或る奇妙な弁護士の事件簿

駒井 ウヤマ

短編 或る田舎駅の出来事

 カタタン、カタタンと小気味良い音を立てて列車が通過していく。

 まったく、このS県とやらは鉄道さえも北方軽視。南部は新快速電車が4つも5つも停車するのに、北部と言えばそもそもM市以北は朝の一時以外は1時間に多くて2本と、やれ「各停の待ち合わせが面倒」だとかくさす南部の人間が聞けば気を失うほどの惨状だ。

 閑話休題。

 そんな、今特急が通過していったこのY駅もそんな北方の哀れな駅の1つ。登山シーズンであればまだ繁盛もするのだろうが、生憎とこんな梅雨の時期に利用する物好きはまあいない。駅員もいないからガランとした構内には人っ子一人・・・。

「スウ・・・スウ」

 否、一人いた。T市行きのホームのベンチに一人、男が腰かけていた。年の頃は中年以上初老未満と言ったところか。半白の髪をふさふさと撫でつけ、同じ色の口髭を蓄え顎髭も丁寧に三角へ整えているところから、かなり上品なロマンスグレーと思われる。ただ、こんな蒸し暑い時分にもかかわらずダブルのスーツを纏った上、鼠色のインパネスを羽織ったスタイルは少々妙ではあるものの。

 だが、男は汗をかくことも無く今どきの若者の様に携帯電話で時間を潰すでも無く、寝息のような呼吸をしながらただ呆とベンチに座っていた。いや、若しかすれば本当に寝入っているのかもしれない。そのくらい、そのジェントルマンに動きは無い。

 と、そんな男の前に数両編成の列車が停車する。無論、こんな駅で降りる乗客がドヤドヤと大勢いるはずも無い。ただ1人、カッター姿のサラリーマンと思しき青年が大事そうに鞄を抱えながら降り立っただけだ。

「さて・・・おわ!」

 青年が面食らったのも無理は無い。こんな駅で、こんな風にベンチに座っている男がいると、予想しているほうがどうかしている。ただ、そこから先の青年の行動は目を見張るものだった。ツトツトと男の元へと近づくと、申し訳なさそうにポンポンと肩を叩く。

「あの・・・もし。電車が・・・」

 恐らく、青年は男が列車待ちをしており、寝入ってしまったのだと考えたのだろう。恐る恐るだったから話しかける前に列車は出て行ってしまっていたが、この殺伐とした渡世を鑑みるになんと慈愛に溢れた行動ではなかろうか。キラリと薬指に指輪が光ることからも青年は既婚者だろうが、こんな青年を伴侶と持てた妻はさぞや幸せ者だろう。

「あ、あの・・・もし?」

「ん?ああ・・・どうしたのかネ?」

 何度目かに声をかけた時、ようやく男の瞼はそろりそろりと開く。その気怠そうな声からも、青年は予想が当たったと内心ホッと息を飲んだ。流石にこんな、余人のいない駅で不審者に対応するのは嫌なのだ。

「い、いえ。電車・・・出てしまいましたが・・・」

「オヤ?本当かネ」

「は、はあ」

 何たること、と言わんばかりに男は大仰に被りを振る。そして、そのまま男はギュッと青年の手を握ると、

「イヤイヤ、お気遣いすまないネ。私に出来ることなら何でもしよう、君はこんな所まで何の用だね?」

「え?い、いえいえ、お気になさらず。私はその・・・待ち合わせに」

 話好きなのは年配の人間の常とは言え、その男のグイグイ来る様相は常軌をいささか逸している。青年が思わず目を反らすのを、誰が非難出来よう。芝居がかった仕草といいジッと目を見てくる話し方といい、関わりたい人物ではない。

「そうかネ・・・そうか、そうか」

 そんな青年の心情を知ってか知らずか。男はそう呟くと何事も無かったかのように座り直す。よもや、次の列車が来る1時間後まで待つつもりなのだろうか。

「は、はあ・・・。それで、貴方は?」

「私?私かね?私は・・・まあ、似たようなものサ。そう、そうサ、そうさネ」

 思わず、尋ね返してしまった青年へ男は少し腰を浮かせポンポンと肩を叩きつつ、そう答えにならない答えを返す。そんな男に若干の気味悪さを感じつつ、青年もまた少し離れてベンチへと腰掛ける。

