第7章6話 至高の存在

 大変なことになった……。

 でも、どこをどう間違えてしまったのだろう。

 嫌な動悸どうきと胸騒ぎだけが大きくなっていく。


 日に日にエスカレートしていくフレッドや亡者解放戦線の信者たちの狂気の渦に、小鹿はなすすべもなくのみ込まれていった。



「同志たちよ、今までよくえた。貴族に子どもを殺された親もいただろう。重税に堪えかねて自殺した友をもった者もいただろう。だが、それも今日で終わる。式典に亡者たちを招き入れ、俺たちと自由と尊厳を奪ってきた王侯貴族どもに復讐するんだ! ──自由と平等を我らの手に!」



 アリの巣からい出るように無数に膨れ上がる信者たちの先頭に立って、フレッドは先導する。

 その背中に、必死にすがりついた。



「待って、フレッド! 治政三十周年式典に亡者を招き入れるって、どうするの!? それに国王陛下の暗殺だなんて……!」



 心配する小鹿に、フレッドは優しく微笑んでみせた。



「大丈夫だよ、小鹿。心配しなくても、城への侵入経路も亡者に関しても、全部向こうが手配してくれてる。君は何も心配しなくていいんだ」



 それにここだけの話……とフレッドは声をひそめた。



「亡者が会場に現れても現れなくても、本当はどっちでもいいんだ」


「……え……?」


「亡者は救いの象徴──いわば、記号なんだよ。亡者の存在が僕たちをひとつにしてくれる。グリモア王家を倒す力になってくれる。そこで僕たちは新しい政権を打ち立てるんだ──国王も貴族もない真に平等な世界にするんだ……!」



 ……わなだ、と思った。

 こんなに何もかもうまくいくはずがない。

 学のない小鹿にも、これが馬鹿げた計画だってことがわかるのに……。


 奴隷として踏みつけられてきた小鹿は知っている。


 大抵の貴族たちにとって、市民はアリも同然だ。踏みつぶしたところでなんとも思わない。


 牛や豚を殺して調理しても何も心が痛まないように、自分たちを死地に向かわせても何も感じない。


 ──相手は、自分たちと同じ「人間ニンゲン」ではないのだから……。



「さぁ、今こそ復讐のときだ! この理不尽な世界にしいたげられた僕たちの復讐を果たすんだ!」



 ──清浄な世界。

 差別のない優しい世界。

 貴族も奴隷もいない平等な……。

 本当にそんなものがあるのなら──

 私たちはもっと優しく生きられたのかな……?

 自分たちの心のまま。

 誰にも縛られることなく……。



「国王の首をとった者に、次の世界での幹部の座を約束する!」



 手に手に剣や棍棒こんぼうをとり、亡者解放戦線の同志たちが城になだれ込んでいく。協力者に示されたルートをたどり、目についた者たちを無差別に殺しながら血走ったまなこで駆けてゆく。


