第1話

 街から遠く離れら山中に建てられた校舎は眩い光に照らされていた。全体的な雰囲気は古めかしいのに所々新しく増築されている。その様相からは年季を感じさせられる。事実、数年おきに選抜された人間がこの場所で殺し合い、殺し屋としてのキャリアを歩んでいる。だが、そのせいでこの校舎は破壊と再生を繰り返している。殺し屋の選抜が平和に終わるはずもなく、試験が終わるたびに無惨な様相を晒している。

暗殺協会の懐刀である『空』は特別な存在だ。その役割が通常の殺し屋と違い、困難なミッションしか与えられないからである。熟年の殺し屋の抹殺から数百人の護衛に囲まれた国の重要人物の抹殺までその仕事は多岐にわたる。そして、その性質のせいか、常に人手不足なのだ。

 現在稼働している『空』のメンバーはセリルを含めても九名ほど。どう考えても手が足りない。しかし、半端な戦力を投入しようとも殉職するのがオチだ。実際、期待の若手や実績十分のベテランって奴を投入したことはあるが三か月持った者はいない。

 結局のところ、どれだけ鍛えようと所詮は人間。年を取れば肉体は老いるし、腕が立てば油断もする。つまるところ問題は肉体と精神の両方がそろった英傑を育てられないことにある。それも格別の狂気や常人には理解できない理屈で動く怪物が望ましい。そのような輩は経験上長生きするからだ。

 ——何故か。答えは単純。人のことを理解しようとはせず、自分の我儘を押し付けられる人間の方が強いからだ。

暗殺を行う人間にとって一般的な優しさとは弱さと同義であり、排除対象の忌むべき感情だと思われている。

 そこで暗殺協会は考えた。どのような方法ならば完全に近い殺し屋を作れるのかと。その結論は肉体を極限まで追い込み、心を殺すことだった。つまり、ハードな訓練を用いて肉体強化と絆を育ませ、その人材同士で最後に殺し合わせるということである。

 実に単純な手法だが、成功例と言えるほどの傑物が何人も誕生してしまった。よって、今では当たり前のように『空』の選別の恒例儀式になったのだ。

 しかし、この通過儀礼にセリルは疑問を抱いている。確かに今の手法でもよいのかもしれない。だが、これだけが正解だとは思えない。正解は一つでもそこに辿り着く過程は無数にあるはずだからだ。

正直、この非効率極まりない試験のやり方にはうんざりしている。仲間を殺して心を殺すなど前時代的にもほどがある。戦争も終結したのだからもっと文明的な方法はない者かと常々思っていた。

 しかし、新しい手法はセリルの中からは生まれなかった。考えてれば考えるほど協会を肯定する案しか浮かんでこない。

幼少期から殺伐とした世界に浸っていたせいかろくな考えが浮かばないのだ。

だからこそ、自分を殺すことを合格条件に追加した。もしかしたら彼女たちが新たな景色を見せてくれると思ったから。

 だが——ボクの想定はずっと甘かったのかもしれない。

月日を重ね、絆を育もうと何かを求める欲望や内に秘められた狂気には敵わない。今までの殺し屋人生がそう告げている。

 しかし、きっと彼女たちならこの考えを否定してくれるだろうと願いながら『それ』を用意していた棺の中にゆっくりと入れた。




「誰がマーセルを殺したの!」

 怒りが滲む甲高い声が教室中に響く。声を上げたのはクロエ。紺色の軍服に身を包んだ少女はマーセルをもっとも慕っていた。そのせいか普段の冷静さはなりを潜め、菫色の髪を振り乱し、目を血走らせている。その視線の先には首なし死体が入れられた棺がある。

全員がそろった教室は眠っている一名を除き、昨日とは比べ物にならない緊張感に包まれていた。無理もない。実質的なリーダーだったマーセルと思わしき人物が殺されてしまったのだから。

「あまり騒がないでちょうだい。今集中してるから」

 いつの間にか死体の近くにいる少女がぼそりと呟いた。黒曜石を思わせる長い黒髪を携えた彼女は赤い瞳で棺のふたを徐に開け、真っ直ぐに遺体を見つめている。黒の制服を身に着け、腰のベルトには短めの刀が固定されていた。

