本編
第1話 契約
日輪歴3024年10月10日――。
日輪共国の首都――京東にあるドーム型のイベント会場『京東ドーム』は、大型格闘ゲーム大会『リボルト』の舞台であった。
様々な格闘ゲームが大会の種目となっているが、参加者が特に多いのは3D対戦格闘ゲーム『ブレイブソウルズ10』だ。
ある試合に決着が着くと客席からは歓声が上がった。
「うふふ。勝者が浴びる喝采は気持ちがいいですね」
観客の応援に手を振って応えるのは、黒いゴシックドレスに身を包んだ金髪少女であった。
長い金髪と黒いロングスカートを靡かせるゴスロリ少女は、動画サイト『ドロドロ動画』を主な活動場所としている姫系配信者ノワールだ。
「惨めな敗者を見下ろすのは至福ですわ」
ノワールは這い蹲っている男を嘲る。両目の隈が不健康そうな中年の男性であった。
悔しそうに歯を食い縛っている男は彼女の対戦相手で、プロゲーマーでもある最強神だ。
「昔はとぉーっても強かったみたいですけど、その名前、重いんじゃないですかぁ? お節介かもしれませんが、改名した方がいいと思いますよぉ」
「くっ……」
最強神は生意気な少女に言い返せず、奥歯を噛み締める。
「そう気を落とさないでくださいませ。私の引き立て役としては、あなた優秀でしたわよ」
「……調子に乗るなよ。まだ試合は終わってないぞ」
ノワールに一セットを取られても、最強神は諦めない。リボルトの予選は二セットマッチで、まだ逆転の可能性があるからだ。
「私に勝てると希望を抱きましたか? これが私とあなたの実力差です。あなたの実力では逆転勝ちなど起こりませんよ」
二セット目は最初の試合よりも一方的な内容で、ノワールのパーフェクトゲームに終わった。
ただの惨敗ではなく、試合途中で配信映えのために、最強神はノワールの魅せプレイの実験台にもされていた。
「もうあなたの時代ではないんです。醜態を晒す前に引退することをおすすめしますよ」
最強神に圧勝したノワールは、惨めな敗者を冷笑する。
「くそっ……」
惨めに敗北した最強神は、他の試合は観戦せず会場を去る。何度も大会に出場している最強神だが、彼は今回も輝かしい舞台の主役にはなれなかった……。
かつてゲームは単なる娯楽の一つだったが、百年前に優れたゲーマーを優遇する『ゲーマー特権法』が全世界で成立した。
各所で反対意見が溢れ出すも、ゲーマー特権法が成立された理由は、ゲーム産業が世界経済を支配するほど発展したためだ。
この法律により、世界ランキングの上位にランクインしたゲーマーは税金免除、国から金銭や物品の援助など様々な特権が与えられるようになった。
ゲーマー特権法がきっかけで『大ゲーマー時代』が始まり、格闘ゲーム、FPS、TPSなど様々なジャンルのゲーマーはランキング入りを目指すのだった。
最強神こと
ノワールとの試合で惨敗し、モヤモヤした気分のまま春雪は帰宅する。
共国ドームから三駅離れた場所にあるボロアパートの一室が、最強神こと春雪の家であった。
「また予選落ちしちまった……」
春雪は老舗ゲーミングチーム『きもすぎゲーミング』に所属しているプロゲーマーで、かつては国内大会でも海外大会でも結果を出していた。
全盛期は国内ランキング一位のプレイヤーだったが、加齢による反応速度や判断力の衰え、強い若手プレイヤーの台頭といった要因で、以前のように春雪は大会で勝てなくなっていた。
かつては国内最強のプレイヤーだった春雪も、今では上位入賞どころか予選落ち常連だ。
「このままだとチームから切られるかもな……」
過去の実績のおかげでチームには辛うじて在籍できているが、最近の結果は自分でも情けなくなる有様だ。
大会で勝てないプロゲーマーなど、チームからいつ解雇されてもおかしくないだろう。
「昔はもっとやれたのに……」
無意味なことだと分かっていても、春雪は過去の栄光に縋ってしまう。
春雪は強かった頃の落差から、ネット上でオワコン、最弱神、勝ち星配りおじさんなどボロカスに叩かれている。
それでも『世界最強のプレイヤー』になるという夢を春雪は捨てきれなかった。
「……くそっ。どうすれば昔みたいに勝てるようになるんだ」
勝てる方法を模索するため、何度も使用キャラを変えたことがあった。
だが、どのキャラに変えても上手くいかなかった。
それどころか、中途半端に別のキャラを使ったことでメインキャラが弱くなる始末だ。
「夢を諦め切れていないみたいだけど、どんな手を使ってでも勝ちたい?」
「ああ。勝ちたい」
春雪は背後から聞こえる女性の声に返答する。
(……ちょっと待て。今、女の声がしなかったか?)
