かつてウニだったクリたちへ

黒井羊太

かつてウニだったクリたちへ

 プリズムからプルテウスへ。分裂は止まらず細胞は倍加し続ける。その過程の中で果たして私という意志がいつ生まれたのか、私は気付けば海中を漂い、植物プランクトンを捕食する生活を始めていた。

 やがて全身は巨大になった為に深く沈み、水底を彷徨いながら漂う海藻を糧に生きる日々を過ごしている。巨大になった体には外殻が、更にそこに外敵を寄せ付けない為の鋭い棘が無数に生えている。それらをうにうにと動かしながら器用に流れに抗いながら歩いてみせる。

 私はウニと呼ばれる生き物。そこら中に転がっている似たような物質は全て輩。同族だ。黒いの、茶色いの、色合いは様々だが大した区別は存在しない。


 ウニは卵を外殻の内側、その腹に抱える。それを太らせる為に食べると言っても良い。我が子孫を数多く残す為、より良い場所を求めて旅をする。時には海流に従って、時には歩きながら逆らって。

 大事なのは意志だ。選び抜く知恵だ。すっかすかの身体に、子どもの頃にはあったはずの脳の代わりの神経叢を頼りに、今日も生き抜く。


 安寧を長らく享受していたが、最近どうにも様子がおかしい。冷たい筈の海流に時折温い水が入り込み、それと合わせて見たこともない巨大な魚がやってくる。魚と言えば海藻を食うか魚を食べるかと相場が決まっている物だが、こいつらはウニを食べに来る。硬い外殻も何のその、棘が刺さるのも気にせずにバリボリと輩を食べていく。

 負けじと増えようと思うけど、そうは問屋が卸さない。海藻を食べる魚の群も現れて、ウニの食べ物が消失していく。

 

 誰かが気付いた。

 これは種族絶滅の危機である、と。


 幸いウニには足があった。歩いていけば、時間は掛かるがどこへでも行ける。あるものは魚のいない海の深い所へ。あるものは魚のいない浅瀬へ。

 それでも奴らはやってきた。動きの鈍いウニはご馳走が詰まった木の実のようであったから、労無く食べられるそれを求めるのは必然であった。

 ウニも負けじとより深く、より浅くへ進んでいった。

 

 やがてうっかりとウニの一人が陸へ上がってしまった。のし掛かる自重。外殻が歪み、中の卵までもプチプチと潰れる音がする。それほどまでに環境が違うのか。

 しかしここまで来なければそもそも生き残ることは出来まい。幸い打ち上げられた海藻がそこら中にあり食うには困らない。

 一人、また一人と後に続いて陸へ上がってくる。多大な犠牲を払いつつも、しかし生き物は適応していけるのだ。生き残った者だけが子孫を残すことが出来る。

 身体を、構造を、全てを書き換える必要がある。重力に負けないよう、細胞に壁を作るべきだ。空っぽの身体では支えきれない、もっと中身を充足させねば。行動が継続して出来るよう、栄養を体内に貯蔵しなければ。そうして、進め、進め。敵の居ない場所へ、豊かな場所へ、仲間達と共に。より遠くへ、より高くへ。

 後ろに続くは累々たる死骸の道。行く末はいずこか。


「おや」

 ふと気になって足を止めた。後ろを歩いていた子どもがその背中にぶつかる。

「ぶ」

「おう、すまない。つい気になってな」

「むう、何が気になったのさ。お父」

 不服そうな子どもに苦笑いをしつつ、父はそれを指差した。

「クリ?」

 そこに落ちていたのは、何の変哲もないイガグリであった。

「何が珍しいのさ。こんなのどこででも見かけたよ」

「そうだ、珍しい物ではない。だから珍しかった」

「? どういう事さ」

 父の言葉が理解できず、子は訊ねる。父は一度辺りを見渡してから答えてくれた。

「この辺りにはクリの木がない。この一個を除いて、いがぐりはどこにも落ちていない。ここに至るまでの山道でも、一つも見かけなかったんだ。なのにこれはどうしてここに落ちている?」

 言われてみればそんな気もする。クリをよく見かけるのは、集落の周辺で植樹しているからだ。集落間を行き来するこの深い山道ではクリを見かけたことはないはずだ。

「誰かが落としたんじゃないのか?」

「いいや、その可能性は低い。クリを運ぶなら、どうやって運ぶ?」

「……クッキーにするか、剥いてしまうか」

「そう。でもこれは綺麗なイガグリのままだ。そもそも集落の近くに生えている物をわざわざ遠くの集落へ持っていく理由がない」

 今、この親子は集落間の物資交流の為に、険しい山道を進んでいる。背中に背負った縄文のついた土器いっぱいに塩や魚の干物を積んでいる。海の民である彼らは山へ向かい、山で採れる物と交換するのだ。

「う~ん、じゃあこれはどうしてここにあるの?」

 子の疑問はもっともであった。完全な形のイガグリ。これがどうしてここにあるのか、父にも説明が出来なかった。

 とはいえ知らない、の一言で片づけるには父の威厳に傷が付く。

 思案した結果、父はまずこれがクリであることを確認しようと思った。木の枝で突き、割る。中には確かに栗の実。

 いよいよ進退窮まったか、と思ったが、父の脳裏には妙案が浮かんでいた。

「子よ、これに良く似たものを近所で見たことがあるだろう?」

「……ウニに似てる」

「そう、これはウニだったんだ」

「???」

 子の頭には?が沢山浮かんでいた。ウニは近所でよく見かける。開けてみたこともあるが、一度たりとて栗が入っていることはなかった。当然だ、クリはウニではないし、ウニはクリではない。

 しかし父はにやりと笑って、滔々と物語を語り始めた。ウニが生息域を変える為に陸へ上がってクリへ変化したというもの。荒唐無稽であるが、それ以外に説明がつく方法がなかった。父は語り終えると、このウニがここで朽ちるのは可哀想だと拾い上げ、自分の集落へと持ち帰り、そして中のクリを取り出して育てることにした。芽が出、葉を出し、根を伸ばしてやがて子が父になる頃には大樹へと成長していった。

 その物語はその木と共にやがて口伝となり子へ孫へ。何百年かけて伝説となり百々へ千々へ。何千年かけて昔話となり島へ、国へ。由来の知らぬ物語が、広大無辺に広がっていく。

 かつてウニだったクリたちへ。君たちは物語と共に、生命は続いていくよ。

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