魔法と記録とドラゴンと
岩紙野筋目
観測船
寝入りばなに落ちるような感覚。あるいは逆に、まどろみから意識が浮上する感覚。最初に感じたのはそれだ。次いで自分の周りをぐるぐると回る燐光と風、それにあおられる紙束の音が飛び込んでくる。
「やあ、おはよう」
目の前に誰かがいて語りかけてきた。僕は今、どこかに立っているらしい。ぼんやりした視界に白衣を着た男が映る。
「君の名前はリク。今日から僕たち観測所を手伝ってもらう。よろしくな」
寝起きのような回らない頭に妙にハッキリ頭に響く声。僕はなんとなく早く返事をしなくてはいけないような気がして口を開く。
「よろしく――?」
「……うん、これからよろしく」
それは返事と言うにはあまりに曖昧なものだったが、男はそれで満足したらしい、朧げだが頷いたように見えた。
すると突然周囲で回転している光と風が強まり、強く輝きだす。ぼやけた視界に光が溢れる。反射で目をつぶった瞬間弾けるようにそれらは消え、何事もなかったかのように静まった。
――頭の中でカチリと音がした気がする。
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リクはだんだんと焦点が合ってきた視界の正面に男を映した。それから男の後ろに2人、さらに後ろの壁際にももう2人いることを確認。壁の方の片割れはリクの視線に気がついてヒラヒラと手を振ったので、リクも控えめにぼんやりと振り返してみた。
「……。……!?」
そして少し動いたことで頭が冴えてきたリクは独り焦り始める。あれ、さっきなんて言ったっけ。よろしく?よろしくってなにがだ、寝ぼけて何かまずいこと言ってないか?それに観測所を手伝えときた。ここ観測所なのか、ヤバげな研究所の間違いではなく?嫌な予感にじっとりと背中に汗が滲み、リクはそわそわと周りを見回した。
改めて見ると、棚から本が落ちているわ机の上は散乱して床にも紙束が散らばるわ酷い有様だ。壁かけの資料も傾いてしまっている。暴風が吹いたようなそれにリクは顔がひきつるのを感じた。最初に気がついたとき、こうなるほど風が荒ぶっていたとは思えなかったからだ。やっぱり寝ぼけていたようだと首を傾け、そのまま視線を移して最初目の前にいて語りかけてきた男を探す。
男はリクが考え込んでいるうちにいつの間にか移動して、壁際にいた2人と話し込んでいた。
「さてとお二方。ありがとうございました、後のことはこちらでやりますんで」
「何かあったら呼ぶといい」
「後でデータ送ってくださいね〜」
話が終わった壁際の2人が部屋をあとにする。この部屋は広いわりに出入り口はあそこしかないし、窓も無い。そう気づいたリクは、逃げられそうにないのでひとまず様子をみることにした。
さて残った白衣の男といえば、自動ドアが閉まる音をしっかり聞き届けたあと盛大にため息をついた。随分とくたびれている。白衣はクタクタで無精髭も生えているし、なぜかペンを握りしめている右手はインクで黒く汚れていた。
「はーー今回もなんとか終わった。疲れたぁぁ――ぐぇ」
気が抜けてよろよろと歩いていた男は、散乱した本につまづいて顔面から硬質な床に突っ込んだ。そのままうずくまって震えている。流石に哀れで大丈夫ですかとリクが控えめに声をかけようとした時、横から別の声が飛んできた。
「疲れたって言ってる場合じゃないっすよコレ、片付けないと。さては召喚前に部屋片付けてなかったでしょ」
「うるせー」
「そうですよ、機材は簡易点検しておいたので後で確認してくださいね。3番、4番は動きませんでした」
「あとインク瓶割れてるっすよ」
「げぇ」
「所長お気に入りのマグカップもですね」
「え?!あ〜……」
最初手前にいた方の2人だ。そういえば居たな、忘れていたとリクはそちらに目を向ける。彼らは部屋の隅で早々に片付けを始めていたようで、リクの視界には入っていなかったのだ。
若い二人組で、男の方は白衣とメガネ、女の方は白衣を捲り上げて両腕にガントレットをつけている。そこで伸びている男とは上司と部下だろうか、とリクはあたりをつけた。扱いはかなり雑だが、男から指示されたことには2人とも素直に従っているのだ。
そのままぼうっと見物していると男がリクの方を向いた。……打ち付けた額が赤い。
「あー……、早速で悪いんだけど、片付けるの手伝ってくれる?」
「そんな気はしてました」
あの後リクは、男――リクには所長サマと呼べと言ったが、すげなく却下されて所長と呼ばれている――に言われたとおり落ちた本をしまい、壁掛けを直し、テーブルを拭き。動線の確保と最低限の片付けができたあたりで他全員が疲れ切ってしまいお開きになった。詳しいことはまた明日だの、魔力切れがどうだの。色々聞きたいこともあったが、部屋の隅に置かれたソファでぐったりしている所長の顔を見て諦めた。
今リクはメガネ君――ロビンだと元気に挨拶された――が案内してくれた部屋でゆっくりしているところだ。
彼は今日はここを使ってくれと簡易ベッド付きの部屋を貸してくれた。ベッド横のラックにはシンプルな上着と革のポーチが掛けてあり、「これもリク君のっすからね」と言ってそのまま姿を消した。リクが何か言う間も無くあっという間だった。
