聖歌

昨日刻

アンクレア

万事屋セッカ


焼けた空気の臭いが鼻孔を擽る。

黒ずんだ石の破片は倒壊した牢の残骸で、この場に起きた惨状を何よりも雄弁に語っている。

まだ昏くも鮮やかな朝焼けの空に似つかわしくない光景に、俺は少しの間立ち尽くしていた。


「此処に居たんすか、レティアスの兄貴」


「……」


年若い男の声に振り向く。

俺より年上の後輩は、その童顔を小さく歪ませて言った。


「女は見つからなかったっす」


「そうか。ちゃんと指示は伝えたんだろうな?」


「そりゃ勿論。町から出る奴を重点的に炙れ、っすよね……そいや、何で出る奴だけ?」


「この規模の発火が出来る連中はこの町に居ねえだろ」


「他所者ってことすか」


首肯する。

こいつもこう見えてただの馬鹿じゃない。

大体は理解しているだろう。


「手傷は負わせたけど、この様子じゃ逃げおおせてるだろうな」


「すよねえ……ブレットの兄貴荒れてないといいっすけど」


「何言ってんだ。大荒れに決まってるだろ」


「うわあ、聞きたくない現実……」


男が頭を抱える。

大の大人がするには些か情けない恰好だ。


「いつまでうだうだしてんだ。早く戻らねえと更に荒れるぞあいつ」


「……そうっすね。も、戻ります」


嫌だー、とぶつぶつ言いながら持ち場に戻る彼を見送って、再び残骸の方へ視線を戻す。

何度見ても色々な意味で溜め息が出る。

依頼自体はこなしたというのに報酬が払われないとはふざけた話だ。

あの女だけでなく、傲慢な依頼主にも殺意が湧く。


男が居なくなってから、数十秒。

辺りの静寂はより際立つ。

朝告げ鳥すらも、焦げた空を嫌ったのか今日は居ない。

世界には俺ただ一人。

そんな錯覚を感じる程の沈黙の向こう側。

燃え滓の先から微かな音が響いた。


「あ?」


「……ぁ……っ……」


呻き声を頼りに歩みを進めると、思いの外目的地は近かった。

積み重なった残骸。

瓦礫の山の内側に、弱く震える人の指を見つけた。

脱力する寸前で何かに支えられるように動く腕が、気の遠くなるような遅さで俺の方へ伸ばされる。


「死に損ないか」


無造作に手を振るう。

思い遣りもクソもない動きで、瓦礫は粗方弾き飛ばされた。

そして、その拍子か倒れた一人の姿が露になる。


「へえ……お前は」


くすんだ金糸。

虚ろに朝を映す瞳は碧く、焦点は何処にも合っていないように見える。

煤や裂傷、その他諸々で小汚いが、この通りに似つかわない程整った顔立ちの少女だ。

だからこそ、見間違えるはずもなかった。


「昨日の目玉か。何で逃げ出さなかったのかは分からねえが」


「……」


「まあどの道その火傷じゃ助からない。……じゃあな」


「……ぁ……す」


もう消えそうな命。

弱さの象徴のようなそれが、去ろうとする俺を前にして何かを呟いた。


「?」


「た……す……」


「――」


「け……」


「――お前」


伸ばされた手がゆっくりと落ちていく。

地に堕ちればもう二度とは戻れないだろう。

そんな予想を裏切るかのように、細腕は黒い土を握り締めた。

そうして、緩慢ながら確かな動きで腕は彼女の口元に上がっていく。


きっと、これからどれだけの時が経とうとも。

この景色だけは忘れることはない。

根拠の一つもない確信が、予感となって俺の脳髄に焼き付いた。



心地良い微睡みの中にあった意識が、じりじりとした熱気に当てられて引き戻される。

ぐちゃぐちゃの脳みそを組み直すように霞む視界のピントが合った。


古めかしい木々の内装、デッキの外から頬を撫でる東風、頭上を照らす陽の光。

どれもがいつも通りの光景だった。

それでもまだ残る些細な違和感を吹き飛ばすように、快活な声が響いた。


「おっまたせー!」


「あ?」


「ええ、何でいきなりガン飛ばしてくるの……さては寝惚けてるなあんた」


「さあな」


いい具合に焼けた魚の匂いがする。

一度意識してしまうとそれを無視するのは難しく、目の前の女のことなどどうでも良くなってくる。


「腹減ったわ。待たせすぎだろ」


「いやあほんとごめんね。最近お客さん多くてさ」


「ほーん」


確かに周囲はかつてないほどの盛況っぷりだ。

この店——ティモスはすぐ傍を流れるメロ川で獲れた魚料理を看板として、毎日それなりに繁盛している飯処ではある。

だがそれはあくまでそれなりでしかなく、ここまで騒がしいと何か理由があるように思えてならない。

そもそも、この混雑が常日頃のものだとしたら俺は此処を贔屓にしていない。


