研究したくない大学院生がかわいい同期と卒業する

にょーん

第1話 研究したくない

ほぐした細胞をチューブに入れて機械にセットする。

スタートボタンを押すと機械が採取した細胞を解析し始めた。

解析が終わるまでの待ち時間を潰そうと俺はスマホを取り出す。



「まだその実験をやっているのかね」



SNSを開いたところで怒気を孕む声が背後からかけられた。

その声の主にうんざりして俺は舌打ちをこらえながら振り向く。

そこにいたのは大学院生たる俺の指導教員である長野教授。

常に寄った眉間のしわと嫌みなボイスがチャームポイントだ。



「・・・・・・ええまあ」

「次は上手くいくのだろうね?」



教授が脅すように睨んできた。

俺が実験を何度も失敗していることを受けての言葉だ。

学生に実験の指導をするという役目を放棄しておいてよく言うわ。

そう言いたいのをぐっとこらえて「三度目の正直なんて言葉もあるんで」とかなんとか適当な事を言って教授から視線を切る。



「・・・・・・ともかく。君のやっているのは実験のための実験だ。成功しても準備が終わっただけ。まだスタートすらしていないのだ。分かったかね」

「・・・・・・分かってます」



何か言おうとしたのか俺の背後に留まっていた教授だったが、しばらくして立ち去っていった。

以前は学生のことを完全に放置していたのに最近は突然今のように口を出してくるようになった。

明らかに指導者として目覚めたという風でもないし迷惑でしかない。

もう既に俺は研究に興味をなくしているし放っておいて欲しい。

そんなことを思いながらSNSをながめ時間を潰すことしばし。

実験は失敗していた。

俺は無感動にそれを受け止め実験デスクに座り、youtubeで動画を見始める。

見ているのは好きなストリーマーの配信のアーカイブ。

近々開催される人気ストリーマー達によるゲーム大会の練習配信だ。



「ここ実験デスクなんですが」



彼らの配信に俺は思わず笑みをこぼす。

漫才のように軽妙な彼らの掛け合いに吹き出してしまったのだ。



「・・・・・・」

「隣で動画見られていると気が散ります」



しかしふざけているばかりではなく、彼らのゲーム大会に向ける思いは本物だ。

和気藹々とした雰囲気ながらも全員が真剣に優勝を目指している。



「・・・・・・」

「・・・・・・ちょっと。聞いてるんですか」



一週間ほど行われる練習配信を追っていると、彼らのぶつかった壁や、それを乗り越えた過程、そしてチームで生まれていく絆を視聴者は知ることになる。

結果としてそのチームへの思い入れは強くなり、本番で負けたときは自分のことのように心の底から悔しいし、勝ったときは泣きそうになる。

こんな風にアツくなれるコンテンツなんてそうそうない。

これがまさしく「推す」ということであり――!