仕方がないので独りで恐る恐るポーチを開けると、出てきたのは定規のようなもの、布、何も入ってない袋や瓶など。それから多分お金。上着の方は特に言うことはない。そもそも今来ている服だってリクには見覚えがなかった。上下地味だが質は悪くない。いかにもな入院着ではなく、このまま外に出られそうな感じだ。
ついでに部屋の小さな机の上に雑誌が置かれていたので、リクはそれをパラパラとめくってみた。『ドラゴンの皮膚と対魔力について』、『魔石の形成過程と魔力濃度の相関、早見表つき』、『カワイイネコチャンシリーズ3』、『最先端の魔物考古学を追え』。
「うーん、なんもわからん」
リクは眉をひそめる。文字を読めることに違和感はない。ついでに雑誌をのぞき込んだことで視界にちらつく黒髪も。だがそれ以外何もわからない。ただドラゴンだの魔物だの、そういったことにうっすら聞き覚えがある程度だ。……聞き覚え、というより見覚えのほうがしっくりくるか。
リクはそれからも少し唸っていたが諦めて誌面を閉じ、元のように戻すと座ったまま伸びをした。眠くなってきたのだ。
そして伸びをした格好のまま天井を見上げる。凹みにライトがあるだけの灰色がかった無機質な天井。壁も同様だ。そこにはせいぜい通気口と何かの端末が埋め込まれているくらいで、窓らしきものがない。
ひょっとして地下なのだろうか、とリクは思った。明日全部まとめて問い詰めてやろう。
>>>>>>>>>>>>
いくつかのロックを解除した先、通路にかつかつと2人分の足音が反響する。翌日、さっそく所長を質問攻めにしてやろうと最初いた部屋に飛び込んだ結果がこれだ。「見せたいものがあるからついてきてくれ」と所長は促し、リクの先を歩き出した。
「ここは?」
「……」
少し歩くと今までの場所と明らかに様相が変わった。先ほどまでは無機質な壁面と手すりだけだったのに、そこに光が複雑な模様を描きながら走るようになった。通路自体もかなり幅広になってそこそこ動き回れる程度はある。
リクは珍しさにきょろきょろと辺りを見回していたが、前を見ていつのまにか目的地に着いたことに気がついた。……行き止まりだ。
「さて、色々聞きたいことがあるだろう。まあ突然呼び出されちゃ当たり前だわな」
所長は話しながら壁の端末に近寄り操作しはじめた。彼の左腕に嵌められた腕輪らしきものを端末に翳したり、何か入力したり。続いてちょいちょいとリクを手招きすると、リクの腕にも同じ腕輪を嵌めた。見た目は所長のものと同じだが、はめた瞬間中央の緑の石に光が灯り、持続して淡く光っている。
「よし登録っと。あとは……」
「……?」
突然ごごご、という低い音とともに歩いてきた方の通路が閉鎖されて、二人は完全に閉じ込められた。
照明もほとんど落ち、壁を這う光と腕輪の石がぼうっと浮かび上がる。薄暗い密室に自然と緊張が走り、一体なんだとリクは後退りした。
と、唐突に所長が口を開く。
「メインルームの方はそれはもう景色がいいんだが、リク君にはまだ立入許可が降りていなくてね。代わりじゃないが、ここでも似たようなことができる。見せてやろう」
瞬間、所長の後ろにある壁の1箇所が鮮やかな青に変わる。
「!?」
――いや、1箇所だけではない。リクが唐突な光に目を細めている間に、パネルがひっくり返るようにして次々と壁が擬似的に反転していく。
青い光に包まれる密室。そこにわずかに綿のように存在する白い色と、下の方にある緑。これは、この景色は――
「……空?」
正解だとばかりに所長がニヤリと笑う。
外の景色を透過しているのだ。――だが妙に緑の位置が低い。
リクが疑問に思う間もそれはとまらず、ついに床も同じように反転しはじめる。思わず飛び退いた先はすでに元の床の色ではなかった。若草色だ。足元はるか下に草原がある。
「……そう。空だ」
最後の壁が反転する。
「――!」
絶景だ。そこには見渡す限りの絶景が広がっていた。
そびえる山々はその頂を白く染め、遠くの海は朝日に照らされてキラキラと輝いている。水平線は空との境界を白く浮かび上がらせていた。そのまま下を見れば点のように見えるも確かに家々が存在している。そこから続く道を辿れば城壁に囲まれた街があり、賑やかな声が聞こえてきそうだ。リクは口を開けて呆然とするしかなかった。
たっぷり時間をおいたあと、青空に囲まれてもったいぶった動きで所長は言う。
「ここは第三飛行観測船。空飛ぶ観測所。ドラゴンの観測、調査をする施設だ」
「ドラゴン…!?」
「君にはそれを手伝ってもらう――
――地上でね。」
ガコ、という音。え、とリクが声を出すより前に背後へ強烈な風がふく。最初に行き止まりになっていた壁が開いたのだ。反射で何かにしがみつこうにも広い空間、手の届きそうな範囲には何もなく壁の手すりには程遠い。
ばっとリクが所長を振り返ると彼はペンを胸ポケットから出し、一振りし終えたところだった。所長の周囲だけバリアのような球体の光が輝いていて、この状況で何事もないかのように平然と立っている。あの内側だけそよ風すら吹いていない。
ひょっとしてアレが魔術だろうか、とリクは場違いなことを思った。いや、今はそんな場合ではない――
「は、」
リクの身体がぐらりと傾いて、空に吸い込まれる。
「うわあああぁぁぁ!?」
「まずはおつかいレベルからよろしくな〜」
所長ののんきな声は吹き荒れる風にかき消されてリクには届かなかった。
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