第32話 「おかえり」

「おはようはやて君」

慈枝よしえさんおはよう』


『もう早く帰れるようになったんですね』

「うん、すごい半月間だったよ」

『よかった。慈枝さんの生活のリズムが戻って』

「冷蔵庫の中身をチェックしないとね。きっと賞味期限切れが発生してるよ」


「颯君は遅くなるってことあるの?」

『作家さんから原稿が上がってこなければ“待ち”ってことになりますけど、今はリモートの時代で、昔みたいに作家さんの自宅に居座ってっていうのはないです。まあ、運がいいのか、俺はそんな“困ったちゃん”の先生に当たったことがありません』


 マンガでよくみる、真夜中に“先生、締め切りまであと10分です”はないのか。


 …………


『ただいま』

「こんにちは、おとうさん、おかあさん」

『颯、慈枝さん、おかえり』

『おう、慈枝さんおかえり』


 初めて“おかえり”って言ってもらった!


「ただいま、おとうさん、おかあさん。お二人は外出されるんですか」

『イノシシ牧場がオープンしたそうだから、ちょっと見に行ってこようかと』

『ああ、先月号で特集したあれ』

『今夜はイノシシ鍋ね。あ、お昼は鶏ハム作ってあるから』

『冷蔵庫の中のものをなんでも食べてくれ。あと中華生麺あるぞ』

『『じゃーねー』』


『慈枝さん、すいません。フットワーク軽すぎな父母で』

「フフフ、仲良くていいと思うよ」



『お兄ちゃん、慈枝さん、おかえりなさい』

琴菜ことなちゃん、ただいま」


『ゆっくりしてってください。お祖父ちゃんたちは、若人わこうど会の旅行に参加してます』

「若人会……」

『何十年か前はみんな若人だったんですけどね』


 …………


『これが、DVD-BOX』

「これがヒロイン? なるほど大柄な子ね」


 身長だけじゃなく大きい……これで中学2年生……颯君こういうのが好きなのかな?

 私ので大丈夫かな……


「ねえ颯君、颯君は……」

『え?』

「……ううん、何でもない、DVD見ましょ」

『あ、ポップコーンとコーラ持ってこなきゃ』


 颯君はきっと私のでいいって言う……私のでいいとしか言わないと思う。

 だからやっぱり聞けない。



『はい、持ってきましたよ。それで、何分古いアニメなので、今なら絶対許されないようなシーンがあるよ。未成年の喫煙とか』

「80年代でしょ。まあそういうこともあるでしょうね」

『では、スタートです。ポップコーンとコーラは自由にどうぞ』


 …………


「見つめ合って、好きになっちゃったんだ」

『作者さん、理屈じゃないって主張したいんでしょう。まあ同感です』


 …………


 ヒロイン、プレゼントしたマフラーをケンカで台無しにされたのに、主人公君のケガを心配するなんて、すごい包容力ね。


 …………


「3話見ました。そろそろお昼にしますか」

『そうね、キッチンに行きましょ」



「あ、ミョウガあるよ」

『じゃあ、ミョウガの冷やし中華にする?』

「ぜひぜひ」

『具は、鶏ハム、ミョウガ、長ネギ、モヤシ、ショウガがいいかな』


 12年越しで念願がかなったよ。


『はい、じゃあ、俺は冷やし中華作りますから、何か副菜お願い』

「えっと、モヤシとワカメで中華風のスープ作るね」


 …………


「颯君、スープもできあがったよ」

『冷やし中華もうすぐ完成です。すいませんがこーちゃん呼んでもらえますか』

「はいよ~」


 …………


『琴菜ちゃん、お昼できたよ』

『あ、もうこんな時刻……今行きます』



『あ、お父さんの冷やし中華だ。このスープは慈枝さん?』

「そう、ちょっと自信があるよ」


『『「いただきます」』』


『お兄ちゃん美味しいよ』

『うん、よかった』


「颯君、美味しいよ。おとうさんのよりおいしいかも」

『そ、それは、不穏当なので内緒にしておきましょう』


『慈枝さんのスープも美味しいです』

「これ、ゴマ油の加減が難しいの」

『ああ、わかります。ゴマ油の風味って強いですから、ちょっと多いだけでも希釈ゴマ油になってしまいます』


 面白い言い方ね。


「そうなのよ。でも中華風スープとか豚汁はやっぱりゴマ油の風味が良く合うから」

『そうですよね』



「颯君、この前私の実家でね、朝ご飯を琴菜ちゃんとお兄ちゃんで作ったの」

『よーくんがオムライスを作って、私がスープと海藻ミックスサラダを作った』


 あの3日間であったこと、琴菜ちゃんがお兄ちゃんを癒して元気づけたことはこういう場では話さないほうがいいよね。

 よし、明日はDVDじゃなくて、ドライブデートをお願いして、その場で話してみようか。


『こーちゃんの作った料理はどうでした?』

「おいしかったよ。あれなら自炊も大丈夫だと思うよ」


 その先、お兄ちゃんと一緒に暮らしても大丈夫だと思うよ。


『慈枝さんに認められると嬉しいです』


「うん食べちゃお」


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「主人公君の実家って、ランジェリーショップなんだ」

『男一匹とか言ってるのは家業に対する反発かな?』

「男の子ってそういうものなの?」

『人それぞれと思いますが、男がー男がーって言ってる人はそういう傾向があると思います』

「ふーん」


 …………


 颯君あくびしてる。眠くなったのかな。


「どうしたの。眠くなった?」

『あ、すいません。休日はお昼を食べると眠くなります』

「そういうことあるよね」


『せっかく来ていただいたのに、寝ちゃうのは失礼ですよね』


 …

 ……


『慈枝さん、どうしました?』


 ヨシ!


「膝枕、してあげる」

『いやいや、足痛くなっちゃいますよ』

「いい絨毯が敷いてあるから大丈夫だと思うよ……ほら来て」

『本当にいいんですか?』

「許す、とかじゃなくて、私がしたいんだよ」


 膝に重さを覚えさせたいから。


『そ、そうですか……じゃあ、お邪魔します』

「はい、いらっしゃい」


『ドキドキします』

「そお? 声がトロンとしてるよ。眠ってもいいよ」



 颯君、寝ちゃった。


 可愛い顔して寝てる。




 重さが心地良い。




『よしえさ……』


 ……颯君の寝顔を、寝言をこの上ないものと感じる。


 このまま、ずっと……


 頭を抱き抱えると、胸が颯君の顔に触れた……また、電気が。


 乳房って授乳のためだけって力説してる人がいる。

 異性を誘うためっていう人もいる。


 授乳だけ、は違う。

 異性を誘うためっていうのは違わないかもしれないけど、

 私は、自分のスイッチを入れるためにあると思う。


 今、颯君の顔が胸に触れた。だから、もう迷わない。



 ん?

 ノック


「はい?」

『ずいぶん静かですけど大丈夫ですか?』

「颯君、寝ちゃた」

『飲み物を持って来たんですが、やめときますか?』


 そうだ、いつもこの二人には当てられっぱなしだから、たまには見せつけてやらないと。


「ちょっと動けないから、申し訳ないけと持って入っていただけますか」

『動けない? はあ、わかりました。おじゃましま!』


 大成功!


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


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