第1話

 まだふたりの死から立ち直れていない葬儀の翌日若頭の獅子堂から話があると呼び止められた。

 天鬼組の会長であった父の剛は遺言で杏奈に天鬼組を任せたいと残していたと知ったのも葬儀の時だった。

 父とロッキーの遺骨が置かれた大広間の大きな座卓の向かい合って座る。



 若頭の獅子堂は杏奈に頼んだ。

 「お嬢、どうか天鬼組を引き継いでいただけませんか?」

 獅子堂は、頬に傷のある強面の30代の父の一番の舎弟でもあった。

 「…そんな話聞いてない」

 そっけなく答える。

 葬儀を終えたばかりでまだ頭の中はふたりが死んだことさえも受け入れられていないこの状況で?

 獅子堂?気は確かかと聞きたくなった。


 「ですが組長はお嬢にこの組を任すと遺言にも残されています。お嬢がこの組を継がなきゃ誰がこの組を守るんです?」

 獅子堂の顔が引きつったようになってさらに凄みを増した。

 杏奈はそんな獅子堂など恐いとは思わない。彼が本当は気のいい優しい男と知っていたから。

 目いっぱいに息を吸い込むと吐き出すように獅子堂に言う。

 「あなたがすればいい。私はこの組の事には関わりたくないもの」


 獅子堂はうなずく。

 「お嬢。そんな事が出来ないから頼んでいるんです。お願いします。どうか考え直して下さい」


 獅子堂は深々と頭を下げた。

 やめて、冗談じゃない。頭なんか下げても気持ちは変わらない。

 杏奈は心でそう思いながら言う。

 「だって、私に出来るわけがないじゃない。ヤクザの事は何も知らないし、それにヤクザなんか嫌いなんだから」

 「それは何も心配いりません。大丈夫です。俺がお嬢を支えます。あなたには何ひとつ不安に思わなくていい。俺はお嬢が組長になってくれればすべて俺がうまく取り計らいます。だからお嬢…」

 獅子堂の顔は真剣そのもので、それは真に迫っていて…座卓の向かいにいる獅子堂の手が伸びて来て、思わずその気迫に身体が後ろに引けた。



 これは相当本気だ。脳が震えるほど恐怖が湧きあがって来る。

 そんなの出来るわけがない。この組の組長になれって?

 誰がどう考えたって無理に決まっている。

 「お嬢、どうかお願いします。俺達を見捨てないで下さい」

 年上の獅子堂が畳に擦り付けるほど頭を下げてくる。

 無理、無理、無理。 



 ああ…もう勘弁して、私、絶対無理だから…そんな場違いな態度で頼まれても気持ちは変わらない。

 こうなったら、解散だ。そう、解散すればいい。こんなヤクザの天鬼組など終わりにすればいい。

 そう言う思いっきりのいい所などはやはり父の遺伝なのかもしれない。

 そう、スパッと行こうじゃない。



 「それは無理です。獅子堂どうしてもと言うなら天鬼組は今日をもって解散とします」

 「待って下さい。お嬢それだけは、お嬢さえ組を継ぐと言ってくれれば後の事は俺達でやります。だからそれだけは勘弁してやってください」

 強面の獅子堂の顔がゆがんで目には涙すら浮かべている。

 あなたみたいな男が…いえ、そんなものに惑わされてはいけない。

 「いいえ、こういう事はスパッと行った方がいいのよ。みんなを呼んで頂戴。私が話をする」

 「お嬢、もう決めたって事ですか?もう心変わりすることはないとおっしゃるんですか?」

 「私がこの組を継ぐことは未来永劫ないから。だったら今すぐに終わらせる。それが一番いい」

 獅子堂の目の中の瞳孔がぐっと押し開かれた。

 「わかりました」

 膝をついて立ち上がる動作がぎこちなく見えて少し同情するが、もう後には引けない。

 獅子堂の態度は見事としか言いようがない。


 そして組員みんなの前で杏奈は天鬼組を解散すると宣言した。

 組の事務的な事やそのほか諸々の事はすべて獅子堂に任せる事にした。相続なども顧問弁護士にすべて任せた。



 そして杏奈は隣町の保育園で仕事をつづけた。

 父の期待を裏切ることにはほんの少しは後ろめたさはあったものの、そんな気持ちはすぐに消えて行った。

 「パパには悪いけど、わたしこれでやっと普通の暮らしが出来るから」ひとり自分の部屋で思わずそんな事をつぶやいた。 

 ロッキーが自分を犠牲にまでして助けてくれたのよ、いつまでもめそめそしていちゃだめよ!



