第29話 この国の今

 物乞いの男性は、意外にも礼儀正しくバルガスと名乗った。


 そうして彼は、食事を恐ろしい勢いで腹に詰め込み始めたのだ。


 最初のうちこそためらいがちだったけれど、今では飲み込むようにして次々と皿を空にしている。割と質素なここの料理が、まるで最高のごちそうであるかのような顔をして。


 飢えているところにいきなり大量の食事を詰め込むと命にかかわることがあると、そう聞いたことがある。


 たがら内心冷や冷やしながら、ミモザと二人でバルガスの様子を見守っていた。万が一の時は、すぐに治療に取りかかれるように。施しをしたせいで死なれたりしたら、さすがに寝覚めが悪い。


 幸い何事もなく、バルガスは料理の山を平らげていた。腹をさすりながら、満足げに息を吐いている。


「すまないな、恩に着る。……それで、俺に聞きたいことってのは何なんだ?」


「どうしてこの街がこんなにさびれてしまったのか、その理由を知りたいのよ」


「僕たち、数年前にもここに来てるんだ。でもその時とまるで様子が違うし、いったい何があったのかなって気になってたんだよ」


 とっくに自分分の食事を済ませてしまった私とミモザが、のんびりとお茶を飲みながら口々に尋ねる。


 と、バルガスは口を固く引き結び、そのままうつむいしまった。膝の上に置かれた骨張った手が、きつく握りしめられている。


「この街がこんなになっちまった理由、か。大きな声じゃ言えねえが、全部……新しい王様のせいだよ」


「新しい王様って……今、誰だったかしら」


「僕たち、普段は田舎で暮らしているからそういうことに詳しくないんだ」


 前にヴィートのところを訪ねた時、彼はもう王の座を退いていた。おそらく彼の子か孫あたりが、当時の王だったのだろう。


 しかしそれから年月も経っているし、さらに王が交代していてもおかしくはない。


 そんなことを考えていると、バルガスはさらに声をひそめてささやいた。骨の浮いた顔の中で、そのもの目だけがやけに力強くこちらを見ていた。


「二年前、当時の王様が落馬して亡くなられ、まだ若い王子様が次の王になった。けれどその王はお飾りで、後ろで悪い連中が私腹を肥やしてやがるんだよ」


「そうだったんだ……大変なことになってたんだね」


「たった二年でここまで国が荒れるなんて、前の王も浮かばれないわね」


 ヴィートの姿がちらと頭をよぎる。その面影を追い払うようにして、バルガスの話に耳を傾けた。


「まず、農作物から商取引まで、あらゆるものに重税がかけられた。上の連中は国防のためだとか言ってるが、どうだか」


 怒りをこらえているのか、彼の肩はかすかに震えている。


「そして、この街に隣接する国境が封鎖された。王都の連中は、辺境扱いしているこの街が他国との取引で栄えてるのが、よっぽど気に食わなかったんだろうな」


「それは……商売あがったり、かしら」


 かつてのこの街は隣国との取引により、王都に負けず劣らずの栄華を誇っていたのだ。


 生まれて初めて王都を見た時のミモザが「王都って、東の街と大して変わらないね」ともらすほどに。


「そんな生易しいもんじゃねえよ。この街は隣国との取引で成り立ってる。それを封じられたら、もう息の根を止められたも同然さ」


 バルガスは、少し涙声になっている。


 きっと彼も、かつてはごく普通に、平和に暮らしていたのだろう。今の彼のたたずまいには、そう感じさせる何かがあった。


 彼の過去がちょっと気にはなったけれど、尋ねるのはやめることにした。


 物乞いをするほどに堕ちてしまった彼に、幸せだっただろう過去の話をさせるのは酷というものだ。


「……ありがとう。大体状況は分かったわ。これ、取っておいて」


 悔しげにうつむくバルガスの前に、金貨を一枚そっと置く。彼ははじかれたように顔を上げ、険しい顔でにらみつけてくる。


「飯ならもうもらった。こんなものを受け取る理由がねえ」


「話してもらった代金、じゃ駄目かしら」