「――だ、誰だ!?」
流れで質問に返答したが、自分しかいないはずの部屋で、自分以外の声が聞こえるのはおかしい。春雪は慌てて振り返る。
背後にいたのは、赤いセミロングヘアーの小柄な少女であった。深紅の瞳の少女は炎を連想させる装飾の入った黒い着物を着ており、右手に握っている大鎌が目を引く。
(痛い格好しているが、中学生くらいか? いや、そんなことより、こいつどこから入ってきたんだ!?)
部屋の入り口になる窓やドアは鍵がかかっている。いずれかを壊さない限り、少女は部屋に侵入できないはずだ。だが、窓やドアには何も異常はなかった。
「お、お前、どこから入ってきた!?」
「壁から」
少女が壁に右手を触れると、手が壁に吸い込まれる。手だけではなく、身体も吸い込まれて彼女の姿が見えなくなる。
少女の姿が消えて数秒後、彼女は先ほどの壁から再び姿を現す。
「なっ!?」
不可解な現象を見せつけられ、春雪は動揺する。目の前の少女は、明らかにただの人間ではなかった。
「……何者なんだお前は?」
眼前の人ならざる存在に、春雪は臆さずに問いかける。
「この鎌を見て分からないなんて察しの悪い人間だね。私は死神だよ」
「……マジか」
「マジだよ」
自称死神の少女は、春雪の首元に鎌の刃を近づける。
「大好きなゲームで勝ちたいのなら私と契約しない?」
「契約?」
「私に寿命を差し出せば、ゲームの腕前を全盛期の頃に戻してあげる。あなたはゲームで勝てて、私はあなたの寿命を貰える。お互い得する契約だよ」
「俺の寿命を取って、お前に何のメリットがあるんだ?」
「人間が食事をしないと生きていけないように、死神は人の寿命を食べないと生きていけないんだ。だから、あなたの寿命が欲しいってわけ」
少女が寿命を求める理由に、春雪は納得した。春雪は死神と契約するか考え始める。
(全盛期の俺ならば、大会でも絶対に通用する。だが、代償が寿命というのは……)
かつての春雪の最高順位は世界ランク五位。
以前の強さに戻れば、現代の強豪プレイヤーとも渡り合えるだろう。
「一つ教えてくれ。俺が昔みたいになるのに、どれくらいの寿命を渡す必要があるんだ?」
「一年分かな」
(二、三十年くらい寿命を取られるかと思ったが、たった一年か)
自分がどれだけ長く生きるか分からないが、一年寿命が縮むくらい誤差の範囲だと春雪は考える。
(一年だけならリスクはないに等しい。だが、得体の知れない死神の力を借りてもいいのか……。チートと変わらないじゃないか)
ゲーマーとしてのプライドが、死神との契約を躊躇わせる。
だが、このまま闇雲に練習を続けても、新世代のプレイヤー達には勝てないことを春雪は理解していた。今の実力ではまぐれ勝ちすら起きない。
「考えるのはいいけど、私、あんまり気が長くないから一分で決めてね」
死神は黙考する春雪を急かす。
(一分!? 自分から契約を勧めておいて、せっかち過ぎるだろうが!)
