親友と一度もしゃべったことがないという話

ぬるま湯労働組合

親友と一度もしゃべったことがないという話

 小学校4年生の春から中学3年生の終わりまで、私は毎日、隣に住む「ももちゃん」という子と一緒に学校へ通っていた。


 「ももちゃん」とは中学も同じ部活で、登下校だけでなく、朝練や休みの日の練習も一緒に体育館へ通っていた。


 「ももちゃん」はとても美人だ。ものしずかで、背が高くて、姿勢がいい。顔もかわいい。


 小学生のときは毎日長い髪をおさげにしていた「ももちゃん」。三つ編みがとてもよく似合っていたのに、中学の校則が厳しくて、髪をばっさり切ってしまったときは悲しかった。


 ここまで聞いて、私と「ももちゃん」が親友なのではないかと思うだろう。そうではない。

 なぜなら、私は「ももちゃん」と一度もしゃべったことがないのだ。


 そう、毎日一緒に2キロ離れた中学校に登下校していたのに。同じ部活で3年間過ごして、休日は一緒に大会に出たりもしたのに。私が大会で負けて帰り道で泣いていた時もそばにいたのに。

 「ももちゃん」と私は一度もしゃべったことがないのだ。


 私と「ももちゃん」との出会いは小学校4年生のとき。私がその町に引っ越してきて、お隣に同い年の子がいると知り、ごあいさつに行った時のことだ。


 「ももちゃん」のお母さんはものすごく陽気なよく喋る人で、後ろに隠れている「ももちゃん」をぐいっと前に出して、「ほら、あいさつしなさい」と言った。


 「ももちゃん」は大きな目をくるっと地面へ向けて、唇を少しもごもごさせただけで何も言わなかった。そのときは、「照れているのかな、ものしずかでかわいい子だな」なんて私も考えていたものだ。


 「ももちゃん」のお母さんの取り計らいで、初登校の日は慣れない私を「ももちゃん」が学校まで案内してくれることになった。


 朝、「ももちゃん」が私の家のピンポンを押して、ふたりで並んで歩いた。


 自然な流れで、私と「ももちゃん」は2日、3日と一緒に登下校した。


 4日目くらいで異変に気付いた。「ももちゃん」、まじで一言も喋らないのだ。私もとんでもないコミュ障なのでわざわざ自分から話しかけたりはしないのだが、「ももちゃん」は授業中に当てられても、クラスメイトに話しかけられても頑として話さない。「ももちゃん」はものしずかすぎたのだ。


 今思えば、「ももちゃん」は場面緘黙症みたいな病気だったのかもしれない。だが、子供だった私たちには何もわからなかった。


 それに、「ももちゃん」の周りにはいつも不思議と人がいた。


 陽キャも、陰キャも、男子も女子も、「ももちゃん」とちょうどいい距離感を保ちながらうまく関係性を築いているように見えた。


 おはようとか、昨日何食べたとか話しかけられるたびに、「ももちゃん」は大きな目をくるんと床に向けて、小さくうなずいたり首を振ったりするのだった。


 私と「ももちゃん」は登下校のとき、いつも縦に並んで歩く。横に、ではなく縦に、である。


 だいたいいつもなんとなく「ももちゃん」が先に歩き始めて、その4メートルくらい後ろを私がついていくのだ。


 最初のうちは、小学校の前の坂がきつくて、私が遅れることもあったが、「ももちゃん」は特に待ってくれることもなく先に行ってしまう。


 しかし、わざと私から離れようとしているわけでもなく、ちゃんとついていける速度で歩いてくれる。


 つまりは、4メートルくらい離れているから私が遅れても「ももちゃん」は気づけないのだ。なぜなら私と「ももちゃん」は一言も会話を交わさないのだから。


 毎朝校門のところにいる校長先生に、「ふたりは金魚とそれにくっついているフンみたいだね」と言われたことがある。きっと美人の「ももちゃん」が金魚で、私がフンだ。そう思うと、少し切なかった。