 それは、さながら亡者による侵攻だった。たった一晩にして国を滅亡させるという、死者たちの魂のなれの果て……。



「こっちだ! ここから式典会場になだれこめる!」



 フレッドがみんなを先導して真っ先に扉をぶち破る。広大で真っ暗な空間だった。


 式典の観覧席につながっていると思っていた亡者解放戦線の幹部たちが──……不意に足を止めた。



「……っ!? 暗いな」


「ここじゃないのか?」


「待て、明かりを……」



 てん……、と。

 戸惑うフレッドの足元に、何かが転がった。

 子どもが遊ぶボールぐらいの大きさをした、丸いもの……。



「なんだ? これ、は……」



 拾い上げたフレッドの手元──

 松明たいまつの明かりに照らされたのは、老いて事切れた──…………



「…………っ グリモワール三世!?」



 怖気おぞけのあまり取り落としそうになった。閉じたまぶたに血の気はなく、しわの刻まれた口は黙したまま……永遠に開くことはない。



「どうして……っ!」


「何がどうなってるんだよ!?」


「なんで国王が殺されて……!」



 信者たちの間で動揺が伝播する中、静かな声が告げた。



「──なに、俺たちからのちょっとしたプレゼントだよ。それが欲しかったんだろう?」


「!?」



 薄暗いホールの奥──暗がりから男の声がした。


 刺繍入りの生地で作られた豪勢なウエストコート。裏地までつやつやと輝く肩章けんしょう付きの外套が男の階級を物語る。


 ふさふさとした眉とひげは大柄な体格と相まって、場違いに温和な熊のようで──しかし、その下の鋭利な眼差しは隠せない。



「……! フレッド、見ろ。囲まれてる!」



 ホールの中、近衛兵たちに囲まれていた。各々おのおの、剣を構え、フレッドたちを取り囲んでいる。



「なっ……! いつの間に……!」


「な、なんで国王殺されてんのに平然としてんだよ!? こいつら、近衛だろ? 何がどうなってんだよ……!」


「……っ!」



 フレッドの背筋が、真に冷えた。

 自分たちが反政府組織なら、こいつらは──



「……反乱軍!?」


「──ご名答」



 肩章付きの男がニヤリと笑った。

 国王の首を指して言う。



冥土めいどの土産ってヤツだ。死にゆく者へのはなむけ──なかなかみやびな風習だと思ってな。協力してくれるおまえたちへのささやかな礼だよ」


「何、を──……うっ!?」



 突然の燐光りんこうが、フレッドの目を焼いた。


 現れた男の向こう──

 近衛兵たちの背後に現れた女たちが、一斉に歌い踊り始めた。

 ホールの床に巨大な魔方陣が現れ、フレッドをはじめとする亡者解放戦線の信者たちを光の渦にのみ込んでいく。



魂解析アナリスの逆……といえばいいかな。人間ヒトの構成式を『解析』して『書き換え』る──おまえたちが自由と平等をもたらす存在として崇拝すうはいしている亡者どもと同じ構成にな」


「──!?」



 ──喜べ、愚民ぐみんども。

 おまえたちがこの世界を粛正しゅくせいする。

 亡者という至高しこうの存在になれることを誇りに思うがいい……!


 フレッドの頭に血がのぼった。



「ふざ……けるなぁぁぁっ!」



 反乱軍だと名乗った男になぐりかかろうとし、手にした首を放り出して胸ぐらをつかんだ──刹那せつな



「ぐぁぁぁぁ……っ!」



 女たちのおぞましい歌声がフレッドの身体を焼いた。

 全身の血が沸騰ふっとうし、手足の肉がみずから裂け、骨がきしみをあげて溶け崩れていく……その崩壊の苦痛に身もだえた。



「フレッ……ド! きゃああああぁぁっ!」


「!? 小鹿……っ!」



 同じ苦痛に全身を焼かれながら、小鹿がフレッドを抱きしめた。

 次々と倒れ異形の化け物へと変貌へんぼうしていく同志たちの中、お互いの形をとどめるかのように、必死にすがりつく。


 フレッドの胸に後悔が押し寄せた。

 ……何もかもが手遅れだった。

 同志たちをこの場所に導いたことも。

 小鹿を巻き込んだことも、何もかも……。


 血走った目から涙がとめどなくあふれた。



「小鹿、ごめん……。君を、自由に──」



 奴隷という身分から解放して。

 今度こそ、一緒に──

 生きたくて…………。

 …………。

 ……。



  ☆☆



 亡者解放戦線の信者たちがなだれこんだホールの中──


 もつれあうようにして倒れ伏した男女を見下ろして、ジェイド・ルミールは服に飛んだ血を見下ろした。



「…………。……ズボンが汚れたな」



 忌々いまいましげに眉をしかめて、燐光の収まった魔方陣に踏み込む。

 国王だった首を蹴り飛ばすと、獰猛どうもうな獣の笑みを引いて外套をひるがえした。


 背後には、ついさっきまで人間ヒトだった亡者どもがうごめいている。



「──さぁ、行くぞ。おまえたちの望みが叶うときだ」



 ──この国の腐った王族貴族どもを血祭りにあげてやれ……!



 ジェイドの叫びに呼応して、亡者と化した群衆が狂ったように雄叫おたけびをあげた。



(第七章・了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る