第3話:吐き出したい思いを飲み込んで
建物前の陣地を制圧した俺たちは、突入のために扉付近の壁に張り付き、様子を探る。だが、内部からは不気味なほど反撃の気配がない。それどころか、何やらうめき声が聞こえてくる。
俺は
そこには、まだ晴れぬ土煙の中で倒れてうめく、王国兵の連中だった。突入時にばら撒いた弾が当たったわけではないようだ。どうも、出入り口を吹っ飛ばした時の破片にやられたらしい。
「ディップの仇!」
ノーガンが、
「やめろノーガン!」
「ですが隊長!」
「そいつらはただの下っ端だ! それにそいつらがディップを拷問したわけでもないだろう!」
俺は階級紋章のある男に
『「
『こ、「甲標的」? なんの話だ?』
『俺の指は実に軽く動いてな?』
耳元で、あえて一発、
『ヒッ……⁉︎』
『こんな具合だ。今ここに限っては、正直な方が長生きできそうな気がするぞ? もう一度聞く。「甲標的」、もしくは「ゲベアー」と呼ばれるものを知らないか?』
『 ほ、本当に知らない!』
『類似する名称の武具、もしくは資材は?』
『知らない! 知らないものは知らない!』
本当なら痛めつけるようなやり方はしたくないが、腕の一本くらい吹き飛ばしたほうがしゃべり出すだろうか──そう思い始めた時だった。
「おじさん」
エルマードが、男の前にしゃがみ込んだのだ。舌足らずな王国語で、話しかける。
『おじさま、ボク、知りたいことがあるの。教えて?』
『な、なんだこのガキ……は……?』
『おじさま、ボク、知りたいことがあるの。教えて?』
エルマードの問いに、男はにらみつけていた目が徐々にうつろになっていく。
『……ああ。ここは、最終工程基地……。
『
俺とエルマードは、顔を見合わせる。
『お前たちの他に、警備要員はいるのか?』
聞いてみると、他にはいない、と首を振った。俺たちの襲撃を察知して、全員がこのフロアに集まってきたらしい。あまりの素人対応に、ため息が出る。攻略は楽だが、こいつらが大した訓練を受けていなかったことを改めて感じた。
『……よし。その
『おじさま、お願い』
男はフラフラと立ち上がると、おぼつかない足取りで歩き始める。外傷は見られなかったが、どこか打撲による負傷を負っているのかもしれない。
「ロストリンクス、ノーガン! そいつらの監視を頼む! いいか、無抵抗である場合に限り、あくまでも人道的に対応しろ。もし抵抗するそぶりを見せたら、速やかに
「
ノーガンの返事に、王国兵どもから悲鳴が上がる。よし、これで血も涙もない征服者が演出できた。頼むから暴れてくれるなよ? いくらロストリンクスが
どこか目がうつろな男に案内されて通された部屋で、エルマードは口を覆い、そして嘔吐した。俺も、もう少しでそうなりかけた。ならなかったのは、似たようなニオイに彼女よりも慣れていたから、というだけだろう。
濃厚な、血と臓物の臭気。腐敗臭。
今まさに、豚のようなものを解体している真っ最中……そう言われたら直ちに納得しそうな、そんな惨状が目の前にあった。
『動くな!』
俺の怒鳴り声に、肉塊から手を引き抜こうとした白衣の男は、そのまま固まる。他にも、白衣を着た男が何人もいた。
『おい!
『わからない……
『一体これは、なんなんだ!』
『
丸太……丸太だと⁉︎
テーブルの上に転がっている、腕も脚もない、かつてヒトだったモノ。
すでに肉塊と成り果てたそれが、
こいつが……こいつらが!
こいつらが、こうやって、女たちを解体して、箱詰めにしていたっていうのか!
俺の婚約者──ミルティも、こうやって……ブタか何かのように解体されて箱詰めにされたっていうのか!
