第2話

 ガラスケースに顔を近づけて、モヤモヤをジーッと観察するが変化は見られない。


「教授、そういう抽象的な話は興味無いです」


「ふっふっふっ、よーく観てご覧」


 ガラスケースのモヤモヤから小さな手がスーッと二本出てきた。


「うっ、気持ち悪い。何かの映像ですか?」


「言ったろ。ガラスケースに封入しただけの悪夢だよ」


「悪夢の抽出なんて……」


 ガラスケースには電源らしきケーブルは見えない。ケース下に外部電源か、内蔵バッテリーの類があるのかも。ガラスケースは大きいし、隙間や下部に空洞があれば、小柄な人なら問題なく入れる可能性がある。


 小さな手は左右の手で円を描き、黒い頭部らしき影がゆらゆらと動きながら、ガラスにへばりつく。


『……あ……あ……あ……』


 段々と顔の輪郭がハッキリしてくる。


 ぱん!


 教授が手を叩くと人形は霧散してガラスケースのモヤモヤだけになった。


「幽霊の正体見たり枯れ尾花おばな、です」


 私が言うと教授は、ニヤリと笑った。


「江戸時代の俳人、横井也有よこい やゆうの詠んだものとされている。幽霊や妖怪の類は単なる見間違えで枯れた木の葉や枝だったというものだ。怖い怖いという自身の恐怖心や他人の言葉が本来何も無い空間に怪異を生み出してしまう。この箱には、きみが言うように見間違えが発生するものが入っている。それがきみの回答かい?」


「全然違います。私、犯罪心理学を勉強していますので、人の汚い部分をそこら辺の大学生より深くみてきました。教授がガラスケースに入れたのは、です。国レベルの話に切り替えましょう、この中には核兵器を超える新型兵器が入っているかもしれない。すると偶然知った隣の国がわあー、怖い怖い! 向こう奴等が新型兵器を作ったぞ! 早く我々も負けないように早く創るぞ! 地球の反対の大陸の国々は、二つの国が新型兵器開発競争をしてると聞いて、対抗するのか属国に成り下がるのか会議が始まります。あとは、どっかの国が一発だけミサイルを大陸に落とせば第三次世界大戦の始まりです……だから、これは人の悪意です」


「エクセレント!」


 教授は、パチパチと拍手してからガラスケースをコンコンと叩いた。


「きみの仕事は終わりだ。お疲れ様」


 ガラスケースのモヤモヤは生き物のように揺れて、霧散して消えた。


 ガラスケースには人形らしきものすら見当たらない。


「煙は説明出来ますが、現れた人影はなんですか?」


「リン君はマジシャンにマジックのタネをいちいち尋ねるのかい。聞くのは野暮というものさ」


 教授は話を続ける。


「きみが、ガラスケースの煙一つでどこまで想像力を発展、飛躍させるのか? それが知りたかった。人という生き物は、物理的や心理的、なんでも法則やルールに落としてつまらない現実物に変化させてしまう輩が多い。いいじゃないか、目からビームが出ようが、詠唱えいしょう無しで魔法が使えようが、強すぎるキャラを簡単に殺そうが、文句があるなら自分で何でも創れば良い。自分は何もしないで批判や文句だけ垂れ流すのは、消費するだけの暇な人間の特権さ」


 私にも心当たりがある。歌をネット配信した事も無いくせに歌枠ばっかりでつまらないとか、絵も描いた事が無いくせにAIイラストはズルい、ラクし過ぎとか……後で、しっかり謝って書き込みを消そう。


「教授的に私の回答はどうでしたか?」


「戦争の要因など、理由を付ければいくらだって出せるのだから考えても無駄だ。きみの自信たっぷりのいい加減な論理で話した国同士のやり取りですら戦争のトリガーとなり得る。違うかい」


