第49話 魔女の気持ち

「……今日も帰ってこない」


 戦争が終結してから五日後の朝。レティシアは死塔の扉を開けて呟いた。

 そこにシンの姿はない。


「……はぁ」


 レティシアの口から無意識のうちにため息が溢れた。

 シンと戦場で別れてから毎朝このように確認しているが、彼は帰ってこない。


「……おそい」


 すこしだけ頬を膨らませながら、レティシアは死塔の扉を閉める。バタンと大きな音が死の森に響いた。


 そして次の日も、そのまた次の日もシンは帰ってこなかった。


「……むぅ」


 シンと別れてから七日後の朝。

 レティシアは日課となってしまったを終え、自室に戻った。

 普段は立てない大きな足音を響かせながら、いつも座っている椅子へと向かう。そして音を立てて座った。

 木製の椅子がギシリと軋む。


 レティシアの表情には不機嫌さが滲み出ていた。

 いつもなら魔術や呪いに関しての研究を行うところだが、とてもそんな気分にはなれなかった。


 ……なんか。……むかむかする。

 

 レティシアは心の熱を冷ますように大きくため息を吐く。そして椅子の背もたれに身体を預けた。

 すると、なぜだか部屋が広く感じた。


 ……あれ? ……こんなに広かったっけ?


 何も変わっていない、いつもの部屋。

 魔術や呪いに関しての書物が乱雑に積まれており、机には研究のメモがある。窓の前にも本が積み上げられている為、部屋の中は薄暗い。

 光源は机の上でゆらゆらと揺れる魔術の光だけだ。


 ……ううん。……変わってる。


 シンがいない。

 レティシアがシンと出会ってから一緒に過ごした日々は短い。たったの数日だ。

 だけどその時間はレティシアにとって、かけがえのない物となった。初めて孤独ではなくなったのだ。

 だからこそ、再びの孤独に耐えられない。

 レティシアは今、本当の意味での孤独を知った。


「……さみしい」


 無意識のうちに溢れ出た言葉。

 その言葉にレティシアはハッと目を見開き、身体を起こした。


 ……さみ……しい?


 初めから孤独だったレティシアには「寂しい」という感情はわからない。本で読んで知識として知っているぐらいだ。

 だけど、その言葉が妙に腑に落ちた。

 そしてレティシアはあっさりと自分の気持ちを認める。


「……そっか。……わたしはさみしいんだ」


 しかし認めたところでシンが帰ってくるわけではない。

 レティシアは再び背もたれに身体を預けると、大きなため息を吐いた。


「……早く帰ってきて。……シン」


 しかしその後、二日経っても三日経ってもシンは帰ってこなかった。




「……まだ帰ってこない」


 レティシアは死塔の扉を開けて呟く。そして早々に扉を閉めた。


 ……なんで?


 死塔の階段を登りながら、レティシアは溢れ出しそうになる涙を堪えた。

 するとレティシアの心を支配したのは不安だ。

 そして脳裏に過った言葉は死――。


 レティシアは心臓が脈打つのを感じて足を止めた。

 震える身体を抱き締めるようにしてしゃがみ込む。


 ……そう……だ。


 なぜ今の今まで忘れていたのだろうとレティシアは後悔した。

 そもそもシンの目的は死だ。死ぬ為にこの死塔へと送られてきた。

 

「……どう……しよう」


 震える指先が宙を彷徨う。

 今すぐに駆け付けたい。その一心で指先に魔力を集める。しかしその光はすぐに霧散した。


 ……だめ。


 転移魔術のあるレティシアならばすぐにシンの元へと駆け付けられる。しかし駆け付けた瞬間、王国には悲劇が訪れるだろう。

 レティシアはこの瞬間以上に、死の呪いを忌々しく思ったことはなかった。

 

 ……なにか……方法は……。……あっ。


 レティシアはすぐに魔術式を記述した。

 もちろん転移魔術ではない。シンに渡している指輪から位置座標を取得する魔術だ。


 レティシアの頭の中に情報が浮かび上がる。

 そしてその値を見て、レティシアはホッと息を吐いた。


 ……よかった。……動いてる。


 シンの位置座標は変動していた。

 指輪はシンにしか反応しない為、値が変動しているということは生きているということだ。


 ……でもそうなると、なんで?


 生きているのはわかった。

 だけどそうなるとなぜ帰ってこないのかが気になる。


 ……もしかして。


 レティシアは一つの可能性に思い至った。

 シンは騎士だ。

 もし何か心変わりが起きて、死ぬ事をやめたのならば騎士に戻る可能性は十分にあり得る。

 

 なにせシンに罪はない。

 全ての罪は呪術師である黒鉄の魔王が配下、ゲーティスにある。シンは自分を責めているが、それだけは変わらない。

 

 それに実際、狂化の呪いを経験したアリシアならばシンの罪を晴らそうとするはずだ。レティシアはそう考えた。


 ……うぅ。


 その時、レティシアはシンとアリシアが戦場で親しげに話していた光景を思い出した。

 

 胸がギュッと締め付けられる。

 レティシアはこの気持ちに心当たりがあった。戦場でも感じた気持ちだ。仲良くしているシンとアリシアを思い出すと胸が苦しくなる。


 ……王国でも一緒にいるのかな?


 一緒にお出かけしたり、ご飯を食べたり。

 そんな想像が浮かんでは消えていく。その度に胸が締め付けられる。

 やがてレティシアの目から透明な雫がこぼれ落ちた。


 ……これ……は。


 頬を伝った雫をレティシアは指で掬い上げる。


 ……そう……か。……わたしは――。


 レティシアはようやく自分の気持ちに気付いた。


 ――わたしは、恋をしている。

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