②
僕はいつも、なるべく早く
カリフォルニアの燦燦な日差しを浴びた一日が終わり、寝静まる事物の只中に、此こそ平生というような眠気の軽薄さを棚引かせた、15才の僕がいた。
夏休みも中盤に差し掛かり、人類がその足を宇宙空間に添えたあの時から、丁度400年が経とうとしていた、2369年7月20日の日曜日のことだ。その日は、独りで美術館を訪れていた。いつも独りだった。雲は翼を広げ、僕は玄関の窓越しにそれを見た。その時、閉鎖的な感覚と青天井な感覚に襲われた。
「サルバドール…」
後から僕を呼ぶ声がした。
「何処へお行きになられるのですか?」
僕を呼んだのは、AFのマーニーだった。
彼女は所謂、家庭用AIだった。そして、僕の心の彼や是やを、よく聞いてくれた。彼女には、夢があった。彼女はいつも、ローズ様のようになりたい、と言っていた。もっと、人間的になりたいと……。何を以て人間的なのか、彼女が考えていたかは、分からない。でも、中々の変わり者なのは、確かだった。
僕は父と5つ年上の兄と共に暮らしていた。父と母は僕が7歳の頃に離婚した。幼少の頃は、2人の喧嘩を毎週1回は必ず見ていた。マーニーは、僕に2人の喧嘩を見せぬよう、また八つ当たりを受けないように、屋根裏部屋で一緒にいてくれた。
「大丈夫ですよ。お父様かお母様のどちらかが、その怒りの矛先をあなたに向けるべく、あの扉を開けて来ても、私が落ち着かせますから。」
僕は彼女の言うことにうなずいた。
「私には人間の心があまり分かりません。ですから、あなたが今どんな気持ちなのか、分かりません。このようなときに、統計的に幼児期のお子さんがどのような感情になるのか、そのデータから推測しますと、あなたは、今、この体験を学習されておりますね。20世紀から21世紀にかけて、人間の心理に関しての研究は、飛躍的に進みました。それでも、人間の心については、よく分かっていないようです。5才のあなたにこのようなお話しは、まだ早いかも知れませんが、私は何事にもオープンである今のあなたに、悪影響が及ばぬよう、最善を尽くしますね。」
僕は又うなずいた。そして、扉の方を見詰めた。今のところ、あの扉が混沌とした感情の渦によって開かれたことは無い。それでも、いつもギターの弦をなぞるように、心が生々しく熱かった。日陰を用意してくれたのは、いつもマーニーだ。夏の木陰の様な、そんな感じだった。父は兄の方を贔屓していた。それとは裏腹に、母からは厳しい対応をされていた。母は僕の方にだけ優しく接していた。昔から父とはあまり口を利かなかった。そのかわりに、マーニーがいつも傍にいてくれた。一方、兄とは仲良しとまでは行かないが、並な兄弟としての距離感でいつも過ごしていた。
僕は玄関に手をかけたまま、マーニーのかけた声に応えた。
「ちょっと、美術館に、ね。」
「夏休みでも、芸術勉強…関心いたします…!」
「まあ、そんなつもりは…、まあ、じゃあ行ってくるね。」
「お気を付けて…。」
僕はリュックの整っているが故のぎこちなさを伴いながら、カリフォルニア美術館に向かった。カリフォルニア美術館は、2110年に出来た美術館で、20世紀中盤から22世紀までの美術作品を展示している。人々からはCGA(California Gallery of Art)として、親しまれている場所だ。
僕はバス停で9時27分発のバスを待っていた。その日は、バス停に向かうまで、やけにボーッとしていた。バス停に着いてからも、目のピントが合っておらず、何度も瞬きをした。僕はホログラムを起動するべく、服の右裾にある指紋認証をする為の白い円模様に人差し指をかざした。ホログラムの時刻表示は、9時24分を示していた。この服を作っている会社は、マーニーを作った会社でもある。そして300年前、初めて火星に人類を移住させた会社でもあるのだ。
バス停には60代くらいの男性と20代前半くらいの女性がいた。僕らの乗るバスが見えないかと、僕は白い椅子に腰をかけながら、空を見上げた。
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