 杏奈はこれからはしっかり生きて行かなくてはと思う。

 そしてロッキーの思いにこたえるためにも杏奈は保育士の資格を取ろうと決意する。

 そして必死で勉強しながら保育園に行くようになる。

 それに保育園に行けば子供たちとの時間が杏奈を癒してくれた。

 そして数ヶ月が過ぎて、少しずつ杏奈にも笑顔が戻り始めていた頃だった。



 保育園にいきなり若い男が入って来た。子供たちは外で遊ぶ時間でみんなはしゃぎまわっている。

 先生たちは数人で子供たちを見ていて…


 杏奈がその男に声を掛けた。

 「あなたはどなたですか?勝手に入って来られると困るんですけど」

 「ぅるせぇ!」

 男は杏奈を視線を合わせようともせずに子供たちの方に近づいて行く。


 「待って下さい。困ります。先生この人おかしいです。子供たちを早く園の中に…」

 杏奈は叫んだ。

 他の先生も男に気づいた。急いで子供たちを誘導し始める。

 杏奈は男の気を反らそうとしきりに声を掛ける。

 「お願いです。子供たちが恐がりますので止まって下さい」

 「やかましい!」


 なのに男は真っ直ぐに子供たちに向かて歩くのをやめない。

 「危ない!逃げて…」

 杏奈は咄嗟に男の前に飛び出した。近くにいた女の子をかばうように男の胸を強く押そうと手を突き出し…

 それでも止まらない男に杏奈は真正面からぶつかった。

 ドン!!

 グサッ!

 とてつもなく嫌な音がして杏奈はどさりと放り出された。

 あっ!。思わず手を当てたところから何やら温かい液体が流れ出している感じがする。

 目を向けると真っ赤な血だった。あっと思った瞬間身体が勝手に傾いて行く。

 ふっと脳裏に浮かんだのは後悔。

 最期にこんなことならロッキーに好きだって言えばよかった…そしたら私たち普通の恋人になれたかもしれない。

 そのまま杏奈の意識はなくなっていた。

 男はナイフで杏奈の胸を一突きにしていた。



 *******************



 それからどれくらい経っていたかもわからない。

 杏奈が気が付くと見知らぬベッドにいた。

 ここはどこ?


 「お嬢様?…ああぁぁ、奥様お嬢様の意識が戻りました」

 もう、誰なの?大きな声で…お嬢様って誰の事なのよ。



 「ルヴィアナ!気が付いたのね…ああ…良かったわ。一時はどうなるかとほんとに心配しました」

 いきなりどこかの映画のセットにでも紛れ込んだかのような…その女性がキュッと腰が締まったドレス姿で金色の髪をきっちりと結い込んでいて…

 「あの…」

 「いいのよルヴィアナ。あなた熱が高くて意識がなかったのですから…マーサ何か飲み物を持って来て」

 「はい、奥様すぐに…でも本当に良かったです」

 メイド服の女性は嬉しそうに部屋を後にした。

 


 「ルヴィアナって…」

 「もう、あなたの名前はルヴィアナ・ド・クーベリーシェでしょ、まだ意識が朦朧としているのね。仕方がありませんわ。あなたはもう3日も熱でうなされていたのですから…でも、もう大丈夫です。きっとすぐに良くなるわ」

 「あなたは…」そしてここは何処?

 「まあ、もうルヴィアナったらあなたふざけてるのね。お母様はそんな事では驚きませんよ。でもそれくらいのおふざけが出来るくらいで良かったですわ」



 お母様って?ここはどこなの?私は一体どうしたんだろう?

 杏奈は動揺して言葉も出なかった。

 それからお母様に言われた女性がに飲み物を持って来てくれて、またそのまま眠ってしまったらしい。

 脳はあまりの驚きで考える力さえも失っていた。




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