 おや?では、この青年の待ち合わせ相手と言うのも電車で来るのだろうか。ならばもっと便の良い駅で待ち合わせすれば良いものを、男には負けて劣るが青年の動向も、普通ではない。

「スウ・・・スウ」

 そんな、寝息のような呼吸音を隣に青年は胸ポケットから携帯電話を取り出す。暇つぶしにしては少々真剣過ぎるように見える眼差しで画面と腕時計を見比べつつ、時折列車が来るであろう方向へと目を送る。どうやら、待ち合わせ相手は余程に重要な、それこそ青年の人生を変えかねないほどの相手なのだろう。

 しかし、次の瞬間に青年がとった行動はどうしたものだろう。いきなりホームの点字ブロック辺りまで歩み出ると、何かを撒くような仕草を2度3度と繰り返したのだ。それも、ブンブンという擬音が付きそうなくらい、素早く。そして、それをもう何度か繰り返すと青年は大きく溜息を吐き、トボトボとベンチへと戻る。前言撤回、男のみならず、この青年も負けず劣らず奇妙だ。

「・・・はあ」

 それからは青年に動きは無く、時折チラチラと寝入ったように座る男へ視線を送ったり腕時計を眺める以外、ただ呆とベンチへ座ったまま。そのまま、まるで悠久の時間が過ぎるかと思われた。が、

「ううん・・・では、失礼するヨ」

 男は大きく伸びをすると、今までののんびりが嘘のようにスックと立ち上がった。そして青年に挨拶すると、年の割には―と言っても男の正確な年齢など知らないのだが―矍鑠とした動きで青年を残し改札へと歩き去る。待ち合わせでは無かったのか。この地に用があるのなら、今までベンチで座っていたのは何だったのか。そんな青年の疑問を他所に、男は無人の改札へ電子切符をピッと押し当て、何事も無かったかのように駅から歩き去った。

「・・・はあ」

 そして、道を曲がった男の影が見えなくなると、青年は安堵の息を吐く。しかし、尚も油断は置けぬと、まんじりともせず改札を睨めつけ1分・・・5分・・・10分を数えようかという頃にやっと、「・・・ほう」と大きく息を吐きドサリとベンチへ座り込む。

「何だったんだ、あの人は?」

 独り言にもかかわらず、『彼奴』や『あの男』と称さないあたりに青年の人品の良さが滲み出ている。

 だが、青年はそんな男のことは些事とばかりによいしょと立ち上がり、腕時計を確認すると驚いたように瞼を瞬かせた。

「もう、こんなに?」

 いつしか、青年がこの駅に到着してより30分近く過ぎていたのだから驚くに疑義を呈するにはあたらないが、はて?青年の待ち合わせ相手はどうしたことか。慌てたように青年はホームの向こう、列車が来る方向へキョロキョロと、まるで赤白ボーダーの青年を探すかのように、目を皿にして彼方を見渡す。

「・・・良し」

 何が良しなのか。しかし青年は明らかに安堵した様相で、再びベンチへと戻る。そして再び携帯電話の画面と腕時計とを食い入るように見比べる。携帯電話を掴む指にあまりに力が入り過ぎているせいだろう、保護用のクリアケースはミシミシと悲鳴を上げるが、青年がそれに気が付く様子は無い。

 そして、数分後。この駅について最大級の大息を、まるで肺腑の残存空気を全て吐き出すかのような大息を吐きだした青年はギュッと口を真一文字に結ぶと携帯電話を胸ポケットに仕舞い、のろのろとベンチから腰を浮かす。

「・・・・・・すまない」

 それは何への、何の謝罪なのか。左手で鞄の持ち手を万力の力で握りつつ、ようやく立ち上がった青年は胸ポケットの携帯電話を掴みながらホームへと1歩を踏み出し・・・。

「・・・ああ、キミ。自殺は止めたまえよ」


「ええ!?」

 ガバと、腰も砕けよとばかりに青年は振り向く。しかし、そこには誰もいない。では今のは何かの幻聴か、それとも自分の躊躇かとゴンゴンと額を拳で叩く。

「気のせい・・・か?」

「いいや、違うヨ」

 そんな青年の迷いを否定するかのように、再び声が届く。それは間違いなく、先程の男の声だった。

「し、しかし・・・どこから?」

「遠くから、サ。いやいや、技術の進歩と普及は目を見張るものがある。私のような一介の素人が、怪獣男爵や二十面相の真似事が出来るのだからネ。まあ、電話だと思ってくれれば良い」

