慣れ過ぎた死

 表示されたホロウィンドウの表記に思わず、東条サキは視線を死体へと向けた。


「……っ」


 ごくり、と唾を飲み込んだ。サキの目の前に広がっているのは間違いなく死体である筈だった。胸に穴が開いて心臓はない。両手足は動かず、表情も死んでいる。これが死体でなければ何が死体なのだろうか、と言いたくなるほどに死んでいる。


 だと言うのに、目の前に浮かぶホロウィンドウがこれがただの死体である事を否定していた。


「もしかして……生きている……?」


 恐る恐るといった様子でサキが聞けば、新しく浮かび上がった矢印が死体へと誘導している。近づいて来いと指示しているような薄気味悪さがそこにはあった。


 ―――東条サキは別段、灰谷シュウと仲の良いクラスメイトではなかった。


 そもそも灰谷シュウという人物自体があまり他人と交流する様な人じゃなかった。クラスでのグループワークであれば普通に会話する。雑談を振られれば応える事も出来る。別にコミュ障だったという訳じゃないが、特に他人とのつながりに興味を見いだせないタイプの人間。


 クラスの中のコミュニティは大体同じ話題が続く人間で形成される。そういう意味ではダンジョンという共通の話題で盛り上がれる年代は直ぐに仲良くなれるし、会話にも混ざれる。だが灰谷シュウはそういう話題に自分から入ろうとはしなかった。


 その理由を今更ながらサキは理解した。


 会話のレベルが低すぎたのだ。


 灰谷シュウ/灰色の嵐は中級詐欺と呼ばれる、事実上の上級レベルの探索者だ。それほどの高いレベルの人物からすれば、初級や下級で盛り上がるような話題は疾の昔に過ぎ去った場所だ、今更盛り上がるも何もない領域の話になってしまう。


 企業の最新技術を数百億という金銭でやり取りするレベルの人物なのだから、数万という金額を稼ぐ為にダンジョンに潜る為の会話に混ざれる筈もない。だから灰谷シュウは常に孤立していたし、彼に唯一自分から関わろうとしていた1人の青年の行動は偉業だった。


 クラスという場所に今も普通の学生として過ごせているのは、或いは彼が重しという役割を果たせているからかもしれない。


 だから、サキにシュウとの直接的な関係はない。


 ただ遠巻きに“あ、アイツなんか少し強そうだな……”というのをふとした時に感じた程度。それだけだった。だがその感覚でさえ本当の実力というものを一切感じ取る事が出来なかった。それだけの実力の開きがあるというのを嫌でも配信を見て、サキは理解させられてしまった。


 羨ましさと希望、それは目の前の死体を見て折れる筈だった。


 だが目の前にあるホロウィンドウはそんな現実を否定するかのように浮かんでいる。


「……生きてる、の?」


 少しだけ、引くように声が零れた。これだけぼろぼろになって、どう見ても死んでいるのに。それでもまだ死んでいないのだとすれば……一体何をすればこの生き物は死ぬのだろうか。そんなふとした恐怖が浮かび上がってくる。


 だが同時に、サキの中に現金な部分が囁く―――ここで力になれば、もしかして何かの繋がりが出来るかもしれない。ここで助ける事が出来れば、もしかして強さの秘密を知る事が出来るかもしれない。


 そんなちょっとした欲望が恐怖心を上回り、サキを灰色の死体へと近寄らせた。


 浮かび上がった矢印はサキが近づいた所で消える。


「おいおい、危ないぞ……」


「近づかない方が良いんじゃないか?」


 近寄らず遠くから眺めているだけの声が聞こえてくるのを無視して死体……らしい姿に振れた。脈はない。体は既に熱を失っている。見れば死体だと解る姿だ。だというのに、サキはここまで足を運んでしまった。


「まあ、クラスメイトだし……」


 流石に見て見ぬふりをするのも辛い。そう言おうとした所でからん、と音がする。音の主へと視線を向ければ、いつの間にか足元にポーションインジェクターが落ちていた。ダンジョン内で使い易いようにトリガーを引いて注入できる無針タイプのインジェクターだ。