「……コトノハ。あなたはいつも冷静ね。マーセルとは幼馴染だったんでしょ? 悲しくないの!」

「悲しいわよ。でも、ここは殺しを肯定する場所。覚悟は前からできてた。それだけのことよ」

 感情を感じさせない平坦な口調がクロエの神経を逆なでしたようだ。クロエは足早にコトノハへと近づき、胸倉を掴んだ。その形相は見たこともないほど怒りに満ちており、今にでも腰のナイフを抜きそうな雰囲気だ。

「全くそんな風には見えないわ! もしかして……あなたが殺ったんじゃないの?」

「そう思うなら好きにしなさい。事実を客観的に見れない仲間を持ってマーセルも可哀そうね」

——クロエの拳が握られる。取り合えず殺し合いにはなりそうにない展開にそっと胸を撫でおろす。こんな感情のぶつかり合いで殺し合われると試験の意義に反する。セリルは一瞬介入しようか悩んだ時、部屋に充満した怒気を掻き消すように天井付近で大きな火花と轟音が発生した。不意の出来事にクロエも手を止め、それを作り出した桃髪の少女に視線を向けた。白いシャツに赤いオーバージャケットを羽織る姿は嫌でも目を引く。

彼女の手には銃のような何かが握られている。おそらく銃の機構を改造し、小さな花火が散るようにしたのだろう。

「そこまでー。不毛な揉め事はやめなよ、二人とも。お互い分かってるでしょ?」

 それだけの言葉で渦中の二人は理解したのか、クロエはコトノハから手を放し、黙って教室を後にした。

「ありゃりゃ、クーちゃん、出ていっちゃった」

 アメリアは黒いスカートから揺らしながら足を組みかえ、二つに結ばれた桃色の髪をきまり悪そうに触っている。しかし、態度とは裏腹に彼女の顔には嫌らしい笑みが張り付いている。

「放っておきなさい。今は一人で頭を冷やした方がいいでしょう」

「コトっちは相変わらずきびしー」

「信頼あっての厳しさよ。それで……セリル先生はいつまで黙っているつもりですか? この場合、あなたが積極的に動く場面なのでは?」

 教卓で肘をつき惚けていたセリルは視線だけをコトノハに合わせる。

「なんで?」

「理由なんて必要ですか? あなたは私たちの教官。教え子に乞われれば動くべきだと思いますが……」

 確かに健全な教師と生徒ならその通りだろう。しかし——

「今は試験中で誰がマーセルを殺したのかは知らないけどそれは正当な行為だ。それに今この状況は本来の試験のあるべき姿だと思うし、ボクが過度に干渉するべきではないでしょ?」

「なるほど。先生の主張は分かりました。しかし、その主張を通すためには示さなければならないことがあると思います」

「何が言いたいんだい?」

 コトノハは腰に携えた刀を触りながら鋭い視線を突き付けてくる。

「つまり、マーセルを殺した犯人があなたの可能性がある以上、調査する義務があなたにはあるということです」

 セリルは右手を顎に当てる。昨日、不殺を宣言した以上、矛盾の可能性は摘むべきかもしれない。しかし、あれはあくまで口約束。反故にすることもできるが、マーセルが死んだ今傍観を選択すればなんというか暇だ。唯々試験官として観察するだけの一週間は無駄な時間と言える。それに生き残ったメンバーから一年間積み上げた信頼を失うのも避けたい。

それにしてもコトノハは策士だな、ボクの性格も加味して巻き込もうと画策してくるなんて。そんなコトノハの顔を見ながらセリルは破顔する。

「確かにボクにはこの出来事と無関係だと示す必要があるね。よし、取り合えずコトノハにボクは協力しよう」

「セリルんがコトっちにつくなら私は個人で行動しよーっと。そっちの方が面白そうだからね」

 それだけ言い残すとアメリアはそそくさと教室から去っていく。享楽主義な彼女らしい。

「それで……まずはどうするんだい?」

「そうですね」

 思案顔を浮かべた少女は教壇に昇り、セリルへと近づいてくる。ゆっくりと顔を動かし、耳元で静止させた。

「おそらくマーセルは死んでいません」

 予想外の言葉にセリルは目を見開く。確かに死んだ人間がマーセルだと断定した理由は他の人間が全員生きているからだ。体格的にも偽装することはできるだろう。しかし、そんな面倒なことをする理由がない。セリルが疑念を滲ませた瞳でコトノハを見る。彼女の緋色の瞳には何故か確信しているような力強い光が灯っている。