胸を焼くような、全身の血が沸騰するような、怒りと、そして──奇妙な高揚感。
一人残らず生かしておいてなるものか──その激情の中、まぶたの裏で星が瞬くような、何か。
「だめ! ご主人さま、やめて……!」
気がついたら、エルマードにしがみつかれていた。
「──エル?」
エルマードが、泣きじゃくっていた。
そして、知った。
自分の指が、
目の前に、血まみれの男が転がっているということを。
「ご主人さま、もうやめて……! そのひと、もう、死んでるよ……!」
全く記憶がない。
俺がやったことの、記憶が。
さっきまで案内させていたこの男を殺したのは、俺なのか。
いつ引き金を引いた?
撃ち尽くすまで俺は、この男を撃ち続けたのか?
「……ご主人、さま……?」
「……なんでもない。すまなかったな、エル」
俺はエルの耳元でそっと言う。
震えながらも小さくうなずいたエルの頭を撫でる。
柔らかい髪のふわふわな感触に、いくばくかの落ち着きをもらった気分になる。
だが、その髪に、血の斑点がついている。
おそらく、男を撃ち続けた俺を止めようとした時についたのだろう。
一瞬の嘔吐感。
だが必死にこらえ、平静を装って部屋の男たちに
男たちが息を呑んだのが分かる。
「お前たちに聞く。これはなんだ。
「お……
「オツシュ」「マルタ」……!
丸太だと? あくまでも「丸太」だと言い張るのか⁉︎
こいつらは、人を、なんだと思っているんだ!
「し、仕方がなかったんだ! 言うことを聞かなければ、我々も……!」
言い訳を始めた男の言葉を聞いて、俺はようやく気がついた。
こいつら、ネーベルラントの言葉を、ごく当たり前に使っている。
そう。
「お前ら……! 自分の国の女をこんな
「だめ、だめだよご主人さま! お願い、ご主人さま、やめて! ボクらの目的は、無用な殺しじゃないんでしょ⁉︎」
「放せ、エル! こいつらのやったこと、やっていることを誅することは無用な殺しじゃない! 断じて違う! こいつらこそ処断すべきなんだ!」
「違う、違うよ、ご主人さま! この人たちだって、ボクのお世話をしてた人たちと同じで……!」
エルマードの言葉に、俺は彼女が生きてきた境遇を思い出した。
それが彼女の所属した部署──彼女をはじめとした、
それが、ネーベルラント国王軍所属、
「ボクも、きっとそこで『丸太』って呼ばれてたと思うもん」
「本当か?」
「面と向かって言われたことはないよ? でも、ときどき、ぼそぼそって、『丸太何号がどうの』……そんな話が聞こえてきたことあったから。そのときは意味なんて分からなかったけど、今なら分かるよ。あの『丸太』って、きっとボクたちのことだったんだよ」
「……お前はそこで、重要な存在として扱われていたんじゃないのか?」
「大事にはされていたと思うよ? ……今から思えば、『家畜』として、だと思うけど……」
さらに胸糞悪くなる。
俺は、この少女を実験用の「丸太」「家畜」扱いしていた国を祖国と仰ぎ、その国のために命を捧げる──そんな覚悟をしていたというのか。
いや、なにを今さら、だ。俺は、自分自身の婚約者を実験動物として解体し、実験し、あまつさえ「良好な素材」と見なしていたような、そんな国に命を捧げていたのだから。
「アインさまだって、命令があれば、戦ったんでしょ? ……その、人だって、殺したんでしょ? 同じでしょ?」
「違う! 俺は騎士だ、卑劣な行いはしなかった!」
「……ボクは、ご主人さまを責めようなんて思ってないよ。でも、命令だからやった……そこは同じだって、ボク、思うの……」
辛そうに顔を歪めるエルマードの言葉を、俺はさえぎらざるを得なかった。そうしなければ、自分が保てなかった。
「エルマード! 虫も殺せないような顔をしているお前に何が分かる!」
彼女は、獣人に姿を変えて戦ったとき、圧倒的な強さを見せながら、殺すようなことはしなかった。あくまでも体当たりや殴打によって無力化するだけだった。
殺しはしない……いや、できないんだ。そんな奴に──
「ボク、……分かるよ。だって、ボク、ひとごろしだもん」
「お前に騎士の何が……なん、だと……?」
エルマードの言葉が、うまく飲み込めなかった。
彼女が、人殺し?