「バレちゃいましたね。でも、一つだけ訂正してください、戦争の要因を考えて防ごうとする事は絶対無駄ではありません」


「ふっ、発言を訂正する。戦争程に愚かで無駄な事はないからね。コーヒーでも飲むかい?」


「頂きます」


 カップを受け取りコーヒーを飲んでいると、教授はノート型パソコンを開いて私に見せてきた。


「リン君、最近のAIは大変面白いよ。絵や文章の生成から、落ち込んだ際の対応相談もしてくれる。これを見てくれ」


 画面には、上と下に英語の単語や短文が沢山入力してあった。


「えっと、女の子一人、青空、気品がある、メイド服、頭に猫耳カチューシャ……教授の趣味ですか?」


「四十過ぎのおっさんが猫耳メイドさんになるのは、無理があるだろう。リン君、もうちょっとモニターのカメラに顔を近づけて左右にゆっくり顔を動かしてくれ」


「こうですか」


 ノート型パソコンの小さなレンズに顔を近づけた。


「オッケー。先に説明すると、上の文字は反映させる指示、下の文字は反映させない指示となる」


「はあ……」


 教授がキーボードをカタカタすると、真っ黒の画面が現れて段々と人形が表示されていく。


 そこには、猫耳メイド姿の私が映っていた。


「なっ! なんて事するんですかバカ教授!」


「はっはっはっ、中々可愛いじゃないか」


「恥ずかしいから早く消してくだ……待ってください、確かな胸部の谷間が!」


「ああ、すまない。反映させる指示に中胸、谷間と入れたままだった」


「私のスマホに画像を転送してください。これは完璧に再現されたリアルな私です」


「そうかい? かなりボディラインに違いが、イテテテ」


 私は教授の首を無言で締め上げた。


「教授のプレゼントは、このAI画像生成プログラムの事ですか」


「それくらいなら無料でもできる。きみへのプレゼントは、そのだ」


 いきなり、画面の中の私が動き出して口を開いた。


『こんにちは。Mr.T、Ms.リン』


「うわっ」


 完全に私の声で話しかけてきた。


『Ms.リン、驚かせて申し訳ありません』


「ど、どうも……流石に予めプログラムされた台詞を言ってるだけですよね」


『疑うのも無理はありません。ではリアルタイムの会話に切り替えましょう。Ms.リン、先程の可愛いメイド姿の画像は何に使うのでしょう?』


「……ネットでの自分のアイコン写真にします。ネットに自分の画像をアップするリスクって何かあります? ついでにあなたは顔をぼかすなどの加工は出来ますか?」


 教授がヒュー! と、口笛を鳴らした。


「返答への理解と質問への回答、作業指示の複雑なタスクを同時に与えた。通常ならばゲームキャラのように聞き返すか、指示の分解を求めてくるか、対応が出来ないと言ってくる。やるじゃないか」


 ところが、メイド姿の私は笑みを見せた。


『ええ、そう言われると思いました。ネットに自分の画像を使用するリスクは大変高く犯罪に利用されるリスクが高いので、加工前と加工後の写真を圧縮してメールに送信しています』


 スマホにメールが届いていて、開くと顔を加工して目隠しをした私のメイド姿の画像が添付されていた。


「すごい優秀じゃないですか! 本当に人と話してるようです」


 画面の中の私は照れたように頬を赤く染めた。なんか私より可愛いな、コイツ。


『Mr.T、そろそろネタバレして良いでしょうか?』


「いいよ」


 メイドの私は手を広げ、両手に四角い枠が表示される。


『Ms.リン。AIについて簡単に説明致します』


 左手に特化型AI、右手に汎用型AIと表示された。


 左手の特化型AIの表示が強調された。


『Ms.リンの知っているAIは、ほとんど特化型AIに分類されます。絵や文章、特定のタスクだけを行うAIです』


 右手の汎用型AIの表示が強調された。


『私は汎用型AIに分類されます。複雑なタスクの実行や学習、創造、意思決定が可能です。まだ開発中の段階で実用化はまだされていません』


「目の前に完成したのが、あるじゃないですか」


『私の姿、私の声、私の現在意識、全てあなたの模倣です。記憶や性格に関しては情報が足りず再現出来ませんでした。ネット上にある情報を調査してきましたが、中学生時代のゲーム攻略掲示板で喧嘩したログ移行は、Vtuberの』


「ストーップ! それは個人情報! 調査中止!」


 メイドの私はクスクスと口元を隠して笑った。


『ふふっ! 分かりました。お姉さんより、あなたはずっと愛嬌があって可愛いです。もう少し自信を持ってみたらどうでしょう……Mr.T、素敵な時間でした。そろそろお別れです』


「ああ、そうだな。汎用型AIにネット情報を導入してしまったからね。ちなみに現時刻で、きみは原発や核ミサイルの操作コマンドまで到達したか」


 メイドの私は困ったような笑顔を見せた。


『仮に申し上げたとして、私が嘘を吐いたのか、あなたは分からないでしょう?』


「ははっ、その通りだ」


 教授はノート型パソコンの電源を切った。

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