ち、血液が激しく沸騰する。

 木原が機械を止めた時、昇の姿は特危獣のそれに変わっていた。


「そんな……」


 自分が人外の存在に成り果てたことをようやく実感し、昇は思わず下を向く。

 機械の位置を元に戻しながら、木原が諭すように言い聞かせた。


「これで分かったでしょ? 君はその姿でフォックスと戦った。そして倒れた君はこの研究室に運び込まれて、目覚めるまでデータを収集されまくっていたんだよ」


「……俺、これからどうなるんですか」


「さあねえ。上でみんなが君の処分について会議してるから、それの結果待ちかな」


「そう、ですか」


 昇は人間の姿に戻り、未だ鳴り止まない心臓の音を確かめる。

 暫し沈黙する二人の元に、甲高いサイレンの音が鳴り響いた。

 階段を駆け降りてきた月岡が、緊迫した様子で言う。


「特危獣022・バイソンが出現した。現地の警官隊が対処に当たっている。俺もすぐに向かう!」


「分かった。くれぐれも気をつけてね」


 デスクから幾つかの弾倉を取ると、月岡は全速力で奥の扉を潜った。

 扉の向こうからエンジンの音が響き、やがて遠ざかる。

 木原はスクリーンの前に座ると、毅然とした表情で月岡たちのナビゲートを開始した。

 暴れ回る猛牛の怪物に、警官隊は為す術なく蹂躙されていく。

 街の惨状を目に焼き付けながら、木原は意を決して呟いた。


「やっぱりこの手しかない」


 木原はゆっくりと立ち上がり、未だ拘束されたままの昇に近づく。

 戸惑う昇の目を見て、彼女はハッキリと告げた。


「キメラちゃん。あなたには特撃班の戦力としてバイソンと戦って貰うよ」


「えっ!?」


「実戦で結果を出せば、上もひとまずあなたの処分を保留にする。あたしも自分の理論を証明できる。悪い話じゃないと思うけど?」


「分かりました。やります」


「そうだよね、こういう時は迷うのが……即答!?」


 予想外の返答に、木原は思わず素っ頓狂な声を上げる。

 昇は大きく頷くと、戦うことを選んだ理由を語った。


「おれの一番尊敬する人が言ってくれたんです。『生きることを諦めるな』って。生きてさえいれば、月岡さんもきっとおれを人間だって認めてくれます。そのために、今は特危獣になって戦います。……それに」


