第1話:未来につなげる、最初ののろし

「アインさま──ご主人さま! もうすぐ崖だよ!」

「ああ、分かってる」

『すばしこい奴らめっ! 逃がすな、追え、追えーっ!』


 「ゲベアー計画」に関する情報の奪取と、捕らえられたであろう仲間──ディップの救出のために、研究施設となっていた古城に潜入したのは数日前。

 俺たちは古城を脱出したあと、王国兵どもの執拗な追撃をかわしながら、ある目標地点に向けて走っていた。


「エル、心の準備はいいか!」

「うん!」


 パン、パン!

 王国兵どもの制式装備であるリエンフィールズ歩槍ゲヴェアが放つ発法音はっぽうおんが、背後から断続的に響く。近くの木の幹がバシッと音を立ててえぐれる。


「さあ、来やがったぞ! エル!」

「はあい、ご主人さま!」

『いたぞーっ!』

『馬鹿な奴らめ、そっちは滝つぼだ! 回り込め、追い詰めろ!』


 王国語の叫び声が聞こえてくる。

 どうやら俺たちは追い詰められた・・・・・・・らしい。

 言われなくとも、ゴウゴウという水のとどろきが空気を震わせているのは分かる。


「……だってよ? どうする?」


 俺はエルマードに笑いかける。エルマードも微笑みを浮かべて、俺と共に崖のふちに立った。


「ボク、ご主人さまとどこまでも一緒だよ」

「ああ、エル。どこまでも一緒だ」


 俺は、エルマードの小柄な体を抱きしめた。

 エルマードも、俺にしっかりとしがみつく。

 唇を強く重ね合うと、崖から身を躍らせる。

 滝つぼに向かって、かたく抱きしめ合って。




 俺の婚約者も犠牲となった、恐るべき事業「ゲベアー計画」。

 大地がゆっくりと生み出す魔素マナに代わって、ヒトが生み出すチカラ「錬素オド」を効率よく戦争に利用するため、適性をもつ女性の四肢を切断し箱に詰め込んで、「代用魔素マナ」の生産機械として加工した道具が「ゲベアー」だ。


 その研究を粉砕するための手がかりを得るために、研究機関が利用していた古城に潜入して脱出してから、すでに十日余り。

 王国兵の追跡から逃れるのに時間を要した俺たちは、以前、根城にしていた山小屋にようやくたどり着いた。


「誰もいないね……」


 大回りをしてやっと辿り着いた小屋は、もぬけの殻となっていた。暗い森の中に佇む誰もいない小屋の中をのぞき見て、エルマードが恐る恐るといった様子で俺を見上げた。

 月明かりの中、泥だらけの疲れ切った彼女の顔。本来、ややくせっけのあるふわふわな金色の髪は、泥にまみれ枯れ葉が絡まって、くしゃくしゃだ。


「そうだな……。俺たちの脱出が遅れたから、場所を変えたんだろう。この隠れ家が発覚した恐れもあるからな」


 王国の連中も馬鹿ではない。俺たちを探して山狩やまがりをしたはずだ。もちろん、部下たちもそれを考慮して、この家を離れたに違いない。


「……やっと寝れると思ったのに、また逃げなきゃいけないの……?」

「捕まったら捕まったで、開き直るか? エル一人なら、逃げられるだろうし」

「そんなこと、言わないで? ボク、もう、一人ぼっちなんて嫌だよ」


 ぎゅっとしがみついてきた彼女の腕に、力が感じられない。よほど疲れ切っているのだろう。

 慎重に小屋に入ると、罠らしいものはなかったが、あちこち踏み荒らされたような跡が残されていた。


「わっ……ベッドが穴だらけ……!」

「誰もいないかどうかを確かめたんだな」


 薄汚れた毛布には槍刃バヨネットで突き刺した跡が幾つもあり、ベッドからは、中のわらが飛び散っていた。やはり、ここまで捜索の手が伸びていたらしい。


「争った跡も血痕もなく、ベッドに刃を突き立てた跡があるということは、無人の小屋の中で、それでも誰かが潜んでいないかを確かめたということだろう。ま、つまり見つからなかった、ということだな」

