キザ貴族はブレない
兼定 吉行
第一章 ノブレスオブリージュ
第1話 朝勃……旅立ち
――現実から目を背けるな。
光一つ無く、自身すら認識できないほどの真っ暗闇の中にその声は響いていた。
またこの夢かと、俺は辟易する。
そんなこともお構いなしに、これまでがそうであったように声は続ける。
勇気を以て、お前の正義を示せ。
そこに力は宿る――。
ここから、昨日が、一昨日がそうであったように、いつもの悪夢が始まった。
◇
「んん……」
いつものように悪夢から目を覚ました俺は心外だった。
まったく、朝から本当に気分の悪い夢を見たものだ……。
なぜならば俺は勇気も正義もそれに見あった力も、若冠十五歳の現在既に身に付けていたつもりだったからである。
永世中立を謳う宗教都市国家イド王国のクワイ地方。
決して肥沃な土地ではなく、高い山々に囲まれたこの辺境の盆地を領土として治める我がターミア家。
その当主であるブルーノ・ターミアの第一子がこの俺、ハルノだ。
そんなターミア家ではとても家訓を尊んだ。
内容はとてもシンプル。
ノブレスオブリージュ、ただそれだけである。
貴族たりえるのは、身分に応じた務めを果たしてこそ。
守るべき領民が良民でいられるように努めること。
それこそが貴族の務めだという矜持を抱き、父はその通りの領地運営を心掛け、実際に行っていた立派な男だった。
そんな父を持ち、ターミア家で育った俺も当然のように民の幸せこそが自身の幸せだと信じて疑わなかった。
剣や魔法、勉学においても日々の努力を欠かさず、領民を脅かす事態があればそれが隣合った領地との衝突であろうとモンスターであろうとすぐに駆け付け、幼い時分から自らも父と共に最前線で戦っていたほどだ。
それについ昨年、魔族との大戦争が終結したばかり。
もちろん諸悪の根元である魔王は勇者により討たれた。
この争いの傷跡こそあちこちに残ってはいるものの、現在世界は平和と言って差し支えのない状態。
それにも拘わらず、なぜか俺は連日悪夢の世界で気分の悪いビジョンと、先程の不気味な預言めいた言葉を繰り返し聞かされていたのだ。
現実から目を背けるな――と。
目なんか背けているつもりはない。
むしろ推挙さえされたなら、自分が魔王と戦いたかったくらいだといつも怒りすら覚えていた。
だが、こう何度も同じ夢ばかり見ては多少不安にもなる。
まさか魔王は生きているのか? それとも新たな魔王が……?
そんなことを考えていると、ショートカットの黒髪が美しい少女が扉をノックするなり返事をする間も待たずに部屋へ入り言った。
「失礼しますハルノ様。出発のお時間が迫っております。朝食を召し上がるのであればお早めにお願い致します。遅れれば明日の式に間に合いませんよ?」
下手をすれば俺よりも下に見えかねないほどの童顔ではあるが、四つ年上の立派な成人。
我が母のルーツでもある遠き東の海の果てにあるハバキの国出身で、ターミア家唯一のメイド、アリネだ。
「ああ、わかっている。今部屋を出ようと思っていたところだ」
明日、俺はイド王都エナスカの、剣の勇者の出身校でもある全寮制のイド王立魔法騎士学園に入学する。
しかしこの学園、ここクワイ地方からは山を幾つか越えねばならない上に、馬でも丸一日掛かるほどの距離があったため、こうしてアリネは今の内から急かしていたのだ。
「わかっているのであれば早くベッドから降りられてはいかがでしょうか? それとも股間のモノがお元気過ぎて立ち上がれないのですか?」
「まさか、心配には及ばない。もしそうだとしてもアリネのおっかない顔を見ればすぐに縮むさ」
「ではさっさとして下さいませお坊っちゃま」
「……お坊っちゃまはよせと何度言わせればいいのだ。まったく……」
毎朝恒例の憎まれ口の叩きあいの後、俺は朝食を取り、そそくさと身支度を整え、昨晩の内にまとめた荷物を肩にかけてまるで特別な様子もなく家を出た。
「行ってくるよ」
その声に気付いた両親が、見送りをしようと玄関前のポーチに集まる。
「ハルノ、まったくあなたはどんどん自分勝手に……」
「母さんの言う通りだ。ちゃんとこういう時くらい声をかけて欲しいものだ」
「失礼しました母上、父上。それと見送り、ありがとうございます」
俺がそう感謝をすると、父は居心地悪そうに言った。
「せっかくの門出だというのに、馬の用意もできぬ不甲斐ない父ですまぬ」
ターミアの家訓、ノブレスオブリージュ。
領民から必要以上の税を吸い上げるような真似はせず、質素倹約を心掛け、領地の健全な運営に努めたその弊害……そう、ターミア家は貧乏なのである。
「構いません。事情は理解しています。不甲斐ないなどとはこれっぽちも思ってなどいません。それに私には立派な足がありますからね。馬など不要です」
「ハルノ……。しっかりやるのだぞ」
「はい、父上。ターミアの名にかけて」
目に涙を貯めながら母のエリスも言った。
「体に気を付けるのよ?」
「はい、母上」
アリネも続く。
「お坊っちゃま、いってらっしゃいませ」
「……お前は最後まで私をそう呼ぶのだな、まあその憎まれ口も当分は聞けなくなる。懐かく思うこともあるかもな」
「果たしてそうでしょうか」
「なに?」
「いいえ? なんでもございません」
「……まあいい。それでは父上、母上……それとアリネも。行って参ります」
こうして故郷から王都を目指して旅立ちの時を迎えた。
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