天使を呼ぶ為の機械

きょうじゅ

スワンソング

 彼女の唄には天使を呼ぶ力がある、と人々は言っていた。本当の本当に天の使いと呼ばれるような不可思議な何かを地上に呼び寄せるなんていう超常めいた能力を持っていると信じられていたというわけではないのだが、その歌姫のまさに“人間離れ”した歌唱能力を評するには、とある音楽評論家が彼女の歌声を評して述べたその言葉が一番であったのだ。少なくとも、みんなそう思っていた。彼女自身も含めて。


「わたし、もう天使を呼べなくなるかもしれない」


 歌姫ライラがそんなことをマネージャーの前でよくこぼすようになったのは、歌手としての彼女の技量がまだ爛熟を極めていた、二十代の中頃のころからである。


「またスランプなの? しょうがないわねえ……じゃあ、今夜も客席から調達してきましょうか、生きのいいのを」

「……そうね。お願いするわ」


 ライラは芸術家であって聖女ではなかった。彼女の性的放埓はあまりにも日常的でありすぎて、彼女が十六歳を超えるころにはもはやスキャンダル性を失い、俗悪な週刊誌の記者たちでさえろくに追いかけるようなことがなくなった。彼女のファンたちの中には、彼女のそのような面からきっぱりと目を背けてただ芸術家としての彼女のみを評価しようとする種類の人間と、彼女のそのような俗悪さを「彼女の芸術性の源泉である」と評する芸術家気取りと、大きく分けてその二種類がいた。最初から性的な下心でもって彼女に接近することを望む者も存在しないではなかったが、そのような者はマネージャーのリンネがけして彼女に近づけようとしなかった。リンネが主に利用するのは前述における後者の者たち、つまり自身の身を持ってライラの芸術の一部に成ることを望むような類の男ばかりであった。


「今夜は三人くらいでいい?」

「んー……五人お願い。ひとりは美少年、ひとりはロマンスグレーの年頃がいいわ」

「相変わらず面倒くさい事を言ってくれるわねぇ」


 リンネは今日も、行為を前にしたライラに猿轡を噛ませる。別に悲鳴を聞きつけた人間が飛んでくるのを避けるためであるとかそういったことではなく、あまりにも嬌声を上げすぎると声が枯れてしまうことがあって、それで以前大きな問題を起こしたことがあるからであった。


「さて……また、長い夜が始まるわねぇ」


 ライラと男たちを詰め合わせた閨の前で、リンネはひとりごちる。もちろん彼女以外にも(特にこわもての男性メンバーなども含めて)ライラの放埓を管理するためのスタッフはいるのだが、リンネは『彼女をこのようにしてしまった責任』というものが自らにあると感じているので、この役目を完全に他人に任せて帰ってしまうようなことは決してしなかった。


「今夜は死人が出ないといいけれど」


 ライラの狂乱は、ただの肉体の交歓だけでは終わらない。前後に必ず、薬物が用いられた。この国では煙草や酒と同程度に合法なのだが、同時に、煙草や酒と同程度に『乱用する者は白い目で見られる』という種類のものである。


 ライラはデビューして二年目、まだ十代の前半であった頃に、当時の恋人をその薬物、『スワンソング』のオーバードーズによって失っている。今も彼女の心を縛り続けているそのかつての恋人というのは、またのところではリンネの弟でもあった。

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