 そんな月日が3年ほど流れて、私たちは地元の中学校に入学した。私は陰キャのくせにスポーツをやってみたかったので、卓球部に入部した。


 「ももちゃん」は仮入部では手芸部だったが、最終的にはなぜか私と同じ卓球部に入った。私がいるから卓球部に入ってくれたのかな、などと妄想して少し嬉しかった。


 卓球部はかなり厳しくて、最初のうちはラケットを握らせてもらえず、球拾いや筋トレ、声出しばかりさせられた。


 声が小さめだった私は声出しにかなり難儀した。長い駐輪場の端に1年生が立たされて、反対の端に先輩たちが立ち、「おはようございますっ!」とか「ありがとうございましたっ!」とか叫ばされて、OKが出るまでひたすらやらされるという苦行だ。


 他にも、卓球部の応援には、点を取られたら「ドンマイドンマイ! 次一本!」、点をとったら「ヘイ、ヨ~、スマッシュもう一本!」などと叫ぶというとんちきな掛け声があり、帰宅部の人たちにじろじろ見られながら駐輪場で叫ぶのはなかなか恥ずかしいものがあった。


 声出しのときも、「ももちゃん」は口を「ヘイ、ヨ~、スマッシュもう一本!」の形に動かすだけで、徹底して声を出さない。練習のときも、大会のときも。1年生の頃は部活で先輩や顧問に怒られているのも見たが、なぜか「ももちゃん」だけだんだんと許されるようになっていた。


 夏が過ぎて、3年生の先輩が引退し、1年生の中でも声出しやランニングで上位の子から順に、卓球台での練習が始まった。


 声の小さい私とそもそも声を出さない「ももちゃん」は、ラケットを握るのが一番遅いグループだったと思う。


 まずは先輩に球出しをしてもらって、正しい姿勢でラケットに球を当てる練習からだ。

 卓球は、間違った姿勢でラケットを振っていると、変な癖がついてなかなか上達しない。だから、初心者のうちに正しい姿勢に矯正しておく必要がある。


 私は、筋トレや声出しは苦手だが、せめてラケットを握る練習ではうまくなろうと思い、毎日必死で食らいついて練習した。


 そして、「ももちゃん」はその姿勢の練習がめちゃくちゃ下手だった。ものすごく棒立ちなのだ。


 卓球では、背中を猫背に丸めて膝を曲げ、重心を前に倒すような姿勢が求められる。しかし、「ももちゃん」は卓球の時でさえ、背筋をぴんと伸ばし、手だけ左右にぶんぶん振っていた。


 それが面白くて、私たちはいつも「ももちゃん」の打ち方のまねや、「ももちゃん」を叱る先生のものまねをしてゲラゲラ笑っていた。


 どんなにネタにされても、「ももちゃん」はいつも背筋をまっすぐ伸ばしていた。


 ついに、秋。新人戦のシーズンだ。

 2年生の先輩が9人。1年生が17人。新人戦に出られるのは10人までなので、1年生の枠は1つだ。


 1年生の中で卓球の総当たり戦を行って、1位になった人が新人戦に出られることになった。

 まだ卓球のまねごとのようなことしかできない私も、どうしても新人戦に出たくて、必死に頑張った。


 先輩たちと先生は、キャッキャと笑いながら私たちのへたくそな試合を観戦していた。デスゲームで殺し合うプレーヤーを眺める金持ちの観客のような気持だったに違いない。


 そして、その総当たりリーグで、「ももちゃん」は1位になった。


 確かにひどい棒立ちなのだが、不思議とラケットに球が当たるのだ。卓球は、1球でも球を多く返した方が勝つゲーム。「ももちゃん」は総当たり戦で全勝して、新人戦の枠を勝ち取った。


 とても悔しかった。あんな棒立ちで、先生の言うことも聞かない「ももちゃん」が、勝つなんて。


 どうにかして、「ももちゃん」が新人戦に出られなくなって、代わりに私が選ばれる妄想もした。私はそのとき嫌なやつだった。


 その日は「ももちゃん」と一緒に帰るのが嫌だった。いつものように並んで歩き始めた私たちの間隔は、4メートルが5メートルになり、10メートルになり、いつしか「ももちゃん」の背中は見えなくなっていた。


 新人戦の日、私と「ももちゃん」は「ももちゃん」のお父さんの車で試合会場に行った。「ももちゃん」は選手で私は応援。それが悔しくて私は黙っていたが、しゃべらないのはいつものことなので「ももちゃん」のお父さんが不思議がることはなかった。


