第46話 銀世界の凶事

 まだ昼だというのに辺りは薄暗く、降るというより叩きつける雪のせいで、ろくに周囲が見えない。ただどこまでも、真っ白だ。


 馬たちも戸惑っているのか、その足取りが一気に重くなっている。


「これ、どう考えてもまずいわね……」


 肩掛けを顔までひっぱりあげて、隣のミモザにぴったりとくっつく。厚着はしているけれど、さすがに寒い。


「次の宿場町まで遠そうだし、いったん街道を離れて風の弱い場所を探したほうがいいんじゃないかな。ちょうどあっちに林が見えるし」


 マントのフードを深くかぶりなおしながら、ミモザがそう提案する。そのフードには、既にみっしりと雪が積もっていた。


「そうね。あそこなら馬たちも風と雪をしのげそうだし……最悪、加工の魔法で風よけを作ってもいいかも」


 加工の魔法は応用魔法ということもあって、使い手は少ない。なので目立つ。とにかく目立つ。できるだけ使いたくないというのが本音だった。東の街で馬車を改造した時も、わざわざ公園まで行ったのだし。


 自然な感じの、目立たない風よけを作れればいいのだけれど、私はそういう繊細な作業は苦手だ。特に、こんな猛吹雪の中では。


 でも、この悪天候の中、屋外で過ごすのもちょっと。私やミモザは辺境の厳しい冬に慣れているからこれくらい大丈夫だけれど、温暖な王都から来たヴィットーリオとロベルトには辛すぎる。


「馬車の荷物をいくつか外に出して、みんなで馬車に入れば雪もしのげるかな。魔法で中の空気を温めれば何とかなると思うよ。とにかく、急ごう」


 ひっそりとあわてていたら、ミモザがそう言った。そのまま、近くの林の方に馬を向ける。


 と、馬車の扉が薄く開いて、ヴィットーリオが顔をのぞかせた。


「あの、馬はこんな吹雪の中でも大丈夫なのでしょうか」


「馬たちは寒さには強いですから。それよりも、私たちが凍えてしまわないかの方が心配ですね。おお、寒い」


 ロベルトが震えながら同じように顔を出し、そう答えるとすぐに馬車の中に引っ込んでいった。痛いのが苦手なひ弱な彼は、寒いのも苦手らしい。


 猛吹雪の中、やっとのことで林のそばにたどり着いた。冬でも葉をつけている木が群生している一角があったので、その横に馬車を止める。


「ヴィットーリオ、ロベルト、手伝ってちょうだい」


 馬車の中に声をかけて、四人で準備をする。まずは、馬が休める場所を作ってやらないと。


 ミモザとロベルトが二人がかりで木の間に布を張って風よけにして、そのそばに馬を繋いだ。私とヴィットーリオが手分けして、馬たちに毛布をしっかりと着せてやる。四頭もいるし、体を寄せ合っていれば大丈夫そうだ。


 それから馬車の中の荷物を運び出して、空いた床に毛皮を敷いていった。ぎりぎり四人が横になれるくらいの場所ができた。これで、寝床もよし。


「ひとまず、最低限の準備は整ったわね。じゃあ、食事の支度にしましょうか。たぶんそろそろ夜になる頃だと思うの」


「雪の中の野宿は初めてで、少し……どきどきします」


 焚火の準備をしながら、頬を染めたヴィットーリオが恥ずかしそうにつぶやいた。冒険ものの物語に憧れているという彼には、この状況はとても興味深いものなのだろう。


 そんな彼の子供らしい言葉に、思わず笑みが浮かぶ。見ると、ミモザとロベルトもこっそり微笑んでいた。


「私も初めてよ。そもそも、冬場に旅に出たこと自体初めてだけど」


「それは……やはり、あの小屋に近衛兵が来たせいで……」


「あなたは悪くないわ。それに、こういうのも新鮮でいいもの。それよりも、火をおこしてみて。雪に負けないように火の魔法を使うの。威力の調整に気を付けてね」


 また暗い顔をしてしまった彼に明るく笑いかけ、指示を出した。


 彼がまたあれこれと思い悩んでしまう前に、何か仕事を与えてしまおう。忙しくしていれば、悩む暇なんてないだろうから。とっさに、そう考えたのだ。


 ヴィットーリオは基本の魔法であれば、そこそこ使いこなすようになっていた。猛吹雪の中で火をつけることも、たぶんできるだろう。


 心配と期待を込めた私たちの視線が集まる中、彼はぎこちなくではあったが火の魔法を操り、無事に火をおこしてみせた。


「よくできたじゃない。偉いわ」


「この悪天候の中、火をつけるのって大変なんだよ。すごいね」


「ヴィットーリオ様、ずいぶんと魔法が上達されましたね。私は嬉しくて……」


 元気よく燃え盛る焚火を囲んで、そんなことを口々に言う。ヴィットーリオがはにかむように笑い、目を細めて焚火に手をかざした。


「ええ。これならいずれ、どこでも暮らしていけるようになるわね」


 ついうっかりそんなことを言ってしまって、あわてて口を閉じる。


 彼はこれから王都に向かい、現王である弟と話し合うのだ。そうして王宮に戻り、この王国を立て直す。


 彼はそのつもりだ。でも私は、その考えが成功するかはよくて五分五分だと思っていた。きっと彼は改めて、自分が生きる場所を探さなくてはならないのだろうと、そうも思っていた。


