アイリス劇団と見習い剣士  ~ 大変なことになったと思ったら、にぎやかな人たちに拾われちゃいました ~

三原 耀

第1章 襲撃の夜に

第1話 襲撃の夜に その1

「クレア、早く立って。走れ、急ぐんだ!」

「お兄ちゃん、待ってよ」


 伸びた木の根が、森の中を走る僕たちの邪魔をする。今夜は明るい月夜のはずだけど、わき道に入れば枝が生い茂り、その光を遮っていた。足元は特に暗く、急げば伸び放題の木の根が容赦なく僕たちの足を絡め取ってくる。

 妹のクレアはまだ十歳。何度も転んでサイドテールに編み込んだ髪留めは外れ、顔は傷だらけだ。泣き出しそうなのを必死にこらえ、僕についてきている。


 クレアの手を取って立たせると、僕たちは薄暗い夜の山道を走った。


「クソガキども、早く逃げないと捕まるぞ。アハハハ!」


 背中の方から、ガラの悪い男たちの声。


 こんなところで捕まる――、いや、殺されてたまるか。せっかく、爺ちゃんたちが……。

 僕はすべてを否定するようにかぶりを振ると、クレアの手を強く握って走り続ける。


「お兄ちゃん、待ってよ。速いよ」

「バカ! 捕まりたいのか!」

「でも――、あっ!」


 また、クレアが激しく転んだ。

 逃げ込んだ森のわき道は荒れている。


 これ以上速くクレアを走らせるのは無理だ。だけど――。


 僕は爺ちゃんに持たされた短剣に目をやる。


 こうなったら――。


 短剣の柄を握ると、振り返る。

 走ってきた道の奥、その暗闇を見た。


 心臓の鼓動が早まる。


 今にも荒くれた男たちが現れそうだ。


 僕だって、爺ちゃんに剣を学んだんだ。


 不意に、少し前の光景が浮かんできた――。



  ×××



「この大陸に並ぶものなしと言われた、この私も……、ずいぶんと老いてしまったようだ……」


 重いロングソードを何とか構えると、爺ちゃんは肩を上下させて荒い息を整えようとした。

 行商で使っていた馬車は略奪の後に火が放たれて燃えている。取られるものは全て奪われた。だけど、それだけでは飽き足らず、盗賊たちは僕たちに迫り、手を緩める気配すらない。もう、残るものは僕たちの命のみ――。


 爺ちゃんは周囲から襲い来る連続攻撃を巧みな剣技でかわすものの、多勢に無勢。大勢の盗賊たちが放つ剣の圧力に押されている。年齢を考えれば驚異的だが、それも限界。


「爺さん、やるなぁ」


 へへへ、とリーダー格の盗賊が口の端をゆがめる。


「ただの行商のジジイじゃねぇだろ。昔は軍人ってとこか? しかも、そこそこ名も上げたんだろうな。今の時代じゃ、軍人崩れも多いが、一人でここまで耐えたヤツは初めて見た。行きの駄賃程度と思って襲ったんだが……、こんなに面白くなるとは思わなかったぜ。と言っても、これだけの人数を相手に、どれだけ持つかな」


 リーダー格の盗賊が前に出てきた。大柄なその男の体や顔には、多くの傷跡があり、無数の戦いを乗り越えてきたことを証明していた。その戦いが苛烈を極めたことは、左腕が失われていることを見れば一目でわかる。しかし、そのような状況にあっていてもなお戦いに身を置き、両手で持つはずの大きなロングソードを右手一本で軽々と扱っていた。


