名探偵と二つのパラダイム

 扉を開けると、薄暗い店内に満ちた少し陰鬱で、でも心地よい空気が、外気で熱せられた体を冷やす。


 いつも通り店主に挨拶をして二階に上がろうとすると珍しい光景が目に入った。

 カウンターの中で黒髪の少女と赤髪の店主が何やら真剣な表情を浮かべ話し込んでいるのだ。


「ごめんね、かしぎちゃんをちょっと借りちゃった。」

「いやいや、お願いしたのは私ですから。」


 こっそり階段をあがり、いつもの席で作業をしていると件の二人が現れた。


「珍しいね、かしぎちゃんが人を頼るなんて。」

「私を何だと思っているのやら。」

「万能なる玩具職人サンタクロース。」


「う〜ん、色々と突っ込みたいけど、それはさておき私にも苦手なことはあるのよねぇ。」

「今度、お料理の練習しましょうね〜。」

 朱音さんはウィンクをすると、1階へと戻っていった。・・・まだ何も注文していないのだが・・・。


「料理ねぇ、本を見て分量を測れば私だって・・・ってそうじゃなくてね。」

 もう居ない朱音さん相手にツッコミを入れると、説明を始めた。


「複雑で未知な世界を扱う流儀には大きく分けて2つあるわ。一つは無数の要素から本質的なものを抜き出す方法。もう一つは未知の世界の一部を測定してそれを使う方法。私が得意なのは前者、朱音さんが得意なのは後者というわけ。」

「もう少し雑な感じで。」


「そうねえ、例えば殺人事件があったとするじゃない?」

「物騒だね。」


「細かい話は抜きにして、犯行の結果、利益を得る人物を犯人だと考えるのか、あるいは証拠品をもとにそれと矛盾しない犯人を探すのか、という違いかしら。」

「不味くない?1つ目の方法。」


「もちろん。でも、利益意外の要素もどんどん足して、ロジックを複雑にしていけば、いつかは限りなく正解に近い推論ができるんじゃないかしら?」

「そもそも犯行の利益なんて測れないのでは?」


「そうねぇ。1つ目の方法はあくまで殺人事件という現象を理解することが主な目的であって、その犯人を明らかにすることではない、と言えるかもしれないわね。」

「ならば2つ目の方法の方が良いのでは?」

「2つ目の方法にも弱点があるわ。例えば証拠品が少ない場合、犯人を絞れない可能性がある。・・・つまり、正しい推論のためには無限に証拠品が必要になってしまう。」


「お待たせ〜。」

 グラスをもった朱音さんが現れた。


「今日は暑いから、冷たい飲み物にしてみたわ〜」

「「ありがとうございます!」」


 見るからに涼し気な色をした液体を口に含むと、すこしピリッとした、そして爽やかな風味が感じられた。


「自家製ジンジャーエールのオレンジジュース割りよ〜。」


 暑い日に冷たい飲み物が好まれるというのは、当然のロジックだ。しかし、それがなぜ身につくのかというと、過去の経験があるからだ。


 では、気温と客の好みの関係についてなぜ経験を積むのか?暑い日には冷たい飲み物が好まれるのではないかという予想があるからだ。


 ロジックを得るには経験が必要となり、経験のためにはロジックが必要となる。どちらが先で、どちらが後なのだろうか?

 ストローを咥えながら、そんなことを考えた。



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