美しい毒の一匙

有沢真尋

第1話

 そのとき呑み込んだ怒りも絶望もすべていつか君の絵になる。



 * * *



 瞑目した青年の頬から首にかけては硬質な輝きを放つ宝石。

 キラキラと輝く豊かな緑色の髪も宝石化が進んでいる。

 薄く開いた唇からは蔦草が伸びていて、蔦のあちこちには薄紅色の蕾が。

 そして、心臓の表面まで伸びた蔦の先には、咲き誇る一輪の花。



 ロミーナの提出したその絵を、ポーラは軽く眉をひそめて眺めた。

 絵画クラスの名物教師、ポーラは黒髪に琥珀色の瞳の美しい女性だ。年齢は二十代半ばで、学院の学生たちと年齢も近いが、学生時代から広く才能が知られた新進気鋭の画家である。

 そのポーラが、学院長たっての願いで母校で教鞭を取ることになったのは、この春から。

 絵画クラスは色めきたった。


 ――ポーラ先生に認められたら、卒業を待たずにプロの画家よ!

 ――先生のパトロンは公爵様をはじめ、名だたる方々がいらっしゃるの。紹介状を書いてもらえば、一生困らないで絵を描いていられるわ!

 ――こんな美味しい機会、二度とない。ポーラ先生の機嫌を損ねることだけはあってはならない。


 芸術専攻、絵画クラスの学生たちはいま息を潜め、講評を受けるロミーナを見つめていた。

 ロミーナは栗色の髪に水色の瞳、十六歳の少女である。平民出身ながら、絵画の才能が認められ特待生として学院に入学を許されていた。


 かたや、若くして天才の名をほしいままにするポーラ。

 完成間近の絵を差し出しているロミーナは、現時点では第二のポーラとなる可能性をも秘めた優秀な学生。

 ポーラは毎回二、三人の絵しか見ない。しかも講義そのものが月一回程度のため、この二人が直接にやりとりを交わすのはこのときが初めてだったのである。

 果たして、学生たちの注目の集まる中で、ポーラは紅の引かれた形の良い唇を開いた。


「美しい絵ね」


 ほうっと感嘆の吐息が絵画室のあちこちで聞こえた。

 天才が優等生の持つ「才能」を認めた、まさにその瞬間なのだと。その場に居合わせた者たちはそう思ったのだ。

 水色の瞳を大きく見開き、固唾を呑んで見守っていたロミーナでさえも。

 美しいと耳にした瞬間、全身から力が抜けて、ふらついてしまったほど。呼吸をすることすら忘れていたのが急に思い出されて、不自然に息を乱しながら、ようやく言葉を発する。


「ありがとうございます」


 そのロミーナを見ることなく、ポーラはちらりと教室内に視線を滑らせた。片手にペン、片手に絵の具の乗ったパレットを持った女生徒に目を留めて、立ち上がる。

 結ばれることのない波打つ髪と、異国風の精緻な刺繍の施された裾の長いカフタンが、動きに沿って優雅に揺れた。


「その筆、貸してくださらない?」


 鈴の鳴るような声に陶然とした様子で、女生徒はポーラに筆を差し出した。

 受け取ったポーラは、絵筆にさらに絵の具を含ませてから、ロミーナの元まで引き返す。

 そして、花と宝石へと変わりゆく青年画の前に立ち、真っ赤な絵の具をたっぷりと吸った筆を勢いよく振り下ろした。


「この絵は毒が強すぎる」


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