千手の泉 Ep.3

つぎはぎだらけの車庫は、孤児が着るパッチワークのようだった。水銀灯が、多種多様な車両の影を浮かび上がらせる。警察の輸送車、自衛隊の装甲車、一般的な重機、そして戦車までもが狭い空間に身を寄せ合う。そのどれもが、黒く塗りたくられている。


隊長は装甲車の後部座席に乗り込み、黒川は助手席のドアを開く。運転席は既に埋まっているので、俺に選択肢は残されてない。


「何をボサッとしている。早く乗れ」俺は躊躇いながら、課長の隣に座る。扉が閉まった瞬間、一般車では考えられないような振動とともに、景色が動き出す。


「……」


「……」沈黙が続くこと、20分。気まずさに耐えかね、俺は口を開く。


「あの、怪異って何なのでしょう?」


「知らん」


「いつもは、どうやって退治するんですか?」


「まちまちだ」


「なぜ、この仕事に就かれたのですか?」


「知ってどうする」ラリーを続けるための緩いサーブを、スマッシュで返される。


「あの、えっとご趣味は…」


「俺は床屋じゃないんだ。無理に話をする必要はない」


「すいません」黒川は助手席で運転手と駄弁っている。そのコミュニケーション能力の一割でも、分けて欲しい。


「怪異とは何か。俺が知りたいくらいだ」ようやくの引き出した一言は会話というより、呟きに近かったが、なんとかそれを拾う。


「それでも、退治はなされているのでしょう」


「試行錯誤を重ねながらな。スマートなやり方とは、ほど遠い」


「陰陽道でも使うんですか」


「俺達が頼れるのはこいつだけだ」課長は鋼鉄の扉を叩く。鈍い金属音が反響した。


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黒塗りの車両は高速道路を降り、市街地に入り、駐車場に止まる。何事か、と集まった群衆がスマホを向ける。人が作る円から、よれたスーツを着た中年男性が分離し、装甲車に歩み寄る。


「怪異対策課の方ですね」男は慇懃に頭を下げると、肌色の頭皮が見えた。


「はい」課長は首だけで、それに応じる。


「知事がお待ちです。どうぞ、こちらに」


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山梨県庁はいい意味で年季の入った建物だった。大理石の階段と、ガス灯風の照明が歴史の息づかいを感じさせる。ただ古いだけの、うちのビルとは違う。


「こちらです」両開きの扉の向こうには、二人の男がいた。ソファーに深く腰掛けた方は、見た目はどこにでもいる老人のようだ。しかし襟元に並ぶ議員バッチ、SDGsバッチ、そして鳥の羽から、尋常ならない承認欲求が見て取れた。もう片方は後退した額こそ年齢を感じさせるが、それを感じさせない凄みがある。


「ようこそおいでくださいました。山梨県知事の遠藤です」知事は課長に右手を差し出す。課長は手を握り返す。その様子は、えらく事務的なものに見える。


「遠路はるばるお越しいただき、どうもありがとうございます。山梨県警本部長の勝村です」こちらは、不機嫌さをオブラートに包むことすらしない。膨縮を繰り返す巨大な鼻は、少しでも脳の発熱を抑えようとしているみたいだ。


「どうぞお掛けください」知事に言われて、応接椅子に腰掛ける。昇任試験の面接を思い出す。


「早速ですが、状況を伺っても」


「勿論です。勝村君、説明を」知事は自身の仕事を丸投げする。勝村の額の皺が一層深くなるが、知事は気にもとめない。


軽い咳払いの後、本部長は切り出した。


「富士五湖をご存じですか」


「ええ、もちろん。全ては覚えていませんが」


「そのうちの一つ、精進湖で異常が起こっているのです」勝村は鞄から紙の束を取り出し、マホガニーの机に広げる。俺はそれを手に取った。若い男の顔写真と来歴が記されている。


「まず観光客が四人、行方不明になりました。この時点で、我々は事件の異常性を察知することはできませんでした。不名誉なことですが、富士山は観光地であるとともに自殺の名所として名が通っています。旅行者が行方知れずになることは、決して珍しいことではないのです」パラパラと資料を捲る。犠牲者は四人とも名門大学の学生のようだ。プライベートも充実しているようで、彼らが自殺する理由はないように思える。  


「次に行方をくらませたのは、湖近くの集落に住む二十代女性です。彼女は行方を田舎が嫌いだと吹聴していたので、だれにも言わずに引っ越しただけだと判断しました。その次は徘徊癖がある老人でした。捜索願が出されることはありませんでした。そして気がつくと、犠牲者は二十人を上回っていました。そのときになって、我々も自体の深刻さを認識しました。そして、我々は地元青年団と協力し捜索活動を行いました。二次災害が発生し、犠牲者は五十人まで膨らみました」目を通すのも嫌になるくらいに分厚い資料。記載されているのは、疑わしい目撃証言でもなければ、右往左往する容疑者の供述でもない。その一枚一枚に、失われた人生が刻まれている。刑事事件とは桁違いの犠牲者数に、紙が鉛になったように重くなる。


「そこで、貴方たちの力をお借りしたい。我々の代わりに、敵を討って欲しい」彼の口調は、その内容とは裏腹に、不承不承といった感じだった。


「微力ながら、尽力いたします」


「そう謙遜なさらずに。怪異対策庁の噂は聞いております。きっと我々などより、手際よく解決なさることでしょう」


「まだ、怪異が原因だと決まったわけではありませんので」勝村は再び口を開きかけるが、ノックの音に阻止される。


「知事、次の予定が迫っております」扉の反対側にいたのは、案内役の秘書だった。彼は落ち着き無く、腕時計を見たり、手帳を見たりする。




「我々はここで失礼させていただきます。いい報せをお待ちしております」


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