「ああ。俺にも誇りってもんがある。物乞いにまで落ちぶれても、理由もなくこんな大金を受け取ることはできねえ」


 思った以上に彼は律儀で、かつ頑固なようだった。首をかしげながら少し考え、もう一度口を開く。


「だったら、あなたの手でこのお金をこの街に還元しておいてくれないかしら? 私たち、この街が好きなのよ。少し見ない間にすっかり荒れ果ててしまって、悲しかったの」


「あ、いいねそれ。だったら僕からもお願いするよ。困っている人に配ってもいいし、使い道はそっちで考えて」


 ミモザが笑い、机の上の金貨は二枚に増えた。バルガスは眉間にくっきりとしわを刻んでいたが、やがて静かに頭を下げた。


「……分かった。恩に着る」




 バルガスと別れた後、私たちは最低限の買い物だけを済ませ、すぐに帰路についていた。


 東の街の近くにある森の中まで歩いて、ミモザに運んでもらって空を飛ぶ。


「東の街、もう遊びにいくのは難しそうね。残念だわ」


『うん。あの感じだと、王都以外の街は多かれ少なかれ影響を受けていそうだね』


「かといって、王都に遊びにいく気にもならないのよね……もしそこだけ栄えてたら、よけいに複雑な気持ちになりそうだし」


『言えてる。もしそうだったら、とても楽しむどころじゃないよね』


「私腹を肥やす連中の暴政なんて、そこまで長くは続かないでしょうし……しばらくは小屋で大人しくしていましょうか」


『そうだね。人間の政治なんて、僕たちには関係のないことだし』


 ミモザの手の上に乗ったまま、そんな会話を交わす。そうして二人で、街道のほうを見た。


 それはあまりにも遠く、私の目にはただの細い線のようにしか見えない。でも気のせいか、以前の活気がないようにも思えた。


『改めてよく見ると、街道にもほとんど人がいないね』


 竜のミモザは、私より遥かに目がいい。彼はうつむくと金色の目を細め、辛そうに首を小さく振った。


『初めてあの街道を歩いた時は、人も馬車もいっぱいで、とてもわくわくしたのに』


「寂しいわね」


『うん、寂しいね。早く元に戻らないかな』


 東の街の惨状を思い出し、何もできないもどかしさをほのかに感じながら、私たちは住み慣れた小屋に戻っていった。




 辺境の森の奥でミモザから降りて、小屋に向かってのんびりと歩く。ふと、ミモザが足を止めて目を細めた。どうやら、耳を澄ませているらしい。


「小屋の前に誰かいるね。僕たちが留守にしている間に、病人でも来たのかな」


「きっとそうね。ちょうど良かったわ。東の街でのんびり遊んでいたら、手遅れになっていたかもしれないもの」


 今までにも、私たちの留守中に病人が小屋を訪ねてきてしまったことが幾度もあった。


 そうして彼らは、近くの宿場町で私たちの帰りを待っていた。一日一日を、祈るような気持ちで。


 幸い、手遅れになる前に全員治療できたけれど、それはたまたま運が良かっただけだ。


 そんなこともあって、旅から帰った時はすぐに、小屋の前に誰かいないか確認するのが癖になっていた。


 そうして小屋の前に人影や置き手紙を見つけるたび、胸がぎゅっと引き締まる思いがする。


 ミモザは「僕たちが間に合わなかったとしてもそれはその人の運命だし、仕方ないよ」と言っているけれど、彼だって病人たちを気にかけているのだ。


 彼は優しいから、私が必要以上に気に病まないようにそう言ってくれているだけで。


 私たちは自然と急ぎ足になりながら、小屋へ戻っていった。そこには、助けを待っている病人たちがいるはずだった。 


 しかしそこで私たちを出迎えたのは、とても健康そうな男性と少年の二人連れだった。


「おお、お帰りなさいませ、魔女様。お会いできて良かった」


 満面に笑みを浮かべる男性を、私たちは戸惑いながら見つめることしかできなかった。

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