RPG〜天撰へのロードマップ〜

真桜香

獅子の子

第1話 灯

 それは無謀すぎる、戦いだった。


 自分の名前を呼ぶ渋い声に、椅子から立ち上がった岡辺大翔おかべひろとはゆっくりと足を進める。一次面接という敵を倒し、二次面接という小ボスを倒し、中ボスである三次面接へと向かう。


「失礼します!」


 人生はゲームのように上手くはいかない。経験値を積んだとしても、成功するとは限らない。そもそもの話、人生という名のゲームにクリアはあるのだろうか。

 いいや、今は考えるを止めよう。今の自分がやるべきことは三次面接も突破し、最終面接へと勝ち上がること。でも、将来に不安を抱くのは普通のことではないか。

 一次面接、二次面接はグループで行われた。三次面接は一対五である。圧迫感を抱きながらも、用意しておいた文章を口にする。何も問題はないはず。だって、俺はこの会社のことを熟知している自信があるから。

「では最後に、あなたは衣食住の中で一番、何が大切だと思いますか?」

 この企業の三次面接最後の質問は有名だった。対策する者もいる。

「私は衣食住、三つとも大切だと思っております」

 俺はそう答える。当然、自分でもわかっている。面接官は衣食住の三択のうち、一つを選べと言っているのだ。質問に対して、俺の答えは間違っていると思う。しかし、衣食住はどれも欠けてはならない。これは間違っていないと断言できる。

 いわば、これは「試合は負けたが勝負には勝った」ということ。でも結局、受からなければいけない。

 案の定、俺は三次面接で落ちた。最終面接への切符を手にすることはできなかった。リトライできるか、コンティニューできるか。

 ゲームオーバーだ。


 あれから数ヶ月が経ち、俺は実家に戻っていた。

 おめでとう、の言葉が飛び交う居間に俺もいる。主役は俺ではなく、家族ぐるみで付き合いが長い幼馴染。あいつも俺と同じ企業の面接を受けたらしく、見事受かった。三次面接の質問では「食が大事」と答えたそうだ。

「お前は『食』が一番大切なのかよ」

 テーブルに置かれた豪勢な料理を口にする。さすがは祝い事、普段の食卓に出てくる量ではない。

「衣食住は生活する上で、どれも欠かせないモノだ。けど、あの場では一つ選択しなければいけない。どうせ、お前は三つとも大切とか答えたんだろ」

 あいつも料理を口にする。

「面接官の質問の意図を――」

「わかってる、そんなこと。でも、本当のことだろ」

「わかってねぇから落ちてんだろ」

 反論しようとした時、割って入ってきた母さんは「健ちゃん、いっぱい食べてね」と料理を持ってくる。幼馴染の堺健太郎さかいけんたろうは「ありがとうございます」といつもの爽やかな笑顔を見せる。

「あーあ、俺の方が会社に対する愛はあるっていうのによ」

 まだ横にいた母さんは「情けない」と吐き出す。

「あんたは何をこだわっているのよ。一社しか受けないってどういうこと! 別の会社でもいいじゃない」

 説教なら堺たちが帰った後にしてくれ、と思っていると母さんはそれを察してヒートアップしていく。

「他の子は何社も受けてんのよ。健ちゃんだって、そうよね? ね?」

 詰め寄っていく母さんに、まあ……と明らか困っている堺。

「俺は天撰で働きたい。他の会社で働いている姿が想像できないんだよ!」

「まだ働いたことがないあんたが――」

 俺は自分の部屋に戻る。これ以上、あの場にいたら場の空気をもっと悪くする。

 ベッドにダイブして考えることはこれからのこと。自分が入社したい大手企業の天撰は中途採用も随時募集している。しかし、応募できるのは一年後である。


 ―もう、諦めようか―


 晴れて無職となった俺は家に居づらく、昼間は外をぶらぶらと歩いていた。

 駅前に群がる小学生たちは「まはらじゃ」と懐かしい言葉を口にした。俺の頭の中で当時の記憶が蘇る。毎日のように通っていた「まはらじゃ」は小さなゲームセンターのことだ。正式な名前は「馬覇羅謝まはらじゃ」で小学生の頃、読めなかった俺たちは「ウマ」と呼んでいた。店長が怖いおじさんで「店の名前が読めないガキは来るな」と怒鳴られた覚えがある。

 気づけば、俺は足を運んでいた。駅の地下に位置するそこはガラス張りで外からでも中の様子が見える。怖かった店長はいないようで、店の扉を引く。

「これで動くだろ」

 こっちに背を向ける店員らしき男はカードを吐き出す筐体の鍵を閉めた。ブラックアウトしていた画面が生き返る。ありがとうと笑顔を見せた少年の頭を軽く触れた男と目が合う。

「お前は……」

「もしかして、ヨシ!」

「大翔だろ! お前!」

 勢いよく肩を叩いてきた男は昔、よく遊んでいた赤井良高あかいよしたか。俺たちはあだ名で「ヨシ」と呼んでいた。年は四つほど離れていて、当時は目線が高かったヨシと今では同じぐらい。それでも少しヨシの方が身長が高い。馬覇羅謝の黒いエプロンが様になっている。

