零話『始まりの朝』
その日――正確には四月一日の朝。
東京の新橋駅近く。オフィスビルが立ち並ぶ一角には、朝から人混みが出来ていた。道行く人が立ち止まって覗くその先には、デジタルの規制線が張り巡らされている。
規制線の前や内側には警察車両が止まっており、野次馬が携帯端末などで撮影やネットへ情報を流している。規制線の前には警官が数名立ちはだかっているが、その表情はどこか野次馬を嫌悪している様子が見られる。
鑑識や刑事と思われる人々が規制線の内側を行き交う中、新橋駅方面から雑踏を一人の少女がそちらへ向かってくる。
ロングコートに学校の制服と思われるチェックスカートとブラウス。その格好の少女は、規制線の前に立ち並ぶ人混みを掻き分けて、警官の前で立ち止まる。
警官が少女を見下ろすと、少女はロングコートの内ポケットからある物を取り出して見せた。それは、ネックストラップが付いた特殊な警察手帳だ。
「お疲れ様です。どうぞ」
それを見て警官が敬礼をすると、少女は会釈をして規制線の奥へと入っていく。会釈をした際に、少女の黒い長髪が僅かに揺れる。
少女は路地裏へと進みながら行き交う警官や鑑識に会釈をし、路地裏の空き地へと辿り着いた。辿り着いた場所には、人々が忙しそうに立ち込めている。
ビルの谷間に出来たぽっかりと空いた小さな空間は、真上を除けば綿貫の青空が垣間見える。少女はそこから現場と思しき場所へ視線を下ろし、グレーのコートを着た人物を見て近づく。
「おはようございます、伊吹さん」
初老に入りかけの男性が、他の刑事達から少女の方を向く。
「ん――ああ、おはよう凛ちゃん。わざわざ来てもらってすまないね」
難しそうな顔をしながら謝る伊吹に、凛と呼ばれた少女は首を小さく横に振る。
「いえ、事件という事なので構いません。それで被害者と現場は?」
「ああ、こっちだよ。ちょっと朝からはキツイけどね」
伊吹は凛に手招きをして、刑事数人と共にブルーシートで覆われた場所へと案内する。伊吹が先陣を切ってブルーシートを潜り、凛が後に続き中へと入る。
そこはまず、異臭に包まれていた。血生臭いにおいと、汚物が混ざったような混沌とした臭いが鼻を突く。続けて、凛がシートに覆われた遺体と思しき方に目を向ける。
「残忍と言うべきか、はたまた凄惨と言うべきか。何とも言えないが、一先ず見てもらっていいかい?」
「はい。分かりました」
伊吹の頼みに凛は頷き、手を合わせてからシートを除ける。そして、凛は驚きで目を丸くした。
「酷いもんだろ。ここ最近で一番酷い……」
伊吹が言う中、凛はシートの下の遺体を観察する。
まず、遺体には首から上がなかった。続いて胴体は腹が真ん中から左右に切り開かれていた。四肢はあれども手指は焼け焦げている。さらに胴体の中にあるはずのブツ、臓器が一式なくなっている。
「朝から悪い物を見せてすまないが、これが今日のご遺体だ」
「確かに酷いですね。頭と臓器がなくて、指が焼けているなんて思ってもみなかったです」
ああ、と言う伊吹の言葉の中に、言葉にはしてほしくなかったという思いが込められているのを凛は分からない。
凛は遺体にシートを戻してから立ち上がり、伊吹の方を見る。中年太りなのか、恰幅の良い体系にスーツが少し狭そうに見えるのは気のせいではない。
「被害者がここまでされた理由は分かっていますか?」
「いや、まだそれは調べている途中だ。ただ、鋭利な刃物で首が切られ、力ずくで体を引き裂かれて内臓をえぐり出されたのは間違いないと見ている」
「その上、証拠を消そうとして指を焼かれた――ですか?」
「ああ。残忍な手口だよ。まったく……」
ほとほと呆れる伊吹の表情を見て、凛は遺体のシートを見つめる。
証拠を消そうとするなら殺して指を焼くだけで十分なはずだ。わざわざ内臓一式を取り出し、その上首まで持って行くとは考えづらい。
この案件、否、この事件は少し特殊なように思える。凛はそう考えて、腕に着けている携帯端末を見つめた。
最新の腕輪型の淡い水色の携帯端末。その液晶には七時二十三分と表示されている。
「伊吹さん、申し訳ございませんが私は一旦この辺で」
「学校かい?」
「はい。今日は面倒ですが入学式で」
「おっと、それは行かないと」
まるで自分事のように動揺する伊吹に、凛は平常心のままで頷く。
「はい。なので、入学式が終わった後にこちらから連絡します。午後になりますが宜しいでしょうか?」
「ああ。いつでも掛けてくれて構わないよ。こっちも進展があったら連絡するから」
「ありがとうございます。では、私はこの辺で失礼します」
そう言って深々と一礼して、凛は路地裏から出る道へと歩き出す。その颯爽と歩く姿を見て、伊吹の隣にいる若い刑事が伊吹に言う。
「あの、俺入職したばかりでよく分からないですけど、彼女は誰なんですか?」
「ああ、そうだったな。まぁ、前置きは長いからあれだけど、彼女は警視庁の特別捜査官だよ」
「え、警視庁の特別捜査官!?」
「特殊なルートで入った、正真正銘の――警視庁の警察官だ」
「ひぇ――恐ろしいっすね、世の中って」
若い刑事の言葉に、伊吹はふっと笑いこう言う。
「もっと恐ろしい話をすると、あの子は特別捜査官のリーダー、いわゆる部長だ」
ぎょっとして若い刑事が見送る凛の姿は、既に路地裏から出た後で、影だけがまだ空き地に残っていた。
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