もっとじっくり考えたいが、時間はほとんどなかった。今すぐ答えを決めなければならない。
「返事がないね。そろそろ時間切れ――」
「ま、待て! 契約するっ!」
春雪は慌てて返答する。
「契約成立だね~。これからよろしくね、マスター」
「マスター?」
「死神と契約した人のことだよ。マスターが気に入らないのなら、ご主人様でもお兄ちゃんでも好きな呼び方にしてあげるけど」
「……ご主人様もお兄ちゃんも犯罪臭が凄いからマスターでいい」
「了解したよ」
「お前の名前を教えてくれないか」
「私と契約してくれたから、マスターには私の名前を特別に教えてあげる。私は彁 《せい 》だよ」
「彁、寿命を渡すから俺を全盛期に戻してくれ」
「慈悲深い死神がマスターの望みを叶えてあげましょう~」
「おい、やめっ――!?」
逃げる間もなく、死神の鎌が春雪の身体を切り裂こうとする。鎌は間違いなく身体に触れたにも関わらず、何の痛みもなかった。
「切られたはずなのに……何ともない……?」
「寿命を貰うために魂の一部を切り裂いただけだから、肉体に損傷はないよ」
「心臓に悪いな。死ぬかと思ったぞ……」
春雪は鎌で切られた身体に視線を移すが、身体には傷一つなかった。
「これで全盛期の俺に戻ったのか?」
「戻ってるよ」
(彁が言うには昔の俺に戻ったらしいし、とりあえず試してみるか……)
春雪は机の上にあるモニターを起動させた後、ゲーミングチェアに腰かける。
「マスターはお金には縁がなさそうなのに、モニターも椅子も良い物持ってるねぇ~。どっちも六桁万円くらいしそうに見えるけど」
彁は目を丸くして、高そうなモニターと椅子を観察する。
「あるプロゲーマーと賭け試合して、モニターと椅子を手に入れたんだ」
「へぇ。そうなんだ」
「自慢になるが、俺は世界ランク五位のプロゲーマーだった」
「五人中五位とかじゃないよね?」
「……どんな過疎ゲーだよ。全世界で一億人以上がプレイしている格ゲー『ブレイブソウルズ10』で世界五位だ」
ブレイブソウルズは歴史の長い3D格闘ゲームで、最新作はシリーズ十作目の『ブレイブソウルズ10』だ。
美麗なグラフィック、操作性の良さ、独特の駆け引き、多数の使用キャラなど様々な要素で、初心者から上級者まで幅広い層から人気を博している。
プレイヤー人口も格闘ゲームではトップクラスに多く、国内外で頻繁に大会が開催されているのが特徴だ。
「ふーん」
「興味なさそうだな」
「マスターは熱中してるみたいだけど、ゲームって何がいいのか分からないんだよね」
春雪は彁の態度に落胆する。
「お前は何も分かってない! 今からお前に格闘ゲームの魅力を一から教えてやる!」
「えっ……そんなの別に聞きたくないんですけど」
「初めたばかりの頃は全然勝てないが、基本的な操作やコンボを覚えて、できることを増やしていくのが楽しい! 練習の課程も楽しいが、練習して実力をつけていけば
勝てるようになる! 勝てればもっと楽しい!」
「そうだね」彁は春雪の熱弁に適当に相槌を打つ。
「練習して上手くなればなるほど、対戦の奥深さに気づく! 上手い相手とのヒリつく戦いは、何度やってもやみつきになる! あの駆け引きの楽しさを知ったら止められなくなるんだぜ!」
「好きなことを語る時に、相手のことを考えずに早口になるのはオタクらしいね」
春雪の力説は彁に何も響いておらず、彼女は「ふっ」と失笑していた。
「……こいつ、バカにしやがって。腹は立つが、お前にそういう表情されるとゾクゾクするな」
「うわぁっ……。マスターがマゾでキモいよぉ……」
「美少女がドン引きした顔も興奮するな」
「爽やかな笑顔で言うセリフじゃないんだけど!?」
寿命を得るためとはいえ、彁は春雪と契約したことを早くも後悔していた。
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