第29話 のんびり飲んでいる場合ではない
「これから知り合いのバーに行くんですけど、そこでワインご馳走してくれるなら一緒に来てもいいですよ。」
樋渡さんはスケベ爺を完全にお財布扱いしてしまったが、スケベ爺は嬉しそうにほいほいついてくるようだ。
少しダンジョン教育も必要みたいだし、伴さんの店の売り上げに協力できればということでスケベ爺を連れて行くことにした。
店に行く途中で簡単に状況を説明して行動設定などは変更しておいたのだが、どこまで理解できているのやら。
「ここみたいですね。あ、梨香さーん、来ましたよー。」
「ん、ちゃんと多田さん連れてきたみたいで大変結構です。こちらの方は?」
「あ、私たちのお財布係です。」
「
「本当ですかぁ。うちのお店、DRCのラ・ターシュとかあるんですけど飲ませちゃっていいんですか?」
「ま、まぁラ・ターシュなら五百万はしないだろ?樋渡さんが飲みたいというなら構わんぞ。」
「大丈夫よ、私ピノ・ノワールあんまり好きじゃないから。ル・パンとかペトリュスは一度飲んでみたいと思ってるんだけどね。」
「そうかそうか。ならセラーに何本かあるから今度飲ませてやろう。」
「本当!?私96年生まれなんだけど…。」
「96年ならペトリュスもル・パンもあったはずだ。両方飲めばいい。」
「やったぁ!次の休みが…だからぁ…15日か16日のどっちが都合良い?」
「いいなぁ。奈美さん、後学のために一口だけ飲ませて、お願いっ。」
「どうしようかなぁ。なんか私ばっかりがいい思いさせてあげてるみたいなのは気のせい?」
「そんなこと言わないで、ねっ、ちょっとだけ先っぽだけででいいから。」
「先っぽって何よ。」
「意地悪せんでもいいじゃないか。そうだな、15日にこの店に持ち込んでもいいならぱあっとみんなで一緒に飲もうじゃないか。」
「マスター!!」
「15日なら問題ないですよ。歓迎いたします。」
「ワシも人生のゴールが見えかけとるからな。天国までワインも持っていけんのだからこういう機会にまとめて飲むのもいいだろう。他にもいいところを持って来てやろう。マスター、セラーの空きはどれぐらいあるんだ?」
スケベ爺はもっと性格が悪いと思っていたのだが、そこまででもなかったようだ。
でも、天国に行けると思っていたのはちょっと図々しいんじゃないかと思わなくもない。
それはともかくとして、なんか15日の予定が着々と進められているようだ。
「来週がとっても楽しみです。ところで、多田さんはどういうのがお好きなんですか。」
スケベ爺が適当に頼んでいるので、既にボトルが何本か開いているが、私が今飲ませてもらっているのはボルドー右岸のサンテミリオンのものだ。
さっき、樋渡さんが言っていたル・パンやペトリュスは隣接するポムロルで作られている。
ボルドーの右岸は左岸に比べてメルローの使用率が高くて、メルロー好きな私にとってはとても心地良いものが多い。
何種類かの葡萄品種を基本的にブレンドするボルドー地方では珍しく、シャトー・ペトリュスはメルローだけで作られる逸品だ。
「多田さんもピノラーじゃないんですね。」
ピノラーというのはフランスのブルゴーニュ地方の赤ワインを好きな人たちのことを指す言葉だ。
使われている葡萄品種がピノ・ノワールということで、その名前から来ているようだ。
シノラーとかアムラーとかマヨラーみたいなことだろう。
「あー、ピノラーを悪く言う訳じゃないけど面倒臭い人が多いのも事実だよね。」
「分かります。この前来た若い女性のお客様が飲みなれていないからいろいろ飲ませてください、って注文されていたんです。」
「はーん、ピノラーがブルゴーニュがうまいから飲めとか言ってしゃしゃり出てきたんでしょ。」
「そうなんです。まあ何とか引き下がっていただきましたがたまにあるんですよね。」
自分も感じていたことではあるが、多かれ少なかれこれは共有されていることのようだ。
ピノラーに限らず、蘊蓄を語りたい人などが初心者に対してこれが良い、あれがダメと決めつける人のなんと多いことか。
特に初対面なのに、これが絶対旨いからとか言って薦める人の神経が分からない。
相手の味覚のことを何も知らないくせに、この人は何を根拠にそんなことを言っているんだろうと思う。
先入観なしに感じてもらうことこそが、先駆者の務めなのではと思うのだが。
「余計なお世話だって言うの。皆が皆、ピノ・ノワールが一番好きなわけじゃないんだから好きな物飲ませて欲しいわ。まぁロマネ・コンティとか飲ませてくれるなら一度ぐらい口にしてはみたいけどね。」
「そうですね。多田さんはロマネ・コンティ飲んだことあるんですか?」
「…ありますよ。」
「え~、いいなぁ~。どんな感じでした。」
話すと長くなるのでここでは思いっきり割愛するが、この後根掘り葉掘り聞かれる羽目になった。
ちなみにロマネ・コンティというのは世界一高価なワインとして有名で普通の人では現物を見ることすら滅多にない代物だ。
というのも年産で6000本ぐらいしかないので、普通の市場には出回らないからだ。
まぁ、そんな話はまた別の機会があればすることにしよう。
だって、今はとんでもないことが起きてしまったようだから。
「多田さん、飲んでる場合じゃないです!街から建物が消えだしているみたいです!」
面近さんがお店に駆け込むなり、そう叫んだのだ。
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