「そっか……みんな無事なんだね」


 胸を撫で下ろすエルマード。もちろん、「争うことなく投降した」という可能性も否定できなかったが、それはあえて言わずにおく。彼女に余計な心配をさせたくなかった。


「それに、一度見に来たということは、逆に言えば、しばらくここに王国兵が来る心配はないということだ」

「……そう、なの?」

「エルなら、一度探したところを、何度も探しに来たいと思うか? この広い森の中で」


 俺の言葉に首をかしげたエルマードは、苦笑いを返す。


「そうだね、ボクもしばらくはいいかなって思っちゃうかも」

「そういうことだ」


 エルマードがほっとした表情で、ベッドに腰掛ける。彼女の隣に座ると、俺はその小柄な体を抱きしめた。


「……ご主人さま……?」

「しばらく休もう。あれからずっと逃亡生活で、まともに寝ていないんだから」

「……うん」


 穴だらけの毛布をかぶると、彼女を懐に抱いたまま、俺は横になる。


「……ご主人さま、あったかい」

「エルも、あたたかいな」


 身じろぎした彼女は、もぞもぞと動いて俺と正面に向き合うように位置を変えて、微笑んでみせた。


 その神秘的な青紫の瞳が、やけに大きく感じられて──

 襲いくる睡魔で泥のように眠ってしまう前に、彼女を抱きしめる。そのぬくもりを少しでも堪能するために。




 仲間たちと合流できたのは、それからさらに四日後のことだった。

 屋根に大穴の空いた廃屋の中で潜んでいた仲間たちと、そしてディップの姿を見て、俺は言葉を失った。エルマードもショックを隠しきれない様子で、目を逸らす。


「ディップ……」

「へ、へへ……。ダンナのこと、もう笑えませんや。ダンナをおちょくるの、楽しかったんスけどねえ」


 俺の脱出のために敵を引き付けて居残った彼は、ひどく憔悴した顔で、ディップは、それでも軽口を叩いてみせる。

 

 その左手は、わずかな布を巻きつけられてはいたが、酷いありさまだった。

 そして、右手は──


「おかしいっスよね、どっかに、落っことして、来ちまったんスよ……」


 肘から下がなくなっていた。

 損傷が酷すぎて切断した──治療に当たったハンドベルクが言っていた。残された左手も、爪という爪は針を差し込まれたうえで剥がされ、しかも全ての指がおかしな方に曲げられていたという。


 体のあちこちは酷い火傷でただれており、肉をえぐり取られたような傷が無数にあった。耳はひどい形に削がれ、片目も失われていた。


「ダンナ、おれっちもダンナと同じでさ。王国のクソ野郎どもに、家族をなぶりものにされて殺された復讐者──その意地があるんスよ……」


 ディップはそう言って、苦しげに笑ってみせる。

 俺と同じ──ディップの言葉が重い。

 彼はかつて、姉を王国兵のなぶりものにされたうえに殺された、苦い経験を持つ。

 俺の婚約者が、王国兵に拉致され「ゲベアー」として利用され、人としての尊厳を奪われたであろう末路と重ねたのだろうか。


「おれっちはもう、ダンナにはついていけないスけどね……。でもこれは、ダンナの恩に報いるために、おれっちが選んだ道なんスよ」


 ディップは、不敵に笑ってみせた。「まだっスよ。まだヤれるっス。おれっちにはまだ、この命が残ってるんスからね」




 エルマードが鍋を掻き回しているのを見ながら、俺は数日前に別れたディップとドルクとのことを思い出していた。拷問によって戦う力を失ったディップの世話を、ドルクが面倒を見る、と言い出したのだ。

 ──いつかオレっちの耳にも、例の計画をぶっ潰したって話が届くの、期待してるっスよ、隊長。

 ディップたちと固く手を握りかわした感触は、決して忘れない。


「みんなー。スープできたよ! ……たぶん」


 彼女の「できた」は怪しい。先日は、かじるとガリガリと鳴る芋を食わされた。エルマードの料理の腕が壊滅的だってことは、その時に知った。だが、なぜか彼女は炊事当番をやりたがる。謎だ。


