七夕の空の下は、そんなに優しくはないけれど
小石原淳
第1話 七月七日の小さな事件
見つけた。
女の子が泣いている。鳴いて啼いて哭いて。
だから関わることにした。
十代半ばぐらいで、それにしては着飾っている方だろう。この季節にぴったりの明るい色のサマードレスに、やや短めのスカート。アクセサリーもきっと通常より多く着けている。
「どうした」
声を掛けると、くしゃくしゃの表情をした面を起こして、その子は僕を見た。何かを云ったみたいに口を動かしたものの、僕の耳には届かない。
再度、彼女が口を開く。
「待ち惚けを喰わされて」
「なるほど。いつから」
「今日は何日」
「七月七日だよ」
「じゃあ、朝から。十時頃」
「そうか」
「あなた、警察か補導員の人なの。家出じゃないわよ、云っておくけど」
「こんな格好の警官や補導員はなかなかいまい」
僕は腕を広げ、マントの前を少し空けた。少々、寒い。
「そうよね。コスプレみたい」と、彼女は納得の顔になる。涙はどこかへ行ったらしい。
「コミケにはあとひと月以上あるんじゃなかったっけ。それともどこかでそういうパーティがあるとか」
「そろそろ君の両親が来る」
僕は無理矢理話を転じた。
「えっ」
「ここに、君に会いに来る」
小首を傾げた彼女は、そのまま不思議そうに目を丸くし、質問してきた。
「何で。ちゃんと断って出て来たのに。確かに少し遅くなるのは間違いないけれど。だいたい、どうしてあなたがそんなことを……やっぱり警官なんじゃない」
僕は分かるまで説明をするつもりでいたが、やめた。必要がなくなったのだ。そう、彼女の両親がちょうど現れた。派手でない花束を抱え、缶ジュースやお菓子、ぬいぐるみなんかを用意して。
「……何、あれ」
気付いた彼女は、親に駆け寄ろうともせず、ただ見つめる。
父親も母親も黒っぽい服を着て、沈痛な面持ちで俯く。自分達の子供に気が付かないでいた。足どりも軽くない。
「私……死んだのね」
彼女は悟ったような声で云った。
自らの立場をおおよそ解した彼女に、僕は僕の知る範囲で詳しい話をした。
君は一年前の七夕に彼氏と待ち合わせるため、ここに来ていた。日曜の朝だった。約束の時刻を三十分ばかり経過しても、彼氏は姿を見せなかったが、君は待っていた。携帯電話を持っていなかった。そしてとうとう一時間が過ぎようとした頃、大型トラックがこの前の通りに差し掛かった。スケジュールが遅れ気味だったそのトラックは、制限速度をオーバーし、急カーブを曲がりきれず、横転し、歩道に突っ込んだ。歩行者数名が、満載の砂利に埋まった。さらにトラックが火を噴く。結果、三人の死者が出た。その内の一人が君だ。
「他に死んだ人達は、どこにいるの」
「ここにはいない」
「成仏したっていうやつかしら」
「それは僕にも分からない。君が幽霊かどうかすら、確証はないんだよ」
「幽霊じゃないのなら、何なのよ。だって、誰も私のこと気付かなかったし、話し掛けても相手にしてくれなかったのよ。この辺から動くことさえ、ほとんどできなかった」
「幽霊の定義がないから、断定のしようがないというだけさ。本当に幽霊かどうかは分からないが、俗に云う幽霊なんだろう、恐らく」
「……それなら。私の身体のあるとこに行きたい。身体に戻ったら、生き返れるんじゃないの」
「事故は一年前に起きた。残念ながら、とうの昔に荼毘にふされている」
「うーん……だったら、他の人に乗り移って、その人の口を借りて、話し掛けることはできるんじゃないの。自分が死んだと分かった途端に、会いたい人、いっぱい浮かんできてるんだけどなあ」
あまり建設的でない気がするが、否定はしない。乗り移り、できなくはない。当人の能力や資質、それに相手との相性も大切と聞く。
「誰に一番会いたいのか、教えてくれるか。練習がてら、協力してあげよう」
「じゃ、じゃあ」
言葉を途切れさせ、両親の方を見やる彼女。父と母は歩道の片隅にしゃがみ込み、線香の煙に巻かれながら、手を合わせていた。行き交う人々が時折、好奇の視線を投げ掛けているようだ。
「お父さんとお母さんにはとりあえず会えたし、急ぐことないと思うから、
「彼氏だね」
「待ち合わせして会えないまま、一年過ぎちゃってたら、向こうも怒るかな。あ、怒るも何もないのかな、こっちは死んじゃったんだから」
「会いたいのは君の方だ」
それだけが大事なんだろう、多分。
「そう、会いたいよ」
「一年経っても会いたいのなら、喜んで身体を貸そう。見るだけでいいのなら、彼を連れて来るという手もあるが」
「話したい。私の意識がここにまだいるよってこと、伝えたい」
「そのことを伝えるのはかまわないが、一般の者に伝えた途端、君は今の霊のような存在ですらいられなくなる。その危険性が高い。気を付けた方がいい」
「そんな。意味ないじゃない。ねえ、私、どうしたら成仏できるの」
「成仏という概念に当てはまるかどうかの判断は――」
同じ講釈をくり返そうとした僕を、彼女は首を振って遮った。それから、現場より立ち去る両親の背中を目で追いながら、「そういうんじゃなくってさあ」と口走る。
「今の私のこの状態が済めば、どうなるのかってこと。時間が経ったら、歳を取って本当に死ぬのかしら。いずれ消えてなくなるんだったら、星彦に全部話して、すぐ消えてもいいんじゃないの。同じことよ」
「それは答えられない質問だ。僕自身未体験の領域だし、噂に聞いただけでも様々な展開があって、一口では語れない」
「案外、頼りにならないのね」
「僕は、定めを正常に機能させるのが主な役割でね。君のような存在が見えるばかりに、こんなことを……。まあ、愚痴はよそう。義務はなく、気紛れに接触してるだけだしね」
「ふーん。あなたに注目されて、私は運がよかったってことになるのか……」
彼女は親指の爪を噛む仕種を見せ、暫し考え込む風に目線を下げた。が、それも束の間。身だしなみを整えるかのように、両手で頭や服の表面をはらうと、こうべを垂れた。
「よろしくお願いします。とにかく、星彦に会いたい。今、彼はどこにいるのか、あなたなら分かっているのよね」
おおいに利用してくれて結構。
「あのさ、そっちはとっくに知ってると思うんだけれど、お世話になるんだし、自己紹介しとくね」
彼女は名乗った。実を云うと、僕は彼女のことを何も知らない。死んだ彼女を取り巻く状況を理解できるだけなのだ。
そのことは口に出さず、こちらも名乗るとしよう。
「
「見た目にぴったりの、変な名前ね」
つづく
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