「言ったでしょ? ボク、どろぼうさんと一緒に暮らしていたことがあったって。賞金首を何人もやっつけたって」
……確かにそう言っていた。だがそれは、彼女を囮として使って油断させ、殺し自体はその泥棒野郎が行ったのだと……。
「ううん……ボクがころしてきたの。そのひとたちを。いっぱい」
衝撃だった。
こんな、天真爛漫な少女が、賞金首を殺害してきた……だって?
「上手にひとを死なせる方法、いっぱい教わって。みんな、ボクを目を合わせると、怖がらなくなるの。だから、すぐ上手になったの。するりとナイフを刺し込んで、こう、心臓をね……」
俺は、口がきけなかった。
俺の目は節穴だった。
こんな少女が人殺しなど、できるわけがない──そう思い込んでいた。
「ボク、だから、そんなことしなくてもよくなって、すごく、ホッとしてた。でも、
だからほんとは、知られたくなかったの──そう言って、エルマードは微笑んだ。どこまでも、悲しげに。
「ほんとは、ご主人さまには知られたくなかった。ご主人さまが、無用な殺しはダメだって言ったとき、ボク、うれしかった。でも、今は違うから……。ご主人さまが苦しんでるのに、ボクだけ何も知らない顔してるの、いやだったから……」
そして、告白したのだ。
収容所を脱出したころ、非常警戒線で、俺たちの目の前で、何者かによって、背後から正確に心臓を貫かれて死んだ、二人の王国兵。
あのとき、エルマードはトイレに行くと言っていた。
なんのことはない、彼女はそのまま、トイレに行くふりをして、二人を始末してきただけだったのだ。
「どうして言わなかったかって? ……女の子がそんなことしてるなんて知ったご主人さまから、嫌われるかも……そう思ったら、そんなこと言えないもん……」
……ああ!
だからあの時彼女は、自分が片付けたと言わず、あくまでも「トイレに行ってきた」ふりをしてみせたのだ。
その、彼女がどうしても隠しておきたかったことを言わせたのが、俺なのだ!
俺こそ騎士の務めと称して戦い、そして、殺してきたのに……!
歯を食いしばり、俺は吐き出したい思いを飲み込んで、改めて彼女の頭を撫でる。
ふわふわの髪が、心地よかった。
無理矢理、笑顔をひねり出す。
「……分かった。エル、お前の言う通りだ」
人が知られたくないものなんていくらだってある。
俺は騎士だから、戦場での成果を誇るようなこともあったけれど、それは結局、人殺しに過ぎないのだ。
いや、それを今さら後悔するようなことはない。俺は俺の責務を果たすために必要なことをしただけで、無用な犠牲を強いたつもりもないし、するつもりもなかった。それだけは、胸を張って言える。
いや、だからこそ、エルマードは、激情に駆られて、「無用な犠牲」を作り出そうとした俺を、止めてくれたのだろう。自分の、隠しておきたかったであろう過去を、引き合いに出して。
俺は、白衣の男たちに集まるように言った。もちろん、妙な真似をしたら射殺するとは宣言しておく。
「秘密を守り抜いて国に殉じたい奴は今すぐ射殺してやる。だが、このくそったれな仕事をくそったれだと思うなら、お前たちがやっていたことを洗いざらい吐け。そうすれば、命の保証はしてやる」
すでに射殺してしまった王国兵を指差しながら、俺は改めて二択を突きつけた。
白衣の男たちは一瞬だけ顔を見合わせたが、我先にと口を開き始めた。
その、余りにも恐ろしく、凄惨な実験の内容を。
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