「で、電話・・・ですか」

「ああ。まま、そう突っ立っていないで、まずは座ってはどうかネ?」

 しかし、話し始めから今まで、この青年の行動を把握しているとしか考えられない物言い。そこから察するに、どうやら男はこのホームの見えるところから話をしているのは間違い無いようだ。

「い、いえ・・・このままで。そ、それより!」

「おや?違ったかネ?」

「そ、それは・・・」

「ナニ、それほど難しい話じゃ無いサ。キミが待ち合わせと言って尚あのホームに座っていたことから、ソレが嘘だとは容易に想像がつく」

 普通、駅で待ち合わせとするならばパターンは2つ。1つは片方が列車で来て、それをもう片方が車で迎えに来る場合。そして、もう1つは互いが列車で来てその中間駅で待ち合わせる場合だ。

「だが、相手が車で来るとするなら、駅のホームではなく改札を出た所で待つのが普通だ」

「い、いや・・・相手は列車で」

「来ると言うのかい?なら、こんな駅で無し、もっと都合の良い駅は無数にある。それに、仮にキミが言う通りなら相手は北から来ると考えるのが尤もだが、ならばキミが待つべきは反対のホームだ。違うかネ?」

 その問いに、青年は答えようが無かった。

「沈黙は金、かネ。それも時と場合によっては悪手だが・・・まあ良かろう」

 しかし、男はそんなことは知らないとばかりに言葉を紡ぎ続ける。

「つまり、キミは嘘を吐いて私を騙したということになる。・・・ああ!気にしないでくれたまえ。私はそんなことは気にしない男だヨ。続けよう、嘘を吐くということは・・・うむ、内容は関係ない。それ自体その人の心を測る上で重要なファクターなんだヨ」

 この場合、青年が理由を偽ったということは、その理由が人に言えない要件だと、そう言ったも同然ということになる。つまりは『語るに落ちた』と。

「しかし、話して分かったがキミは犯罪に手を染める人間じゃない。いや、染められる人間じゃない、と言う方が正しいかナ」

 勿論、個々人の人品とは無関係に犯罪行為に加担するorさせられるケースは多々あるから、そう一概に言い切るのは危険なことだ。しかし、それを承知の上で男がそう言い切ったのは、1つの理由があるのだが・・・その話は後にしよう。

「なら、残る選択肢は1つだ。キミは自分の命を絶とうとしている。それも・・・さっきからしていた仕草から考えるに、あれかナ?胸ポケットから携帯電話を取り出そうとして、手が滑って、誤って列車と衝突と。そんなストーリーかネ?」

「ど、どうしてそこまで・・・あ!?」

 思わず漏れ出た言葉に、青年は口を押える。

「ハハ、ようやく語るに落ちたネ。いや、その言葉が聞きたかったんだヨ、私は」

 パチパチと、おちょくるような手拍子が聞こえる。

「事故を気取るのは、生命保険関係かナ?芝居は無筆の早学問という言葉があるが、ドラマや漫画でそういった小賢しい知識を身に着けるのは関心しないヨ、私は」

「・・・・・・・・・」

「付け加えれば、キミがこの駅を選んだのは・・・そうだネ、人の利用が少ない無人駅だからかナ?それにカーブを曲がった先にある駅だからネ、運転士も加速をかけるところなので、万が一にも・・・」

「もう、いいです」

 つらつらと立て板に水の様に、自身へ浴びせられる言葉の数々にとうとう青年は降参の声を上げた。

「もういいです。どうして・・・どうしてここまでして止めるんです?」

 常識的に考えて、自殺しようとする者を止めようとするのは分かる。しかし、ここまで大仰なセットを組んでまで止めようとする、その心根が青年には分からなかった。

「ふむ?止めてはいかんのかネ?・・・と、おふざけは止そう。私がキミを止める理由は1つ、頼まれたからサ」

「た、頼まれた?誰に?」

「キミの奥方」

 今度こそ、青年の精神は打ち砕かれた。辛うじて残った気力が膝を折らせずにいたが、その心の縁は絶望に沈みかけていく。まさか、最も知られたくない人に、知られていたとは!