「・・・・・・推しににやつくオタクが気持ち悪い」

「・・・・・・にやついてないが?」



ぼそりとした呟きに全力で抗議する。

失礼極まりない言動により隣の席から俺の推し活を邪魔したのは七々瀬明日花。

染み一つない白衣をはためかせる、ポニテにくくった黒髪が印象的な女性。

所属している研究室における俺の唯一の同期だ。

実験デスクで動画鑑賞を決め込む俺をよそにテキパキテキパキとチューブに薬品を混ぜて、溶かすなどしている。

俺の抗議にあきれたように息をつき七々瀬は豊満な胸を抱えるように腕を組む。



「研究はどうしたんですか?」

「失敗した。データ無し」



現在俺――雪城知也は生物系の大学院2年生だが、今失敗した実験に限らずここのところ全く成果が出ていない。

その事を知っている七々瀬は心配するような視線を俺に向ける。



「え・・・・・・確か3回目ですよね。理由とかは」

「分からん」

「分からないって・・・・・・」

「まあ後から考えるよ」



会話を切って動画鑑賞を続ける俺に七々瀬はため息をつき、実験を再開する。

研究なんて失敗しても良いのだ。

失敗したということは上手くいかなかったということであり、上手くいかなかった理由がそこにある。

それが科学の発展に貢献するのだ。知らんけど。

互いが互いのやるべきことをやることしばし。

手を動かすのみで退屈になったのか七々瀬が口を開いた。



「内定もらってる会社の配信者さん見てるんですか?」

「や、全然別の配信者。今度ゲームの大会があるから勉強も含めてみてる」



俺は来年度からe-sports業界の会社に入社することが決まっている。

そのため最近は勉強のためにゲーム大会のクリエイティブまわりや盛り上げ方などを意識して見ているのだ。

一つの大会を見ているだけでも勉強になるが複数大会を見ていると多くの気付きを得られる。

というのも全ての大会は似ているようで違うからだ。

異なるポイントは各主催者の個性で、似ているポイントは盛り上げるためにどの大会の主催者も採用している工夫。

つまり盛り上がる大会には共通点があるのだ。

そういった俺の分析結果を七々瀬に説明してやると、ジト目を向けられた。



「その熱量を研究に向ければ良いと思います」

「研究が面白くて、意味があるのなら向いてただろうな」



七々瀬はあきれ顔で息をついて目の前の実験に戻る。

俺は意味のないことは絶対にやらない。

意味のない、つまらないことに時間を使うぐらいなら、楽しめるという意味のある娯楽に時間を使った方が何倍も良い。



「というか七々瀬が常に全力出しすぎなんだよ。力の注ぎどころ間違えると生き方間違えるぞ」



他方、七々瀬は何事にも手を抜かない。

知り合って2年と少し経つが俺たちの価値観はぶつかり続けている。

すました顔で七々瀬が言った。



「忠告ありがとうございます。でも雪城くんは手を抜きすぎだと思います。手の抜きどころを間違えると生き方間違えますよ」

「あん?」

「なにか?」



二人のあいだで火花が散って霧散する。

諦めたように俺から視線を切った七々瀬は実験を再開する。



「でも実際もう少し実験した方が良いんじゃないですか? 教授にもさっき注意されてたみたいですし」

「まあやる気が出たらやるよ」

「それいつも言ってません・・・・・・?」

「いつもそう思ってるからな」

「・・・・・・まあそれはともかく。そんなに成果が出ていないと、卒業できないかもしれませんよ?」



淡々と実験を進めながら話す七々瀬。

俺はそんな彼女から視線を切って中断していた動画を再生する。

七々瀬は大前提を勘違いしている。



「大学院なんて何もしなくても卒業できるだろ」



就活や将来のための勉強などに時間を使っていたので、確かに俺はほとんど研究を行ってこなかったが成果はゼロではない。

大学院の卒業なんてそれで十分だろう。



「だといいですけどね」

「・・・・・・」



ぼそりとした七々瀬の呟きに俺は聞こえないふりをする。

どう考えても七々瀬は心配しすぎだ。

動画を見続けること十数分後。

動画も一区切り付いたので俺は七々瀬に声をかける。



「昼ご飯いくか?」



休まず実験を続けていた七々瀬は俺の声に気がつくと時刻を確認する。



「あ、もうこんな時間。数分だけ待ってもらってもいいですか?」

「了解」



頷いた俺に七々瀬は小声で礼を言うとサンプルの入ったチューブを遠心機に丁寧に並べていく。

七々瀬が終わるまで動画を見て時間を潰しても良いのだが、なんとなく気が向かなくて七々瀬の実験をぼんやりと眺める。

長いまつげに縁取られた大きな瞳が手元を見つめ、すらりとした手指が机の上に並べられた実験器具を元の場所に戻していく。

その動作は愛情すら感じられるほどに細やかで七々瀬の実験に対する姿勢が窺える。

一切無駄のない動作で机の上を片付けた七々瀬は丁度回り終えた遠心分離機からサンプルを取り出し、チューブ立てに並べていく。

仕上げにピペットを取り出した七々瀬は上澄みだけを慎重に吸い出す。

最後のサンプルから上澄みを取り除いた七々瀬は安心したように息をつき、ゴム手袋を外した。



「すみませんお待たせしまし・・・・・・私の顔に何かついてますか?」



言いながら少しだけ首を掲げる七々瀬。

見惚れてしまっていたことに気がついた俺はやや顔が熱くなるのを感じながらふるふると首を振る。



「や、実験上手いなぁと思って見てた」

「ふーん?」

「・・・・・・いいから昼飯行こうぜ」



納得のいっていない七々瀬にそれ以上気取られないよう俺は七々瀬に先行する。



「まあいいですけど」



そうぼそっと呟き七々瀬が追いかけてくる。

付き合いが長いので当たり前すぎて忘れていたが七々瀬ってかなり可愛いんだよなぁ。

その日は微妙に生じる照れを七々瀬に気取られないようにするのが大変だった。

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