不可視議カフェタイム

コギイツキ(誰彼人)

造形作家とアブストラクト

「相変わらず上手ねえ」

 声がかかった。


 顔を上げると、黒髪の少女がこちらの手元をのぞき込んでいる。

 珍しい。


「見られるのは恥ずかしいな」

「人を勝手に描画対象モデルにしておいてそれは無いんじゃない」


 違いない。スケッチブックに描かれた少女藤岡かしぎの絵を見ながら頭をかいた。


「いつものことだけ精密ねえ」

「そうでもないよ」


 まだまだ力足らずだと思う。


「何を言っているのよ、ちゃんと胴体が付いているじゃない」

 かしぎは冗談めかしながら、タブレットをこちらに向ける。

 そこには魂が抜けたような眼をした顔のマークが見えた。


「デフォルトのオブジェクトとは言え、気の抜けた顔よねえ」

 プレゼンテーションのスライドをいじりながらかしぎが呟く。


「ボクが描こうか、人の顔なら?」

「ありがとう、でも今回はこれで十分」


「そうなの?」

「目的はスライドの説明を補佐することだからね」


「・・・精密なほど分かりやすいのでは?」

「その理屈で言ったら、地上の現象できごとを語るために、地球がもう一個必要になるわ」

 そう言いながら、かしぎは雑な手つきでスライドに円を描いた。


「地球儀ってあるじゃない」

 描かれた円に点を書き込みながら言う。


「あれは地球そものじゃないけれど、地球の丸さを語ってくれる」

「でも分からないこともあるよ、大きさとか」


「そう、そういう意味で地球儀は地球そのものではない」

「あたりまえだけどね」と言いながら線を引く。


「だけど形を示すことが目的ならば、模型ちきゅうぎで十分っていうわけ」

 スライドに描かれた棒人間がこちらにウィンクをした。


「なるほど」と言いながらコーヒーを口に運ぶ。

「精密さが欲しいだけなら、それで十分だもんね」

「それ?」


「ついてるでしょ、写真機能。タブレットに」

「確かに」


 絵の本質の一側面は抽象化だ。

 複雑な現実から必要な情報を抽出してそれを紙上で再構成する。


 それは即ち・・・。


「というわけで、こっちもかしぎちゃんです」

「あなたの目に何が映っているのか時々、不安になるわね・・・」


 手元に目線を戻し、続きを描く。

 気づけは日は暮れ、店内を朱い光が満たしている。


 床に落ちた影をぼんやり見ながら、その主の色形に思いを馳せた。

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