 爺ちゃんが負けたら、僕らは終わりだ。こんなヤツらにこのまま黙って負けるわけにはいかないんだ。


「僕も戦う!」


 剣を取り、僕は爺ちゃんを背に盗賊たちの前に立っていた。

 倒れてしまいかねない爺ちゃんを見て、思わず体が動いてしまっていたのだ。


「ダメだ」

「僕だって爺ちゃんに剣を学んだんだ! 見習いだって、こんなヤツら、僕なら――」


 爺ちゃんの言葉を振り切るように剣を構えると、盗賊たちに向ける。

 無茶なことは分かっている。だけど、僕にだって。


「おう、威勢がいいな。いいぜ、相手になってやろう!」


 突然、横なぎの一閃。


「うわっ!」


 あっけなく僕の剣は弾かれてしまった――。

 そのまま、棒立ちになる。


「ヘヘヘ、もう終わりかよ。ちょっとした余興にすらならねぇじゃねえか」


 盗賊が笑いながら、勝ち誇ったように切っ先を僕に向ける。


 何もできなかった。

 もう一歩、いや、半歩でも踏み込まれていたら、今頃、僕の首は――。


 急に恐怖に体が震えだし、気がつけば腰を抜かして座り込んでいた。


「小手先の技術は本当の強さではない。今は逃げろ、クリス。クレアを連れて」

 僕の後ろで爺ちゃんが、諭すように呟く。


 こんなに大勢いて、爺ちゃんが負けそうで、それなのに爺ちゃんたちを置いて、こんな状況で逃げられんのかよ。クソッ! まだ僕にだってできることがあるはずなんだ!


 こんな理不尽な現実を認めたくなくて、僕は歯を食いしばる。


「僕のは小手先なんかじゃ――」

「ダメだ! まだ早い! 見習いのお前には剣を握る理由がない」


 爺ちゃんは僕の襟首を持ってグイと後ろへ放り投げ、盗賊たちの前に出る。


「盗賊を倒す、それ以外に何が必要なんだよ!」

「目先のことではない。自らの切っ先が指し示すところ――。その覚悟が、そいつの最後の瞬間を決める」


 目先のことじゃない? 明日なんか無いかもしれないじゃないか。そんな先のことなんか考えられるか! まだやれる、やれるんだ。僕だって爺ちゃんと一緒に――。


 少し間をおいたかと思うと、爺ちゃんはいつも腰の後ろあたりに身に着けている短剣を外すと、目線だけを向けて僕の方へ放り投げた。


「――戦いは宿命なのかもしれん。これはお前のものだ。この短剣がお前の道を示すだろう。だが、飲まれるな。それに打ち勝つほどに強くなれ」

「僕だって、僕だって……」

 グッと手を握りこむ。


 そんな僕を見て、爺ちゃんは微笑みを浮かべる。


「時間とは常に足りないもなのだなぁ……。余生とは私にとって、単に残されただけの余りものの時間だとばかり思っていたのに。私の見習い剣士よ。行くがいい。これからがお前の戦いだ。クレアを頼む。さぁ、早く!」


 目の前のこの状況ですら、僕に剣を握る理由がないのなら、それこそ、そんな僕が生き残る意味なんかないじゃないか。


 返事をしようとするが、すでに爺ちゃんはもう僕の方を見ることなく、天を仰いで独り言のように話し出す。


「友よ……、もう、会えないと知ったときから、この世界を見とどけることも我が使命だと感じていた。だが、この老いぼれには、それも叶わぬようだ。であれば、この命、次の世代のために――」


 爺ちゃんはロングソードを右手で高らかに掲げる。そして、息を吐きながら腰を落とし、上段で構えた。


「覚悟が決まったようだな」

「それが待てるとは、盗賊にしておくには惜しいな。そなたも戦乱時代には、それなりの地位にあったのだろうな」

「へへへ、忘れちまったな、そんなこと。今は名もなき盗賊。爺さん、あんたも同じ、ただの商人なんだろ?」


 爺ちゃんは僕がこれまで見たことのない、嬉しそうな表情を浮かべる。そして、グイと剣の柄を握りこんだ。


「名乗る名は忘れても、語るすべは失っておらぬ。さぁ、来い」

「奇遇だな、俺もだ。それじゃ――」


 一瞬の静寂。


 そして、爺ちゃんと盗賊のリーダーが同時に踏み出した。


 急激に間を詰める二人。


 交錯する刃。


 飛び散る血しぶき――。


 爺ちゃんが肘をつき、倒れこんだ。


「二人とも、早く逃げて!」


 盗賊たちを押さえようと婆ちゃんが飛び出す。

 だが、そんな婆ちゃんも周囲の盗賊にバッサリと切り捨てられた。


 これは爺ちゃんと婆ちゃんが作ってくれた隙だ。目先じゃない何かが僕にあるんなら、探してやろうじゃないか!


 僕は立ち上がると、爺ちゃんが僕に投げてよこした剣を取る。

 そして、怯えるだけだったクレアに目をやった。


「おい、ウサギ狩りの時間だ! お前ら、手土産を取りこぼすんじゃねぇぞ!」


 大柄の男の掛け声に、ニヤニヤと笑う周囲の男たち――。


 クレアの手を取ると、夢中になって走り始めていた。

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