少女は世界をピンクに変えた
鈴木魚(幌宵さかな)
少女は世界をピンクに変えた
「ねぇ、いつまでここにいるの?」
僕は隣に座っている“葵”に声をかけた。
葵が座っているのは、住宅街にある公園のベンチで、座り始めてすでに一時間は経っている。
葵は大きなため息をついて、白群色の襟つきワンピースのポケットからセッター(セブンスター)の箱を取り出した。
「煙草は虫歯に悪いよ」
「知っているよ」
そう言いながら、葵は煙草を取り出し口に咥えたが、火は付けなかった。
「そろそろ、歯医者に行った方がいいんじゃない?」
僕は公園の出口を顎でさし示した。
住宅街の高台に位置する公園の正面には、道路を挟んで小さな歯医者がある。
今も小さな男の子が母親に連れられて、ガラス扉の向こうに消えて行くところだった。
「……うん」
葵はベンチに座ったままルビー色のパンプスを履いた足をぶらぶらと揺らした。
僕たちの間を涼やかな風が通しすぎ、草木のざわめきが聞こえる。
葵は一向に立ち上がる素振りを見せない。
「歯が痛いんでしょう?此処にいたって治らないよ」
「わかってる」
「予約時間過ぎちゃうよ?」
「わかってるってば」
葵は再びため息をついて、空を見上げた。
太陽は西の空にゆっくりと沈み始めている。
あたりはまもなく夕焼けによってオレンジ色に染め上げられるだろう。
「私がこんなに苦しんでいるのに、空はいいよね。あーなんかムカつく」
「空に当たらないでよ」
葵は何か僕に言おうと口を開きかけたが、顔をしかめて、右の頬に手を当てた。
「痛むの?」
「少しね」
葵は大きく伸びをした後、ベンチから立ち上がり、ルビー色のパンプスのつま先で地面を、トン、トン、トンと三回軽く叩き、空に向かって指を突き出した。
そして、その指で大きく空中に円を描き始める。
何度も、何度も円を描いていると、西の空から白い綿毛のような雲が湧き出てきて、ゆっくりと空を覆い始めた。
オレンジ色に変わり始めていた空に薄雲が広がり席巻していく。
「大人気ないよ」
「うるさいなぁ」
空に広がった薄雲によってオレンジ色に染まりかけた世界がピンク色に変わり始めた。
「こんなことに魔法を使ってもいいの?」
「いいのよ。魔法は世界を幸せにするもの。ピンク色って可愛いし、少なくとも私は今、幸せになれた」
「器が小さい」
「黙れ」
葵はそう言うと僕に向かって手を伸ばし、わしゃわしゃと頭を撫でた。
「ちょっと元気出た。仕方ないから、歯医者に行ってあげる」
「時間かかり過ぎだよ」
僕が呆れたように言うと、葵は僕の鼻先に急に手を差し出してきた。
僕は反射的に葵の手の匂いを嗅いでしまった。ミルクみたいな匂いがする。
「歯医者に行かない君が偉そうに言うなよ」
葵は、もう一度、僕の頭を撫でると踵を返して、公園の出口に向かって歩き出した。
「全くこれだから人間は」
僕は大きなあくびと共にゃーと鳴いて、尻尾を振ってやった。
真っピンク色に変えられた夕暮れの世界で、またひとり魔法少女が歯医者に行った。
原案:白群
“真っピンク色の夕暮れ またひとり魔法少女が歯医者に行った”
少女は世界をピンクに変えた 鈴木魚(幌宵さかな) @horoyoisakana
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