坂道日和
文月一
碧 28歳
「碧、あんた3年も彼氏居ないんでしょ?いいかげん作ったら?」
居酒屋のカウンターで女2人。手元には日本酒。つまみは冷や奴にホッケ。全然可愛くない。2人共にもその自覚はあった。
「うーん、そうは言うけどさぁ…」
黒髪のセミロングが碧。今日は少し飲みすぎている茶髪のロングはミキ。高校から10年の付き合いになる。
3年前、碧は不倫をしていた。相手は会社の上司でいわゆるデキる上司というやつだった。残業中に差し入れをしてもらってから、なんてよくある始まりではあったが、碧は心底この上司が好きだった。
3年も、次に行けないほど。
「引きづってるのバレバレよ?もう同じ部署で働いてないんでしょ?」
呆れた、と、心配、の入り混じった顔で聞いてくるミキ。彼女には全て話していた。
「うん。見かける事すらないかな。」
ミキはふうーっとため息をついて、ゆっくり口をひらく。
「気が済むまで好きでいればいいよって思う気持ちもあるけどさ?この3年のあんた、見てらんないよ?そろそろ無理にでも状況変えないとまずいよ」
ミキの優しさに申し訳なくなる。
それでも。街コンでもアプリでも、なんでも使って出会いなよ!というミキのアドバイスは、碧には届かない。
「碧先輩!□□商事って〇〇空港のそばですよね?午後イチで行くって行ってましたよね?すみませんけど〇〇空港にいる課長にこの書類届けてもらえませんか?」
息を切らしながら走ってきたのは後輩。
「いいけど、急ぎ?」
「できれば!」
「わかった、じゃあ今もうでるね!」
「本当ですか!?助かりますー!!」
タクシーに飛び乗って空港に向かう。神様、もしかして、もしかしますか?
碧は、知っていた。今日、3年前に別れた上司が海外へ転勤する事。飛行機の時間まで。偶然に耳にしただけだった。社内の誰にも2人の事は知られていなかったし、こっそり碧に教える人も居なかったが、それなのに耳に入った。
もしかして、逢える?
自分の心臓の音で耳が塞がれるような気になった。
確かに3年前に別れた。けれど。
1日だって彼を忘れた事なんて無かった。碧にとっては全然過去になんてなっていなかった。
タクシーを降りる。空港内にいる課長に連絡を取る。書類を渡して、早々に立ち去る。
ふりをする。
空港のロビーを見渡す。
その時。
碧の目に、彼が映る。
同じ会社に居たのに、部署が変わってからは不思議なくらい会わなかった、彼が。
少し痩せた?でも彼だった。
心臓の鼓動で自身が揺さぶられるような気がした。
今、呼べば、届く?
彼が振り返る。とっさに柱の陰に隠れてしまった。
あ、どうして、わたし、と思った時だった
「みどり!」
彼の声で聞こえた。わたしの名前。
何度も何度も呼ばれた、わたしの名前。
白黒の世界に急に色がついて、泣き出しそうなのを我慢して、振り返る。
そこには。
「みどり!」
2歳くらいの女の子と手を繋ごうとする彼と、優しい笑顔を向ける綺麗な女の人がいた。
どこからどう見ても、家族そのものだった。
はっとして、我に返る。周りはだれも、彼さえも、わたしの存在には気付かない。
世界にはもっと鮮明に色がついて、音もはっきりと聞こえる。
ああ、やっとだ。
やっとこの恋は終わった。
ゆっくりと背を向ける。彼に、過去に。
踏み出した一歩は、今までのどれより価値のある一歩だった。
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