「あの店長は休み?」

「店長は俺だ。あの人は……亡くなった」

 レジカウンターに戻り、椅子に座るヨシ。筐体の鍵を引き出しにしまい、小学生たちの声で賑やかな店内に目を向ける。

「大翔と同じように俺も久しぶりに来た時、あれは進路に迷っている時だったか」

 当時、就職活動をしていたヨシは馬覇羅謝のことを思い出して今の俺のように店に行ったという。その時はまだあの店長は店に立っていた。だが、以前の元気は無かった。

「いろんな理由があったんだろうよ。一番はあの人の病気」

「それでヨシが店長に?」

「時代とともに、ゲームも変わった。スマホが普及しソシャゲができ、もっとゲームが身近になった。ゲームセンターに行かなくてもゲームができるようになった。まあ、ソシャゲと別物だけど。それも踏まえた上で、最初は店を閉めた方がいいって話した」

 でも、馬覇羅謝はヨシが引き継いで今も存在する。

「あの人だってわかっていた。自分のことだから、体の衰えも」

「そこまでして、あの人はこの店を守りたかった」

「思い出そうとしても、思い出せないんだと」

「何が?」

「だから、それが思い出せないんだっての。あの人は『大事なことを忘れている気がする』って言ってた。最期まで店を続けようとしたのも、その何かを思い出すためだったのかもしれないな」

 自分たちの携帯ゲームを持ち寄って、店内のテーブルでわいわいと騒ぐ小学生たち。

「てか、大翔。お前ってもう社会人だよな……今、何してんだよ」

「今、仕事を探し中」

「探し中!?」

 店中に響き渡るヨシの声。ゲームで楽しんでいた小学生たちの視線を浴びる。そこまで驚かなくても、ため息と肩が下がる。

「就職しなかったってことか」

「落ちたんだよ」

「何社受けたんだ?」

「一社」

「一社!?」

 また注目を浴び、恥ずかしくなる。ヨシは母さんと堺のように、もう聞き飽きた言葉を投げてくる。

「ずっと考えてきたけど、もういいんだよ。俺は天撰に入社できなかった」

「だから、のんきに外ふらついてんのか」

 レジカウンターから出てきたヨシは百円玉を俺に渡し、懐かしい格闘ゲームの椅子に座った。

「そっち座れよ」

 向かいにあるゲームに俺を促すヨシ。このゲームは対戦できるのだが、いい思い出は一つもない。年上のヨシに挑んで負けていた記憶しかない。それでも断る理由はなく、俺は椅子に座った。

「対戦するぞ」

「あ! 赤井がゲームするぞ!」

「さん付けか、店長と呼べ!」

 さっきまで自分たちのゲームに夢中だった小学生たちが、俺とヨシの周りに群がってくる。

 大学に入ってからもゲームはしていた。しかし、それは自宅でできるテレビゲームや携帯ゲームであって、しばらくこのゲームに触れていない。

「赤井は強いから。負けんなよ」

 小学生の言葉を聞く限り、ヨシは今でもこのゲームをやっているとわかる。てか、こいつらタメ口かよ。

「だから、さん付けか、店長と呼べ!」

「店長!」

 キャラクターの選択画面でよく使っていたキャラを選ぶ。道着を身につけた男キャラで一番使いやすかった。対して、ヨシはトリッキーなタイプのキャラを使う。

 バトルが始まり、スティックでキャラを動かしていく。ボタンを組み合わせてコンボを発動していく。攻撃をしながら、防御もする。

「ちょっとは成長したか」

 小学生の頃はひたすらに攻撃を放っていた。防御という概念がなかった。攻撃を与えることが勝利と思っていた。あれからいくつものゲームを遊び、攻撃がすべてではないと学んだ。

 攻撃、防御、攻撃、防御。自分の身も守らなければいけない。それだけでは勝てるわけでもなく。

 見事に負けてしまった俺は小学生たちのがっかりした声を耳にする。

「やっぱり、店長に勝てる人はいないのか」

「あーあ」

 俺は何をやっているのか。

 負けるとわかっていた試合をして案の定、完敗して。勝手に期待されて、がっかりされて。

 もう帰ろう。椅子から立ち上がる。

「ヨシ、久しぶりに会えて良かった。また」

 昔の友人に再会できた喜びの定型文を息を吐くように、口にしていた。正直なところ、いい気分ではない俺をヨシは引き止める。

「まだだろ」

「まだって何が?」

「終わってねぇよ」

 ヨシは顔の動きで椅子に座れと言っている。対戦は俺の負けで終わった。勝利したヨシがもう一回するぞ、と誘ってきた。弱い俺と戦って、ヨシは自分の強さを誇示したいのか。

「忘れたんだな、お前は」

「俺は何も忘れてない」

「いいや、忘れてるよ」

 百円玉をまた俺に渡してくるヨシ。

「忘れたって何がだよ!」

 つい、声を荒げてしまった。自分たちの世界に戻った小学生たちを驚かせてしまう。

「大翔、お前はまだ負けてないだろ。勝つまで諦めなければ、それは負けじゃないんだろ。そう、お前が言ったんだろ」

 その言葉に、すっかり消えてしまった俺の心に灯が宿ったような気がした。

 小学生の頃のお小遣いは百単位で当時、何回もゲームをプレイすることができなかった。駄菓子を買うなど他にも使いたい貴重なお小遣いを、俺はヨシに勝ちたいがために使っていた。