「なんでも、最近のキミの様子がおかしいとネ。奥方が相談した友人が、まあ奇縁だが私の事務所の職員でネ。つまりはそういうことサ」

「貴方は・・・貴方は探偵なんですか?」

「いいや違う。私は唯の、一介の弁護士サ。ああ、だから今朝、彼の職員がキミを着け回したことは内緒にしてくれたまえ。ま、ストーキングで訴えてくれても構わないヨ?」

 どこまで本気なのか、声だけでは判別できない台詞回しに青年の混乱は増々深まっていく。

「ああ、最後に言っておこうかネ。私がこんな手間のかかることをした理由だが、それは偏に時間稼ぎサ」

「時間・・・稼ぎ?」

 最早考える気力も無いのか、青年の口からはオウム返しが漏れる。

「そうサ。いくらあの場でキミを止めようと、私はこの通り年嵩でネ、振りほどかれては対処出来ないし、単に懇々と諭すだけでは繰り返すだけだ。だから一旦決心させて、こうして驚かせて、ハッタリ混じりの推理を聞かせて、キミから死ぬ気を失わせたんだヨ」

「死ぬ・・・気?」

「死ぬ決意、と言った方が分かり易いかネ?人というのはずっと『死のう』と思い続けることは出来ない生き物だ。だから、思い至って実行する前にこうして時間を稼げば、決意を恐怖が上回る。どうだい、今でも飛び込む勇気はあるかネ?」

 ハッと、その言葉に前を見る。あの時は何でも無かったホームの端までの距離が、今の青年には那由他の彼方に思える程遠く、足は結えつけられたように動かない。

(怖い、怖い、怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!)

 手は戦慄く震え、心臓はまるで早鐘の様にドクドクと鳴り響く。

 もう、青年には自ら死を選ぶことなど出来ないだろう。それに、妻にバレているのならもう、その意味は無い。

「ああ・・・その感じから察するに、もう大丈夫そうだネエ」

「あ・・・ああ・・・」

「大丈夫、それで良いんだヨ。こんな決意をする羽目になったのは、仕事を首になったか借金のせいかは知らないけどネ」

 どこか、その声はさっきまでとは違って、優しく青年を包み込むようだ。

「でもサ、キミは不受理に終わったとは言え、死ぬ決意だって出来たんだ。ならサ、そんな理由を挽回する決意だって、出来る筈サ。それじゃあネ」


 ブツンと、最初に声が聞こえ出した時と同じように、一方的に交信は途切れた。時間としては数十分くらいだったろうか。青年が腰を上げた時と同じように、駅のホームは静寂に包まれていた。

 暫し呆然と立ち尽くしていた青年だったが、フラフラとした足取りで男が座っていたベンチへと歩を進める。トボトボと、まるで迷子の少年のような足取りだ。

「・・・・・・あ」

 そして、そのベンチの下で見つけた。小さなスピーカーのような機械だった。恐らくは、これに電話をかけて、青年と話をしていたのだろう。拾ってクルリと裏返してみれば、そこにはテプラで印刷した『有藤法律事務所』のシールが貼られていた。

「っつ、こんな!」

 こんな子供騙しに。青年は咄嗟にそれを地面へ叩き付けようと振り被る。

 だが、出来なかった。明らかに間違っているのが青年の方だとか、物に当たっても仕方がないとか、それ以前の段階の理由で。

「う・・・うう・・・」

 ポタリ、ポタリと両眼から熱い液体の雫がコンクリート造りの床に雨垂れを作る。そして、それは忽ち滂沱のような大洪水に発展していった。

「うう・・・ううう・・・ううう・・・うううううううう」

 手が痛むのも構わずに。膝が汚れるのも構わずに。青年は膝をつき、手をつく。

 そんな青年の前を、列車が通り過ぎて行く。青年が、自分の命を奪わせようとしていた特急列車だ。にもかかわらず、列車は青年の嗚咽を掻き消すように、音を立ててあげながら通り過ぎて行く。


 カタタン、カタタン、カタタンと。

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或る奇妙な弁護士の事件簿 駒井 ウヤマ @mitunari40

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