「少し時間が必要です。また伺います」

 それだけ言い残すと早足で教室を出ていく。まったく、この教室には勝手な奴らしかいないな。そんな益体のないことを考えながら最も身勝手な少女へと近づいていく。

 真横に立とうとも一切の警戒を見せない白髪の少女にセリルは大きなため息をついた。まったくこの問題時は……。

 セリルは意識を切り替え、ゆっくりと右手を持ち上げる。

 ——無防備に晒されている後頭部へと手刀を振るう。殺意さえも切り裂く鋭利な一撃。当たれば容易く首は落ちるだろう。しかし、流麗な動きでそれを躱し、少女は宙を舞う。真っ白な長い髪を靡かせ、緩やかに着地する。

「……おはよう、セリル。今日は一段と刺激的ね」

「重要な試験中に居眠りしてたからね」

 彼女はアシュリン。この教室でも群を抜いた変人であり、問題児である。殺しのセンスは光るものがあるが如何せんやる気が感じられない。また、極度のめんどくさがり屋でもあり、協会から支給された黒の制服を常に着用している。外出以外は基本的に自由なここでは逆に異常だ。一年経っても彼女の心の内は見えてこない。そんな心中を察することもなく、黄緑色の瞳を真っ直ぐに向けてくる。

「そう。でも心配ないわ。もう私はクリアしてる同然だもの」

「それは……」

 『お前がマーセルを殺したということなのか』という質問を遮るように間抜けな音が鳴る。アシュリンが腹を抑えているところを見ると腹の音らしい。

「セリル、私お腹がすいたみたい」

「そうかい。いつも通り食堂に用意してるから勝手に……」

「いっしょに行こ?」

 甘えるような声を出し、上目遣いで庇護欲を刺激してくる。彼女の美貌と相まって見惚れるほど魅力的な光景だろう。しかし——

「それはボクが教えた方法だ。それじゃあ、釣れないよ」

 分かりやすく不機嫌な表情を浮かべるアシュリン。セリルは大きく息を吐くと、彼女の頭に手を置く。

「今度からはもっと人と手段を選びなよ。今回は及第点ってことでついていくさ」

「……最初からそれでいいのに」

「何か言ったかな?」

「なんでもない」

 軽口を叩きながら二人は一階の食堂へと向かう。

 実際のところ、アシュリンにはあの言葉の真意を聞いておきたい。それにこのまま闇雲に捜査するのも面倒だ。マーセルの死について調べている彼女たちがアクションを起こしてから介入する方がいいだろう。

 長い廊下を抜け、食堂へと到着する。食堂は広々とした空間に木製の長机が数十個ほど並び、百人ほどは余裕で食事ができる。セリルは適当な椅子に腰かけ、ふっと息を吐いた。

「セリル、珍しく難しい顔」

 いつの間にか白い盆を手にしたアシュリンが向かいにいた。盆の上には銀食器に茸のシチューが目いっぱい入っており、そのとなりの平皿にはバゲットが三切れ乗っている。もちろん、作ったのはセリルである。毒殺や兵糧攻めのような手段を防ぐためだ。