 その時も怒られたっけか、あの店長に。

 お前が持っているお金は、お前の親が汗水垂らして働いたお金だ。無駄使いすんじゃねぇ、と。

「そうだよ、やるよ。勝つまで続ける。勝てるまで諦めない。諦めない限り、負けはない」

 向かいの席で待機していたヨシは笑っていた。変な奴と思いながら、俺も笑っていた。

 また対戦を始めるも、やっぱりヨシは強い。倒され、倒され、俺は倒されまくる。

「この世にあるものは案外、一緒なのかもな」

「一緒?」

 俺はまた同じキャラを選択する。それはヨシも変わらない。ずっと同じ光景が続き、対戦しながらも話す余裕があるヨシ。俺は絶対に勝つと必死である。

「ただ攻撃するだけじゃダメだ」

「だから、ガードも必要なんだろ」

 ヨシの攻撃を防御する。

「大翔には足りないものがある」

「足りないもの?」

「相手を知ることだ」

 俺はいつも同じキャラを使っていると指摘される。対戦で勝つには、相手がどんな動きをするのか知る必要がある。ヨシはそう助言してきた。しかし、トリッキーなキャラは扱いが難しく、自分には合っていない。

「苦手なことから逃げるのか? 好きなこと、やりたいこと、得意なこと……だけ、できるなんて社会は甘くないぞ」

「社会って……すぐ馬覇羅謝の店長になったくせに」

「短い間だが、ここの店長になる前は会社員やってんだよ」

 言われた通り、俺はトリッキータイプのキャラを操作する。ヨシはキャラを変えてきて、次は俊敏性に長けた女キャラを使う。強い奴はどのキャラを使っても勝利する。理由はそのキャラがどう動くか――知っているからだ。コンボも繰り出してくる。

 ずっと負けているのだが、だんだんとわかってきた気がする。このキャラの動き、コンボ、技。心に灯った炎が燃え上がっていく。

 気づけば、周りに小学生たちが群がっていた。

「お前ら、もう帰れよ」

 時刻は午後五時を過ぎている。ヨシの言葉に、首を横に振る小学生たち。

「この人、店長に勝つかも知れないんだ」

 俺には岡辺大翔って名前がある。そう伝えると、小学生たちは「岡辺」と呼ぶ。

 呼び捨てかよ。にしても、懐かしい。このゲームセンターで、俺たちもゲームが上手い人のプレイを見ていた。今の小学生たちのように、目を輝かせた。

 勝たないとな。俺のために、こいつらの門限のために。

 やっぱり、俺は使い慣れた道着のキャラを選ぶ。ヨシはトリッキーなキャラに戻す。

 対戦が始まり、攻防が続く中、相手の体力ゲージが減っていく。この勝負、勝てる。そう信じて、コンボも発動する。そして、ついに――。

 小学生たちが盛大にはしゃいでいるのは俺がヨシに勝ったからである。今になって手の痛みを感じる。対戦を何回やっていたか数えていない。

「スゴい! 岡辺、スゴいよ」

「店長に勝ったんだ!」

 昔、一度も勝てなかったヨシに勝つことができた。胸の高鳴り、心が踊るこの感覚を久しぶりに抱く。

「大翔、人の根っこは変わらないはずなんだ。だから――」


 ―一度の失敗で腐ってんじゃねぇよ―


 あの時のヨシがそこにいた。


 久しぶりにゲームをして、楽しんでいた俺だったが現実に引き戻される。家の前に着くと母さんの顔が浮かぶ。問題は何も解決していない。現在無職の俺に母さんは不機嫌だ。でも、もう決まっている。俺は天撰に入社する。そのロードマップさえ、しっかりと伝えることができれば母さんも納得してくれる。

 玄関を開け、居間に向かうと深刻な顔をした母さんの姿があった。

「どういうことよ……」

 声のトーンが低かった。もしかして、将来についてだろうか。とにかく俺は訊き返した。

「美咲ちゃんの手紙がなんで、家に届くのよ」

 母さんの前にあるテーブルの上には封筒が二つあった。十年後の自分へと表に書いてあり、一つは俺のものだ。もう一つはいつも遊んでいた真田美咲さなだみさきが書いたもの。

 母さんが異常に顔を曇らせるのも無理はない。だって、美咲は一家心中で亡くなったのだから。

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