 そんな思いを表に出さないようにしていたのだけれど、ほっとした拍子に口が滑ってしまった。


 幸いヴィットーリオは、私の言葉を気に留めている様子はなかった。私の思いに気づいていないのか、あるいは気づいた上で知らぬ顔をしているのか。


 ごめんなさい、ヴィットーリオ。心の中で、そっと謝った。




 荒れ狂う吹雪の中、手早く煮込み料理を作って早めの夕食にした。


 風よけに張った毛布と、しっかりと燃えている焚火、それに温かい食事のおかげで、そこまで寒くはなかった。馬たちも元気そうだ。


 でも、相変わらず辺りは一面の猛吹雪だ。すぐ近くにあるはずの街道が、これっぽっちも見えない。


「こんな寒い中で眠ったら、そのまま永眠してしまいそうですね。これはもう、火のそばで徹夜した方がいいのではありませんか?」


 やはり寒さに弱かったらしいロベルトが、大げさに身震いしながらつぶやく。


「そうねえ……魔法で馬車の中を温めるつもりではあるのだけれど、加減が難しそうで……寒いからと言って馬車を密閉しちゃったら、今度は窒息するかもしれないし」


 私の言葉に、ロベルトがまた身震いした。寒いのと、怖いのとの両方だろう。


 そんな彼を見ながら、ミモザが眉間にきゅっとしわを寄せる。


「いよいよどうしようもなくなったら、僕が全員抱えてどこかに避難するしかないかな。馬が怖がって暴れそうだけど」


「それよりは、私が加工の魔法で家を建てたほうがいいんじゃない? 地面を掘って、私たち全員と馬が入れるくらいの土の家を」


 私たちの主張を聞いたヴィットーリオが、ちょっとそわそわした顔でつぶやいた。


「どちらも目立ちそうですね……個人的に、興味はありますが」


 そんなことを話していたら、ミモザが不意に動きを止めた。それからぱっと顔を上げ、遠くを見るような目つきをしている。


 その視線の先には、吹雪のカーテンだけが広がっている。どうしたのかな、と思いながら彼の視線の先をじっと見つめてみた。


 あ、今何か動いた。突風によろめきながら、少しずつこちらに近づいてくる。


「ああ、助かった! こんなところに人がいるなんて、思いもしませんでしたよ」


 そうして、朗らかな中年女性の声が聞こえてきた。やたら丸っこい人影が、吹雪をかき分けるようにして姿を現す。


 その人影は焚火に近寄ると、顔に巻きつけていた分厚いストールをずらす。その下から現れたのは、ぽっちゃりとした人の好さそうな笑顔だった。


「すみませんが、一晩だけおじゃまさせてもらえませんかねえ? 親戚の家を訪ねようと街道を歩いていたら突然この吹雪で、もう困り果てていたんですよ」


 そっとみんなに目配せする。当然ながら、誰も反対している様子はない。


「こちら、どうぞ、困ったときはお互い様ですから」


 後で薪にしようと思って切っておいた短い丸太を彼女に勧めると、彼女は疲れ果てた様子でどかりと腰を下ろした。


「ありがとうございます、本当に助かりました」


 そうして、五人での世間話が始まった。


 彼女はとても気安く、あれこれと喋っている。この年頃の女性特有の、あのぐいぐい来る感じだ。というか、ちょっと押しが強い。圧倒される。


 人あしらいのうまいロベルトはともかく、私やミモザはただ戸惑うしかできなかった。ヴィットーリオは困った顔でを視線をさまよわせている。


「あなたたち、どこから来たの? どこへ行くの?」


「家族……には見えないわねえ。親戚? お友達?」


「あら、そちらのお二人はもしかしてご夫婦? 仲がいいわねえ」


 そんな質問が、次から次へと繰り出される。私たちがあいまいに答えていると、彼女は話の方向を変え、今度は自分のことをとうとうと語り始めた。


 その勢いに、私たちは口を挟むことすらできないまま、目を丸くして彼女の話を聞き続けるしかできなかった。


「……それでね、その甥っ子がまた変わり者で……」


 いつ息継ぎをしているのか分からないほど、彼女はなめらかに話し続けている。すごい。


 呆然としながらお茶をいれ、みんなに配る。彼女もお茶のカップを受け取って、満面の笑みで礼を言った。


 しかし次の瞬間、彼女はまたものすごい勢いで話し始めてしまった。


「ええと、どこまで話したかしら。ああ、甥っ子の恋人のお兄さんの話だったわね。それがねえ……」


 そんな彼女を見て、ミモザがこっそりと耳打ちしてきた。


「元気な人だね。でもおかげで退屈しなくて済みそうだ」


「……これはもう、朝まで喋ってもらった方がいいかもしれないわね。全員で徹夜になってしまうけれど、凍死は避けられそうだし」


「言えてるね」


 不安でいっぱいの野宿も、にぎやかな彼女のせいで乗り切れそうだ。そう思いながら、私はミモザと笑い合っていた。




 そうやって彼女の話を聞いているうちに、次第に頭がぼんやりしてきた。


 元々体力のないロベルトなどは、荷物によりかかったまま居眠りしているようだった。ヴィットーリオも眠そうに目をこすっている。ミモザですらぼんやりとした顔で、何もない宙を見つめていた。


 ああ、起こしてあげないと。焚火に当たっているとはいえ、こんなところで眠ったら体が冷えてしまう。


 かすかな違和感を覚えたのは、その時のことだった。


 眠気を誘うような抑揚のないお喋りを続けていた彼女の手元で、何かが鈍く光った気がした。


 彼女はせわしなく口を動かしたまま、ごく自然な動きでヴィットーリオに近づいた。光る何かが彼の首元に迫る。


 ヴィットーリオが危ない。そう思った瞬間、考えるより先に体が動いていた。


 二人の間に体を割り込ませたとたん、どんという強い衝撃が走る。そして、目の前が真っ暗になった。

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