第8章2話 平気じゃないのは……

「英雄殿。どうぞこちらへ」



 呼びにきた若い衛兵に案内され、アスターが向かったのは下手しもて側の舞台そでだった。

 ……なるほど。エヴァンダールは上手かみて側から登場する手筈てはずらしい。



「まもなく出番になります。ここでお待ちください」


「用意周到なことだな……」


「──は?」


「…………。……なんでもない」



 まるでエヴァンダールの指す盤上遊戯チェスこまになった気分だった。あるいは……実際にそうなのだろう。


 グリモアの葬送部隊への引き抜きに始まり、王女カトリーナとの相棒契約パートナーシップ、グリモア国王治政三十周年式典の舞台上での一騎打ち……。


 あの褐色かっしょくの王子なら、世界のすべても自分のオモチャ箱に放り込むだろう。自分が亡者を根絶し、世界を救うという壮大な遊戯ゲームとして。

 エヴァンダールには、そうやって他者ひとを従えたのしんでいる気配があった。



「……舞台の進行はどうなってる?」


「もうすぐクライマックスですね。第一幕の最後で無情に引き裂かれたリゼルとレオナルドのふたりが、結局は忘却の河にとどまって、友人のシャルラインだけを逃がそうとする。そこに立ちはだかる悪の軍団長パーシバル……。今、ちょうどそのクライマックス直前でシャルラインを逃がそうと、ヒロインのリゼルたちが説得する場面です」



 ──ここだけの話……、と衛兵は言った。



「シャルライン役の子が直前で変更になって、関係者側はハラハラしたんですが、これがなかなかかわいい子で注目集めてるみたいですよ」


「…………」



 では舞台も楽しんで……と言い残して、衛兵はアスターを残して去った。


 人目がなくなって、アスターはげんなりと座り込んだ。亡者と戦っているよりもよっぽど疲れている気がする。



(場違いだろ、どう考えても。何をしてるんだ俺は……)



 仕えている王子の命令だから……?

 けれど、クロードのときとは明らかに違う。

 クロードはそもそもこういう根回しが大の苦手だった。特にノワール王国にいた当初は不器用でまっすぐで……。



 ──いつまでも過去の亡霊に仕えるのはやめろ。



 ロンディオとりでの司令官室で話したジェイドの言葉が、その冷めた視線が、疲れた頭にもたげてくる。

 自分が何を信じればいいのか……揺らぐ。

 ノワール王国のことも、クロードやルリアのことも。



 ──俺に従え、アスター・バルトワルド。



 黒髪に褐色の肌をした王子の不敵な笑みがちらついて。その手をとってしまえばラクになれるとささやいてくる。


 いつまでも立ち止まっていてはいけない。過去のことなど忘れて、未来を見ろと。滅びに向かう世界を、絶望する人々を救え、と……。

 それが正しい道なのだから……と。


 そんなとりとめもない思考がぐるぐると回る中──



 ……ふと、どこからともなく鎖の音がした。



(…………?)



 気のせいだった。

 こんなところでそんな音がするわけがない。

 けれど──


 思い出すのは、鎖の断たれた足枷をした十四歳の少女。


 メルがパタパタと動くときにする金属のこすれる音が……アスターは嫌いではなかった。


 まるで足枷などあっても関係ないのだというように、軽やかに笑顔で駆けるその姿が……。


 交易町リビドにいた頃のことが──メルと過ごした穏やかな時間が、無性になつかしく胸に迫った。


 今頃、どうしてるのだろう。

 パルメラたちのいる商人ギルドで、今もがんばっているだろうか……。



(……くそっ。考えないようにしてたのに……)



 ……舌打ちした。

 考えれば、心がもろくなるとわかっていて。けれど、一度あふれ出した想いは止まらない。


 戦いに巻き込むまいと自分から置いてきたくせに。

 メルの向けてくれる笑顔が、優しい言葉が、こんなにもなつかしくなるなんて……。


 もしメルがここにいたら──

 どんな言葉をかけてくれるのだろうか?

 きっと、はにかむように笑って。

 大丈夫と言ってくれる気がして……。


 でも──



 ──私、アスターがいなくても平気だよ。



 その言葉を思い出して、胸がせつないぐらいに痛んだ。


 一緒に来るかと訊いたアスターに対して、宿の炊事場すいじばでメルが言ったこと。


 ……そんなこと、とっくに知っている。

 平気じゃないのは、むしろ……。



(…………)



 受け入れたくない結論にいたる前に、アスターは自分の身体をムリヤリ起こした。



「一騎打ちの前からこんな弱気でどうする……」



 エヴァンダールは強い。

 剣の技量だけではなく……精神ココロも。生半可な覚悟で挑んだら──負ける。


 アスターは……──

 見世物にされて終わるつもりはなかった。


 観客たちの拍手が聞こえる。舞台の一場面が終わったところのようだった。

 のろのろと、剣のつかに手をかけた。



(……そろそろ、か)



 舞台の方につながっている垂れ幕の向こうを、そっとのぞき込む。

 舞台の中央で、十代半ばの少年少女たちが演技をしている。

 その姿に……なぜか見覚えがあった。



(…………?)



 アスターは眉をひそめた。


 レモン色の舞台衣装ロングドレスに身を包んだ少女の姿が、舞台を照らす松明たいまつの中、照らし出される。


 小花を散らしたリボンで結い上げた髪の長さも、耳元に輝く大ぶりなイヤリングも、普段の彼女とは似ても似つかない。


 華奢きゃしゃな脚は足首まで隠れて、衣装と同じレモン色のハイヒールも、アスターの記憶とは齟齬そごをきたす。


 暗い舞台そでから遠目で見るのでは、確かなことは言えない……はずだった。


 ──でも。


 あの歌声を、踊りを、アスターは見間違えない。


 交易町リビドにたどり着く前やリビドの廃鉱の中でも、亡者たちの魂を葬送おくってくれた……優しい歌。


 目を疑った。都合のいい幻聴かとも思った。けれど、いくら瞬いても目の前の光景は消え失せない。



「…………──メル!?」



 パルメラたちと一緒に交易町リビドにいるはずのメルが、なぜか、遠く離れた王都リングドールの、しかも王城区画内の舞台で演技していて──


 アスターは、人知れず凍り付いた。

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