「これ、結構高いのよね……中身、やっぱりエリクサー?」


 当然のように投入される完全回復の霊薬。上級帯に入るとぽんぽんと当然のように使い出すが、これでも安くて一つ数千万、濃度が高いもので数億は普通にする。それこそ数億クラスのであれば欠損した手足を生やす事さえ出来るレベルで強力な霊薬だ。


 上級ダンジョンの深層から採取できる素材でのみ生成可能な霊薬をシュウは本日既に7発自分に打ち込んでいると知れば、その金額だけでサキは言葉に詰まるだろう。だがそれを知る事もなく、数億という値段のする霊薬を今手元で扱っているという事実に僅かに震えながら、


 インジェクターの銃口をまだ比較的に無事そうに見える首筋に当てた。


「これで……良いのよね?」


 質はもっと低いが、同じような道具をサキも保有している。


 昔はポーションも飲む者が主流だった。だが時代の変化と共に戦闘も激化し、それに伴い戦闘中にポーションを飲みたくないという意見が当然ながら出てきた。それによってインジェクターによる注入が注目されて主流となった。


 サキが握っているインジェクターはその最先端のものだ。高価な道具である事を意識しつつ、シュウの血の気が抜けた首筋にあてがい―――トリガーを引いた。


 ぷしゅ、と気の抜けた音が響いてシリンダーに装填されたエリクサーが一瞬で打ち込まれる。


「入った……っ!」


 エリクサーを注入した次の瞬間、体から湯気が上がった。ひ、という悲鳴がサキの口だけではなく回りで状況を見ていた者達からも上がる。同時に肉体が欠損や破損を補う様に再生を始める。失われた肉を補填し、肉を繋ぎ、神経を結び直し、あらゆる傷を癒す。


 その光景は高位の探索者にとっては日常的な光景だろうが、そういう世界に縁のないものにとっては異常で恐怖の景色でしかなかった。


「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛」


「ひっ」


 ぼろぼろの体が動き出した。心臓のあった穴からは再生している最中だというのに大量に血液が溢れだし、それが地面に血だまりを作るのを無視しながら折れた足を再生しつつ立ち上がる。焼け爛れていた顔は逆再生するように元に戻って行き、折れ曲がった手足は元の形へと戻って行く。


「お゛ぉ゛、ぁ゛ぁ゛ぁ゛……」


 血があふれ出る胸の穴が徐々に閉じて行き、肉が生え、皮が生え、そして霊薬の生きる力によって無理矢理もとに形へと戻されて行く。それを中毒者は快感だと語り、そうではないものは苦痛だと感じる。無理矢理肉体が正しい形へと戻される感覚はそれこそエリクサーを常用する怪物でもないと理解出来ない。


 そしてそれを理解する怪物の喉が、内臓が、肉体が完全な形で再生を果たす。


 ぐきり、ごきり、骨を鳴らす音が響いて立ち上がった姿が腕を回す。数秒前まで死んでいた筈の姿が起き上がっている姿には怖気しか感じられず、中には腰を抜かしている者もいる。


 それを責める事は出来ない。


 起き上がった灰色の影にはこれ以上ない戦意と闘志で満ちていた。或いはそれは殺意とすら呼べるものだった。


「あ゛ぁ゛、あ、ぁ、ぁ……ふぅ、久しぶりに殺されたな」


 灰色のコートとブーツ以外の全てがぼろぼろだった。シャツも、ズボンも、破れていてまともに衣服としての機能をはたしていない。だというのにその下の肉体だけは完全な状態に復元されていた。その感覚を噛みしめるように体を動かし、


 あまりにもあっさりと、灰谷シュウ―――灰色の嵐は復活した。


 死んでいた筈なのに復活した姿を見上げ、東条サキは思わず零した。


「いや、人としてそこは死んでおきなさいよ……」

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