嘆息一つ、視線を横の客共に逸らす。

剣を腰に携えた青年、酒瓶を呷るおっさん、薄手のローブを羽織る女、その他似たような面構えが店内の座席を埋め尽くしている様子が見て取れた。

彼らに共通しているのはまずこの町の人間ではないこと。

次に、誰もが浮かない顔つきをしていること。

そして、衣類の肩口に刺繍された、翼を生やした剣の紋章。


「あいつら翼剣会だな」


「うん。詳しいとこまでは教えて貰えなかったけど、なーんか魔獣騒ぎが起こってるみたい」


「それでこの大所帯か。ご苦労なこって」


面倒が起こらない内に視線を戻す。

それにしても、だ。

わざわざここまで大勢で集まるなんて、その騒ぎとやらは余程近場で起こっているのだろうか。

この近辺の諸々の動向に限っては自分なりに意識を向けているつもりだが、そんな話は聞いたこともない。

これは単なる俺の調べ不足か、それとも――。


「――おいコハク」


「ん?」


「何でお前まで座ってんだ」


「だってあたしこれから休憩だし」


「忙しいんじゃねえのか。おばさんがキレるぞ」


「ちゃんと許可取ってますー。午後は新しく入ってきた子達で回すんだから」


正面に座ったコハクが憎たらしい笑みを零す。

よく見れば、俺の頼んだ料理以外の皿も持ってきている。

どうやらはなからその気だったらしい。

飯ぐらい一人で裏で食えばいいだろうに、いつも通りに理解不能な奴だ。


「はあ……うるさくすんなよ」


「それは約束出来ないかも」


「……」


「実は話したいこと沢山あるんだよね。最近色々物騒みたいで」


「……」


「ちょっと。料理じゃなくてあたしの方を向け」


「ぁむ……飯屋の娘の言うことじゃねえな」


無視して串焼きに集中していたら流石に咎められた。

何が悲しくてわざわざ飯時にこいつの長話を聞かなければならないんだろう。

心底不思議に思っていると、微妙な膨れ面でコハクが続けた。


「もう、少しは聞いてよ。ほら、これ一切れあげるから」


「何でも言ってくれ。俺が全部聞いてやるから」


「駄目だこの男……どうにかしなきゃ」


差し出されたイエルの炙りを食いつつ、コハクの話を促す。

彼女は呆れ切った表情で、それでも朗々と口火を切った。


「じゃ、まず一つ目。南の盗賊がまた脱獄したんだって」


「またかよ。こないだも同じような話してなかったか?」


「したした。今年だけでもう三回」


「ザル過ぎるだろ」


「あたしもそう思って突っ込んだんだけどさー、今回のは結構厳重なとこだったらしくて。嘆かわしい嘆かわしいって商人のおっちゃんもぼやいてたよ」


そこまでいくと、もはやわざと捕まっているようだ。

南と言えば亜人が支配する大国だが、訳の分からん変態は何処にでも居るものらしい。

毒にも薬にもならない話のように聞こえるが、奢って貰った一切れの旨味がその無為を誤魔化してくれた。


「じゃあ二つ目ね」


「へいへい」


「すっごい美人さんが今朝来たの。なんかフリフリした……ああいうのなんて言うんだっけ」


「……」


「あ、そうそうメイド服!もうお冷を飲む姿が優雅でね」


「それってマジか?」


「え?うん大マジだよ」


「……マジか」


「うん。ってか凄い興味持つじゃん。あ、もしかしてレティはそういうのが趣味だったり?」


「なあコハク、マジか?」


「おい。ちゃんと聞いてないでしょあんた」


「うん」


うんじゃない、と此方を睨みながら、渡されたのはもう一切れのイエル。

丁度燃料が切れたところだったのでありがたい。


「何が悲しくてお前が女のケツ追っかけ回してる話を聞かなきゃならないんだ」


「追っかけ回してないし。ただほら、可愛い子とか綺麗な人とか目で追っちゃうじゃん」


「俺が硬貨に惹かれるのと同じようなもんか」


「一緒にすんな銭ゲバ」


「寧ろ何が違うのか教えてくれ」


「女の子と硬貨は全然違うでしょうが……はあ、その調子だと西の聖女さんの話も興味無さそうだね」


「そもそもそれは知ってる。病死したんだろ、その聖女とやら。ただでさえ法王も殺されてるのに災難だって西から来た客が言ってたわ」


「ふーん。客ねえ」


意味深な視線で会話を切るコハク。

何を考えているのか、大体想像がつく。

面倒な問答が始まりそうだ。


「ね、最後に一個だけいい?」


「食い終わるまでなら」


「そんな長くないからへーき」


流石に話疲れたのか、彼女は乾いた喉を潤すようにココの果汁を飲んだ。

何ともなしに目が合うと、夕陽のような黄金の瞳は急に真面目な色を湛えた。