「珍しくは余計だよ。でも、今回ばかりは少し思うところがあるからね」

「マーセルが死んだのってそんなに重要なことなんだ」

 アシュリンは事もなさげにシチューをスプーンですくい、口に運ぶ。

「まあね。一応、彼女が君たちのリーダーだったし。それに彼女が死ななければ君たちは一致団結してボクを殺しに来てくれていただろう。ほんとに惜しいことをしたよ」

「セリルは殺してほしいの?」

「そんなわけないでしょ。ただ……ボクはお互いを殺し合う以外の合格を目指してくれたほうが気分が良いってだけだよ」

「いつも暗殺者に心はいらないって言ってるのに変なの」

「それは……」

 言葉を続けようとした時、何かがアシュリンの白い髪の中から飛び出してくる。思わずそれをはたき落とそうと右手が動き出す。

「ダメ!」

 いつもか細い声でしか喋らない少女が迫力のある大声を響かせた。そのおかげでセリルは動きを止めるのに成功する。じっくりとそれを見るとその正体は白いネズミだった。

「だめでしょ、シロ。いきなり出てきたら」

 少女はパンくずを頬張る白鼠を人差し指でこつんと小突いた。しかし、そんなことは意に介すことなくそれは食事を続けている。

「そのネズミってアシュリンがずっと世話してるペットだよね?」

 ——冷たい殺気が肌を突き刺す。何かが気に障ったらしい。過去一番の殺意が向けられている。常に眠たげな眼は開き、向けられた黄緑色の瞳は捕食者のそれだ。

「シロはペットじゃない。私の唯一無二の家族。それを侮辱するなら——」

「悪かった。今後は気を付けるから許してくれるかい?」

 数秒ほどの沈黙が続く。しかし、どうやら許されたようだ先ほどの怒気が嘘のように霧散している。今の瞬間だけは本気でセリルと争う覚悟をアシュリンは固めていた。それほどの意思を黄緑色の瞳に秘めれていたのが見て取れる。

「アシュリンが寛容で助かったよ」

「次はないから気を付けて」

 アシュリンはネズミと共に食を進めていく。これではどちらが先生か分からないな。だが、相手の地雷を踏みぬいた上に殺すのは流石に忍びない。これからは猫かぶりの少女とあのネズミのことを話すのはよそう。

 セリルはアシュリンのシチューがあと少しなのを確認すると本題を切り出す。

「そういえばさっき言ってたクリアしたも同然ってどういうことだい?」

「そのままの意味。私はいつでも試験の合格条件を満たせると思う」

 試験の合格条件は仲間の首を一週間後に持ってくることだ。つまり、アシュリンはいつでも残りの人間を殺せるってことか。それだけの策、もしくは技術を隠し持ってる? いや、どうにもしっくりこない。しかし、残された道としてはマーセルを殺した犯人から首を強奪することだが……。長い足を組み、思考を巡らせる。

「ねえ、セリル。セリルってば!」

「ちょっと待って。今集中してるんだよ」

「だめ。こっちの用件が先。緊急事態」

 セリルは顔を手で覆い、大きくため息をついた。

「なんだね? わがまま生徒一号」

「ごはんなくなった。鍋の中も籠のすっからかん」

 セリルは勢いよく立ち上がり、厨房へと向かう。確かに五人分は用意したパンとシチューがなくなっている。食堂に備え付けられている時計へと目をやると十時を少し過ぎていた。どうやら思案している間に三十分以上たっていたらしい。それでもこの食欲は異常だが。面倒だけど放置するのはもっと面倒になるだろう。

「仕方ない。備蓄庫から食料を取ってきてまた何か作られないと……」

「じゃあ、次はソーセージが食べたい」

 当たり前のように提案してくる少女の額目がけて人差し指を弾く。アシュリンは額を抑えて、小動物みたいにうずくまる。

「お前にはなしに決まってるでしょ。だけど、ボクの質問に対して正直に答えるならあげてもいいよ」

「一つだけね」

「分かったよ」

 セリルは地下にある食糧庫からソーセージと卵、パンを持って帰る。慣れた手つきでコンロの火をつけると数本のソーセージを鉄のプライパンへと放り込む。菜箸をとり、ソーセージを甘辛いソースと絡める。それと同時にもう一つのコンロに四角いフライパンを並べ、油をじっくりと流し込む。そして、割った卵をミルフィーユのように重ねて丸める。パンは等間隔に切り、木の籠へと補充した。

 調理中にごくりと喉をならしていたアシュリンは出来立てのソーセージにかぶりついている。溢れる肉汁にご満悦のようだ。

「さて、質問だ。マーセルを殺したのは誰だと思う?」

「さあ? 少なくとも私じゃないよ」

「殺した犯人について聞いたんだが?」

「変わらないと思う。私の可能性が潰れたから有意義な解答。それじゃ、ごちそうさまでした」

 アシュリンは食べたばかりとは思えない速度で食堂から消えた。足音も最小限なうえに恐ろしく速い。追いつくことは可能だが半端に問い詰めても煙に巻かれるだろう。

まったく……。これであの性格じゃなければな。改めて死んだマーセルのことを悔いる。しかし、収穫もあったことだし、ポジティブにいこう。

「とりあえず使った器具と皿を洗うか」

 ネクタイを緩め、白いシャツの袖をまくる。

「あれ? セリルんじゃん」

 入口へと目を向けるとそこには桃色の髪を二つに結った美少女、アメリアが立っていた。

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