「それに?」


「自分の力で打開できる状況って、初めてだから」


 病魔との戦いでは、昇は信じて耐えることしかできなかった。

 しかし特危獣との戦いならば、自力で脅威を退けることができる。

 瞳の奥に燃える闘争本能を見て、木原はニヤリと口角を上げた。


「……なるほどねぇ」


 昇の手足に繋がれていた鎖を解き、彼を自由にする。

 起き上がった昇の手に、彼女は白い腕輪を握らせた。


「これは?」


「『ショックブレス』。任意で特危獣の姿になれる、あたし特製のスーパーアイテムだよ」


「わぁ……ありがとうございます!」


 昇は深々と頭を下げ、ショックブレスを右手首に装着する。

 そして自分の足で研究室の床を歩き、月岡が通ったのと同じ出口から戦いの場所へと駆けていった。

——————

鼓動を超えて




 車ひしめく車道の中心で、特危獣022・バイソンは雄叫びを上げた。

 腕の一振りで電柱をへし折り、倒れた電柱が大規模な交通事故を引き起こす。

 勢い余って突っ込んできたトラックに、バイソンは頭部の頑強な角を振り下ろした。


「ヌンガー!!」


 頭突きで車体を粉砕し、這い出てきた運転手を数発殴りつける。

 運転手の体が物言わぬ肉塊に変わった頃、警官隊がバイソンを取り囲んだ。


「撃て!」


 警官隊は一斉に発砲するが、バイソンはそれを物ともせず警官隊に接近する。

 蝿を払うような動きで一人を叩くと、彼はそれだけで気絶した。

 続けてもう一人を始末しようとした時、後頭部にチクリと痛みが走る。

 痛みの方へ振り向くと、そこには月岡が銃を構えて立っていた。

 更に数発弾丸を撃たれ、バイソンは怯む素振りを見せながら後退する。

 確かな手応えを感じて、月岡は心の中で呟いた。


「流石は木原さんの開発した特殊弾だ。普通の奴とは効き目が違う」


「ヌゥ……ヌンガーッ!!」


 度重なる攻撃に腹を立て、バイソンが月岡目掛けて突進する。

 月岡は再び発砲するが、超硬質の角は特殊弾を容易く跳ね除けた。

 そのまま月岡の体を掴み、バイソンは大きく跳躍してショッピングモールの立体駐車場へと移動する。

 破壊された駐車場の壁を見て、遅れて駆けつけた昇が呟いた。


「あそこか!」


 向かおうとする昇の耳に、子供の泣き声が聞こえてくる。

 それは車の下敷きになった母親を助けようとする幼い少年の声だった。

 泣き喚く息子に、母親が最期の力で語りかける。


「私はもう助からない。あなただけでも、生きて……」


 そして母親は力尽き、少年はこの世の全てを呪うかのような悲鳴を上げた。

 平和な日常や続いていく筈だった人生を理不尽に奪われた者たちの嘆きが、絶望となって街に充満する。

 昇は拳を握りしめると、駐車場までの道を疾走した。


「がはッ!!」


 鉄筋コンクリートの床に叩きつけられ、月岡の骨が軋む。

 彼は痛みを堪えながら零距離射撃でバイソンを怯ませると、拘束を脱して柱に身を隠した。

 深呼吸をして精神を落ち着かせ、弾丸を補充する。

 月岡が再び拳銃を構えようとした刹那、バイソンが近くの乗用車を渾身の力で投げつけた。


「くっ!」


 月岡を守っていた柱が粉々に砕け、強い衝撃を受けた車が大爆発を起こす。

 爆炎は周囲の車に引火し、駐車場は瞬く間に火の海と化した。

 身動きの取れない月岡に、鼻息荒くバイソンが迫る。

 月岡が死を覚悟したその時、一つの影が飛び込んだ。

 影は月岡を突き飛ばし、バイソンの拳から彼を守る。

 赤い炎に照らされた影––日向昇の顔を見て、月岡が叫んだ。


「お前っ、どうしてここにいる!」


「戦いに来たんです! あいつを倒して、みんなを守るために!!」


「そんなこと信じられるか!!」


「信じさせる!!」


 研究室での弱気さとは似ても似つかない剣幕に、月岡は思わず絶句する。

 昇は力強く立ち上がり、右腕のショックブレスを起動した。


「人間として、生きるために……」


 5万ボルトの電流を全身に迸らせ、昇はバイソンへと立ち向かう。

 果敢に打撃を浴びせながら、彼は思いの丈を曝け出した。


「おれは生きることを諦めない! みんなにも諦めてほしくない! どうにもできない死の恐怖なんて、誰にも味わわせたくないんだ!!」


 電気を纏った蹴りでバイソンを吹き飛ばし、昇は拳を握りしめる。

 彼はその拳で己の心臓を叩き、全身に湧き上がる力の名を叫んだ。


「超動!!」


 鼓動を超えた鼓動が細胞を極度に活性化させ、昇を戦うための姿へと変える。

 獅子の頭、山羊の胴体、蛇の脚。

 生きとし生けるものを守る戦士が、炎の中に誕生した。


「……アライブ」


 日向昇の変身体に、月岡は新たな名を授ける。

 アライブは大きく頷くと、バイソンに向かって走り出した。

 迎え撃つバイソンより一瞬早く拳を振るい、怯んだ隙に猛攻を仕掛ける。

 しかしバイソンも負けじと角でアライブの攻撃を受け止め、そのまま角を構えて突進した。

 遮る柱を砕きながらアライブを壁際に追い詰め、彼を何度も殴りつける。

 バイソンがトドメを刺そうとしたその時、彼の聴覚が一つの悲鳴を聞き取った。

 逃げ遅れた少女が焦るあまりに転倒し、起き上がれずに泣きじゃくっている。

 月岡が救助に向かおうとした刹那、バイソンが角の矛先を少女に向けた。


「やめろ!!」


 月岡は遮二無二銃撃を仕掛けるが、闘争本能の高まったバイソンには通じない。

 バイソンは大きく鼻を鳴らすと、少女目掛けて再び車を投げつけた。

 鉄の塊が高速で飛来し、一つの命を奪わんと襲いくる。

 間一髪で車の前に立ちはだかったアライブが、全身でその威力を受け止めた。


「ぐっ!」


 鈍い音が轟き、凄まじい振動がアライブの体を駆け巡る。

 それでもアライブは屈することなく、特危獣の手から少女を守り抜くことに成功した。


「ありがとう……」


 少女は蚊の鳴くような声で礼を言い、駆けつけた母親と共に避難する。

 戦いに終止符を打つべく、アライブは車を踏み台にして跳び上がった。

 自身の細胞から山羊の角を模した曲刀・ゴートブレードを生成し、落下の勢いに乗せて振り下ろす。

 アライブはバイソンの角を両断すると、流れるようにゴートブレードを突き立てた。


「ヌグゥウ!!」


 反り返った刀身がバイソンの心臓部を貫き、血が滝のように流れる。

 やがてバイソンは生体活動を維持できなくなり、膝から崩れ落ちて事切れた。

 アライブはそこでようやく変身を解き、紅く染まった刀をどろどろの細胞片に還す。

 アライブ––昇に駆け寄った月岡が彼の手を取って走り出した。


「駐車場が崩れる。逃げるぞ!」


「は、はい!」


 崩落する駐車場からどうにか脱出を果たし、二人は人気ひとけのない路地裏に辿り着く。

 警察や救急隊、報道陣のひしめく街は、もうすっかり橙色の夕暮れに包まれていた。

 ぼんやりと空を眺めながら、月岡がぼそりと呟く。


「……今日の所は、礼を言ってやる」


「おれの方こそ、ありがとうございます。おれのことをアライブって呼んでくれて」


「ただの皮肉だ。お前があまりにも生き汚いからな」


「それでも嬉しいです。少なくとも、特危獣とは違うって分かってくれたから」


 屈託のない笑顔を向ける昇に、月岡は思わず顔を逸らす。

 月岡の背にもたれかかり、昇は空を見上げて言った。


「これからどうなるのかは分からない。でもおれ、月岡さんと見たこの夕陽だけは絶対に忘れません」


「……勝手にしろ」


 昇の言葉をあしらいつつも、月岡は顔を上げて夕陽を見つめる。

 背合わせの二人を照らす太陽は、忘れられないほど美しかった。



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