 1年生にはまだユニフォームが届いていなかったので、「ももちゃん」はたったひとり、練習着で個人戦の試合に出ることになった。


 試合のトーナメント表を見て、私たちは驚いた。「ももちゃん」の名前は左上から二番目。1回戦の相手は、去年地区大会で1位だっためちゃくちゃ強いシード選手だったからだ。


 「ももちゃん」かわいそう、と私たちは口々に言った。

 「ももちゃん」は、大きな目を下に向けて、少しうなずいただけで試合会場に出て行った。


 試合が始まった。1本目は相手のサーブ。「ももちゃん」のラケットにはかすりもしない。


 「ももちゃん」は、なすすべもなく棒立ちになっていた。相手の選手にとっては肩慣らしにもならないほどの実力差があった。


 私たち応援席のメンバーが「ドンマイドンマイ 次一本」を言い終わる前に、次の点を取られてしまう。

 新人戦の初出場で勝てるとは思っていなかったが、これはあんまりだと思った。


 「0-10」で負けた時に、相手の選手がサーブミスをした。卓球では、相手に1点も取らせずに勝つのはマナー違反。明らかにわざとのミスだった。


 私たちは悔しい思いで「ヘイ、ヨ~、スマッシュもう一本」と言った。


 それでも「ももちゃん」は、戦うのをやめなかった。棒立ちのまま、ラケットをぶんぶん振っていた。2セット目も、相手がわざとサーブミスをして、「1-11」で「ももちゃん」は負けた。


 本当は同じ時に試合をしている別の先輩を優先して応援しなければならなかったのだが、私は先輩なんかより「ももちゃん」を応援したかった。


 3セット目。相手が「よろしくお願いします」と言って、「ももちゃん」も無言でぺこりと頭を下げる。


 相手の選手は完全になめてかかっていて、1本目からわざとサーブミスをした。

 2点目、相手の得点。

 3点目、相手の得点。


 練習代わりと言わんばかりに、ものすごいサーブを出してきたり、逆にわざと簡単なサーブを出して、「ももちゃん」に返させてからスマッシュを打ってきたりする。


 私は悔しかった。「ももちゃん」が負けるのが、悔しくてならなかった。悔しくて悔しくて涙がでて、隣で応援していた他の子がぎょっとしていたほどだ。


 「1-10」になって、「ももちゃん」を応援していた他の1年生も、もう先輩たちの応援を始めていた。

 私だけが「ももちゃん」を見ていた。


 相手の選手が、わざと簡単な球を出す。最後にスマッシュを決めて、かっこよく終わらせるつもりだ。「ももちゃん」をかっこつけるための材料にするなんて、ひどいやつだと思った。


 「ももちゃん」がどうにか球を返す。相手がスマッシュの姿勢をとり、パチンと音が響いて剛速球が飛んできた。


 終わった。そう思ったとき。


 ポコッ。


 「ももちゃん」のラケットに、球が当たった。球は上に高く打ち上げられ、相手のコートへ。勝ったと思ってガッツポーズをしていた相手の選手は、慌ててそれを追いかけるが、ラケットは球をかすめて空振りする。


 「2-10」。ももちゃんが、1点を取ったのだ。

 私は「ヘイ、ヨ~、スマッシュもう一本!」を言うのも忘れて、ただ黙って「ももちゃん」を見ていた。


 相手の選手はへらっと笑って、次にももちゃんが出した球をスマッシュして試合は終わった。


 応援席に戻ってきた「ももちゃん」は、紙に点数を差し出して、先生に渡した。先生は、「あれ、2点取ったんだ」と言っただけだった。

 誰も「ももちゃん」の試合を見ていなかったのだ。私を除いて。


「ももちゃん、ももちゃん、最後の、すごかったね」


 私は「ももちゃん」に話しかけた。私が「ももちゃん」に話しかけたのもこれが初めてか2回目か、くらいだったけれど、「ももちゃん」はいつものように下を向いて少しうなずいただけだった。


 「ももちゃんとあなたは友達なの?」と聞かれることもよくある。私は違うよ、と答える。しゃべったことのない友達なんて、いるわけないじゃん、と。


 「ももちゃん」は友達ではなく、私にとってのエースだ。いつも追うべき背中だ。


 数年後。成人式の日に、地元に帰った私は「ももちゃん」と久しぶりに会った。振袖を着た「ももちゃん」は、いつものように背筋を伸ばして、伸びた髪は三つ編みになっていて、本当に本当にきれいだった。

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