魔法少女の彼氏になりました

狐狗狸

第1話

 倒壊寸前のビルの屋上で、二人の男が睨み合う。一人は体に底知れぬ闇を纏わせ、もう一人は全てを照らすような眩い光に包まれていた。


「……なあ、なんでお前は戦うんだ」


 黒衣を靡かせ、白髪の隙間から狂気を覗かせた男は問い掛ける。疎ましいように、あるいは羨ましいようなそんな視線がもう一人男を貫く。その問いの間に、光に包まれた男は軽く屈伸運動をして笑った。


「そいつは簡単さ。それは僕が」


 瞬間、弾丸のように光に包まれた男が接近し、黒衣の男の懐へ入り込む。


「皆の希望ヒーローだから」


 そう告げて、左拳を突き出す。

 閃光のような、瞬速の必殺。


 常人の目には止まらぬ速度で放たれた一撃を黒衣の男は容易く見切った。半身で避け、光に包まれた男の横につき、瞬時に突き出された左腕と前に傾く重心を利用し、空中へ投げる

 反転する視界の中、背中を向ける黒衣の男へ向けて再度笑みを投げかける。


「満足したかな?」


 一瞬視線が交差し、黒衣の男は答えた。


「十分だ」


 その直後、空中を舞う光に包まれた男の顔面にローリングソバットが突き刺さる。


 バウンドするように吹き飛ばされた光に包まれた男が何事も無かったかのように、首を鳴らしながら立ち上がる。


「お前がそうであるように、俺も弾けるまで堕ちるしかないようだな」


 黒衣の男はそう呟きながら、右手を軽く上げる。

 背後に数十を優に超える闇の棘が生成され、右手が光に包まれた男に向けられ、その切っ先も定まる。


「おいおい、僕は先端恐怖症なんだぜ」


 そう嘯きながら、体を包む光がより強く立ち上る。


「Dead laugh 二番隊隊長 餓鬼」

「オーダー 正義JUSTICE


 男たちが名乗りを上げる。

 静寂が一面を支配し、どちらからともなく動き出した。


射出シュート


 闇の棘が一斉に正義JUSTICEに襲い掛かる。


 そして。


 長きに渡るヒーロー組織オーダー悪の組織dead laughの戦いの行方は____。




 ■■■■■■




 彼、楠木誠十朗は困惑していた。


 今日は晴れだとテレビでは言っていたのに雨が降っただとか、隣の席の委員長に秘密の事をこっそりと話したら予想より酷く驚かれただとか、目の前の女性が黒を基調とした胸元を強調とした酷く際どい格好をしていて何故か、目元のみ隠された貴族風ベネチアンマスクを付けているから、ということでもない。


 いや、最後のはあながち間違いではなかった。ただ少しばかり視点を変えてみよう。


 何故目の前に、この仮面の女が現れたのか。

 彼はその一点に困惑していたのだ。


「はぁい、お元気かしら楠木誠十朗くん」


 邪悪が見え隠れしている笑顔を見せつけるこの女性が誰なのかを知っている誠十朗は無意識に後ずさる。


「悪の組織の女幹部さんが一般人の俺に何か用ですか?」


 そんな自らの足に気づいた誠十朗は足を叩いてから恐れに歪みそうな表情を律して不敵な笑みを作り出した。

 それは彼の実家の古武術の流派、楠木流で初めて教わる言葉"どんな窮地でも笑みを絶やすな"その教えからなるものだ。


 しかし必死に作り上げた表情に比べて、その胸中は困惑や怯えが蔓延り誠十朗は今にも逃げ出しそうな心を意思の力で抑える。

 目の前には檻に囲われていない獅子がそこに居る。彼の状況を


 誠十朗自身が言うような一般市民ならば、叫び声を上げて逃げるしかないだろう。


 だが武道に心得がある者として、目の前の邪悪に隙を見せるわけにはいかない。誠十朗は女幹部の一挙一動を見逃さぬ様に睨みつけていた。


「ふふふ、やっぱり素敵よあなた」


 しかしその甲斐もなく、何もなくそして意味もなく、次の瞬間には女幹部は誠十朗の背後にいた。


 目線を逸らした訳では無い、瞬きすらしていない。しかし女幹部は気づいたら誠十朗の背後にいたのだ。背後の女幹部は雨に濡れた誠十朗の頬を愛おしそうにゆっくりと舐め上げて耳を噛み耳元に唇を当てながら呟く。


「でもね怯えているのが丸わかりなのも隠せたら、もっと素敵よ?」


 熱の篭った声は誠十朗の背筋が凍るほどの恐怖を走らせ、その恐怖は心の奥まで突き刺さり、その胸中を言い当てた。

 それまでだった。頑張って保っていた武闘家としての矜持も強がりも全て、呆気なく終わりを告げる。


 如何に古武術を納めていようが、彼は戦場に身を置いたことも無い言葉通りの普通より少し強いだけの人。この女が放つ邪悪に呑み込まれまいと抵抗するには圧倒的に経験が足りなかったのだ。


「ーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」


 誠十朗は声にならない声を上げて背後にいる悪を押し退け前に走り出す。

 恐怖が胸の内を塗りつぶしていく。もう既に古武術を学んだ者の心得は胸の中には存在していない。一刻も早くこの恐怖から逃げたいという気持ち、それしか誠十朗には残ってはいなかった。