「レティさ、まだ変な仕事受けてるの?」


「受けてるって言ったら?」


「今すぐ辞めてって言う」


血は争えない、といったところか。

こういうお節介なところは此処の店主によく似ている。


「何度も言ってるよな。余計なお世話だって」


「そんな言い方……」


「自分の仕事くらい自分で決めるって言ってんだよ。何もおかしくないだろ」


自分の皿が空になったのを確かめて立ち上がる。

此方を見上げるコハクの瞳は、何処までも真っ直ぐなものだ。


「じゃあな」


「……レティ!」


未だ引き留める声を無視して、店の扉へ足を動かす。

そうして外に出れば、あれだけ鬱陶しかった太陽は既に暮れ始めていた。

もうすぐ夜が落ちてくる。

大勢にとっての一日の終わりは、今の俺にとっては始まりだった。



夜の暗がりを駆けていく。

大通りから少し離れたこの路地を照らすのは、月明かりと僅かばかりの灯火だけ。

薄気味悪く感じてもおかしくないような闇の中、しかし俺の心の大部分を占めるのは享楽だった。


「っ……!」


前方から、駆ける足音に紛れて僅かな息遣いが聞こえてくる。

逃げ足だけは達者なもんだ。

もう少し退屈な仕事だと思っていたが、良くも悪くも誤算だったらしい。


右に左に右に左に。

次々と不規則な道筋で彼我の距離を開けようと試みる姿が余りにも涙ぐましくて笑ってしまう。

そうして数分程。

命を賭けた徒競走はそれほど長く続き、案の定と言うべきか先に限界が来てしまった。


「……飽きたな」


無論、俺の興味の限界だ。

多少面白かったから付き合ってやっていたが、そもそも俺は早く帰って寝たいのだ。

ここいらで幕切れにするのが妥当だろう。


路地裏深く。

足場の多い区画に入ったのを確認して、右手に掴んだ羽毛を握り潰す。

群青のそれが霞むように溶けていくと、全身が急激に軽くなった。

歩幅は常人の大股の三倍近く。

滞空時間も異常に長く、重力の縛りを一瞬無視するように体は跳ねる。

そのまま三角飛びの要領で屋根上に飛び移って、不規則に曲がる標的に向けて一気に距離を詰めにかかる。


「なっ!?」


「よう、いい夜だなおっさん」


十字路の直前へ飛び降りる。

前のめりになっていた足取りを潰すように、俺は男の正面を陣取った。


「……はは、殺すのか俺を」


「まあそうだな」


「何故だ……お前とて、あいつが屑なのは知っているのだろう!?」


「あー、そうだっけ」


一周回って恐怖が怒りに変わったのか、発狂するように男が叫ぶ。

何というか退屈な展開だ。

この場において、この男の言葉には何一つ響くものがない。


「そうだ。私は……私は、妻を殺された。だから奴の家族も殺し返してやっただけだ……!」


「へえ、そうだったのか」


「分かるだろ?私の行為は正当な復讐なんだ」


「なるほどな」


顎に手を当てて熟考する。

その末に、俺は一つの結論を得た。


「ごめん、割とどうでもいいわそれ」


「……は?」


「正しいとか正しくないとかそういうの興味ないんだ。俺、ただの雇われだから」


「き、貴様……!」


「それに――」


俺の言葉に激昂して、男が短剣片手に飛び掛かってくる。

それは、このやり取りでこいつが見せた初めての攻勢であり。

同時に最後の攻勢だった。


腰のホルダーから今度は鋭利な牙を掴み取る。

瞬きの間もなく、俺自身が切り替わった。


「――剣を手段に選んだ時点で、お前も俺と同じ屑だよ」


「がっ……ぃ……」


無造作に振るった手刀が男の胸を深く貫く。

生温かい感触と共に、鉄臭さが辺りに充満した。

腕を引き抜くのと同時に後ずさって最大限返り血を躱す。

それでも避け切れなかった赤が、腕を中心に汚くこびりついた。


「はあ……帰ったら水浴びだなこりゃ」


刃物のように鋭利に変化した腕が常人のものに戻っていく。

こっちの特性は殺傷力は高いが、やはり使うと汚れるのが難点だ。

憂鬱な気分に包まれつつも、仕事を終えた俺は淡々と帰路についた。


肌に染み付いた血の臭いが脳を揺さぶる。

それは昼間の焼き魚の香りとは正反対の代物で。

否が応でも、今の俺の在り様を詳らかにする。


”金さえ払えば何でもやる”


それだけを矜持として、俺――レティアスは日々を生きている。

そして、その美学を唯一の決まり事として無差別に門扉を開けるのが、俺の店である万事屋セッカだ。

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