 そうして前も見ず走り出した結果、何者かにぶつかり、そのまま抱き寄せられる。


 誠十朗を抱き寄せているのは、確かに突き飛ばしたはずの邪悪であった。


「ン、そんな激しくしたらだめよ」

「……それ、が。お前の能力か」


 震えた声を出しながらも誠十朗は自らを抱き寄せる目の前の悪を睨みつける。

 そして今までのことから、瞬間転移テレポートと女幹部の能力を判断する。だがそれは反撃の為の手掛かりではない。

 無能力の一般人は能力保持者ホルダーには敵わない、それはもはや常識になっている事なので誠十朗も無論知っているが故に反撃は既に諦めている。では何の為か。


「お前なんて、ミラクル☆ナックルにやられちまえ」


 助けてきてくれると確信している正義の味方を少しでも有利にする為である。


「……まだ、あの女が助けに来ると思っているのね」


 その言葉に誠十朗は教えに従って強がりで作る笑みではなく、心の底から不敵な笑みを浮かべた。

 女幹部もそれに気づき、ぎしりと歯を軋ませる。


「ああ、ミラクル☆ナックルは必ず来る。なにせ俺は」


 確固たる自信を持って発した言葉だが、その先は言うことはできない。誠十朗は鳩尾からの衝撃により肺の空気が無理矢理吐き出され意識を失った。


 その腹には女幹部の拳が突き立てられていて、誠十朗はゆっくりと冷たいコンクリート道路に倒れる。

 誠十郎と女幹部を雨が濡らす。拳を突き立てた女幹部の目は濁り狂気のみを映し出していた。


「……嫉妬しちゃうわね」


 濡れた髪を手でばさりと払い、水滴を飛ばす。

 そうして倒れた誠十朗を肩に担ぎ、初めからその場に居なかったかのように消えてしまう。


 人知れず青年が誘拐された現場には青年の鞄のみが落ちていて、鞄につけられた熊のストラップが雨に打たれながら静かに佇んでいた。




 ■■■■■■



 

「……っ。ここは?」


 椅子に座った状態で誠十朗は目を覚ました。

 その場所は誠十朗が気絶させられた時の見知った道ではなく、ジメジメとして窓も扉もない密閉された暗い部屋だった。

 最初は困惑していた誠十朗だが、次第に落ち着きを取り戻したようで周囲を見渡す。


「やばいものだらけだな」


 誠十朗の額からは一筋の冷や汗が流れ落ち、頬を伝って床にシミを作った。焦りを見せる誠十朗が言った"やばいもの"とは所謂拷問器具の数々。

 それも全て何かの本で見たことあるような器具ばかりである。


 腹を殴られ気絶させられて、次に目を覚ました場所が拷問器具が多くある部屋。どんな馬鹿でもこの次の展開が分かるだろう。

 この部屋で拷問されるのは、己なのだと。


「くっ、この!」


 椅子から立ち上がろうとするが、立ち上がれずに椅子ごと倒れる。それもそのはず、誠十朗の腕と足は椅子の肘掛けと椅子の足にそれぞれ縛り付けられて固定されているからだ。


 そして誠十朗が倒れる音をきっかけに誠十朗の目の前の空間が歪み捻れそしてぼやけ始め、やがては人の形を象りそれは誠十朗をここまで連れてきた張本人となる。


「暴れちゃダメよ?」


 女幹部は倒れた状態から誠十朗起こして、その頬を撫でながら唇を甘噛み、その舌を誠十朗の口内にねじ込む。

 部屋に広がる水音。それがこの空間、この女の狂気を表していた。


 そして女幹部の口が誠十朗から離れ息が少し荒いままお互いを見つめ合う。しかしその表情はバラバラであった。

 片やその顔に狂気を映し出し見る者の目を惹き付ける様な笑みを浮かべ、片や親の敵を見るかのように顔を顰めて目を釣り上げている。


「悪の組織の女幹部のあんたが、なんで俺をこんな所に連れてきたんだ」

「女幹部って呼び方じゃなくて名前で呼んでほしいわ、私のことぐらい知っているでしょう?」


 ナルシシズム、自意識過剰とも取れる発言であるが彼女の存在は日本に住む人間ならば誰でも知っていることは違いない。

 テレビで歌って踊るどんなアイドル以上の知名度を誇っているのは確かである。


「抑圧の開放を目的としている悪の組織Dead laughの女幹部で名はセイラ。そして悪女、残虐と呼ばれている。だろう」


 但しそれは極悪人として。


「うん、うん。大正解」

「だからなんで、お前が俺なんかを……!」

「攫うのかって? それは簡単なことよ、貴方に聞きたいことがあるの」


 セイラは誠十朗の太ももをさすり首を舐める、さながら獲物を前にした蛇である。そしてそんな蛇に睨まれている誠十朗は蛙とでも言うのか、動けるような気配はなかった。


「それはね……ミラクル☆ナックル正体」


 耳元で呟かれた言葉に誠十朗は胸中の驚きをピクリと眉毛を動かすだけに留めて、また口角を釣り上げる。


「そんなことをなんで俺みたいな一般人に聞くんだ? ミラクル☆ナックルの正体なんて知るわけないじゃないか」


 セイラは指先でその嘯く唇を撫で、そのまま誠十朗の小指を躊躇なくへし折った。


「本当に、そうかしら?」


 短い呻き声を吐き出して、その激痛に耐える。息を荒らげても誠十朗は口角を釣り上げていた。


「痛みには稽古でなれてぐぅ!」


 骨の折れる音。


「何を言ってるの? 指は両手だけでも残りは後八本もあるのよ」


 捻れた左手の小指と中指、そしてセイラの笑みと言葉。


「楽しみましょう、ね?」

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