「どれ……」


 俺は鍋から一つ、芋を取り出してナイフを当ててみた。驚くほどすんなり刃が通る。初めてのときの生煮えとはずいぶん違うようだ。


「ついにまともに煮炊きできるようになったか?」

「ぼ、ボクだって女の子だもん! お料理くらい、できなきゃって……!」

「分かった分かった、偉い偉い」


 芋のかけらを口に放り込むと、味はともかく、口の中でほろりとほどけるような感触。うん、悪くない。


「……まあ、美味いかな?」

「ほんとう⁉」


 飛びついてきた彼女のふわふわな金色の髪を、くしゃくしゃっとなでてやる。もっとほめて、と言わんばかりに顔を上げて目を細めるエルマード。


「……犬だな」

「犬じゃな」

「犬だね」


 ノーガンもハンドベルクもフラウヘルトも容赦ない……が、確かに犬だな。


「ぼ、ボク、犬じゃないもん! 狼だもん!」


 顔を赤くして抗議するエルマードの頭を、もう一度くしゃくしゃとなでる。


「さあ、焚火を消せ。食ったら移動だ」




「隊長、あれです」


 フラウヘルトが、狙撃用のスコープで眼下の施設を覗きながら言った。

 今回の襲撃目標は、レンガ造りの古い建物だ。前もそうだったが、王国の連中は、よくよくこういう建物を接収しては使い回すのが好きらしい。高い塀に囲まれ、出入り口は格子門のついた正面のみ。

 正面出入口の前、それをはさむように角にそれぞれ土嚢陣地が作られている。だが遠目に見ても急ごしらえの雑な作りで、本格的な襲撃に耐えられそうには見えない。


「塀の出入り口はスカスカな鉄の格子門でなんの守りにもなってねえ上に、こんな片田舎であんなあからさまな警備陣地。連中は馬鹿なのか? ここに大事なものがありますよって、宣伝してるようなもんじゃねえか」

「さあね。でも万が一のことを考えたら、警備せざるを得ない連中の事情も察してやりなよ。後生大事に女たち・・・を抱え込んでるんだからさ」


 ノーガンが鼻で嗤い、フラウヘルトは肩をすくめてみせる。


「出入り口の周囲を固める土嚢どのう陣地のうち、突出する中央がヴェスプッチ合衆国製のブローニングM919、左右にアルヴォイン王国製のヴィッカース・ベルチェー。どれも機械化マシーネン歩槍ゲヴェアで景気がいいし、見た目の守りだけは固そうなものだけれどねえ」


 まるで女を品定めするかのような──それこそ奴らしいが──軽い口調のフラウヘルトに、俺は苦笑しながら返す。


「わざわざ合衆国製の機械化マシーネン歩槍ゲヴェアえて守っているんだ、何かしらの意図は当然あるだろう。それをぶっ潰しに行くっていうのも、なかなか楽しいことだな」


 俺の言葉に、ノーガンが「隊長が面白がってるぞ。これはまた、面倒なことになりそうだな」と、手のひらに拳を叩きつけるようにして笑ってみせる。斬り込み組として、実に頼もしい奴だ。そして、そんなノーガンをロストリンクスが鼻で笑い飛ばす。


「お貴族さまってのは下々の者が不安にならんように、常に笑ってみせるのさ。隊長を見ていれば分かるだろう? だが隊長。機械化マシーネン歩槍ゲヴェアが三挺もあるとなると、なかなか厄介ですな」

「ああ。だが、やるしかない。装甲馬車が出入りしたってことは、俺たちの目的に関係する可能性があるわけだからな」

「『甲標的ゲベアー』があの中にある……ということですかい?」

「ああ、その通りだ」


 うなずく俺に、皆もそろってうなずく。


 「ゲベアー」という兵器に「加工」され女性たちを、戦争に利用される前に「生き終わらせる」こと。それを生み出した悪魔の研究を、この地上から消し去ること。それが今の、俺たちの目的だ。

 今夜は雲が月を覆い隠していて、実に襲撃に都合がいい。


「そろそろ、連中の定期便の馬車が到着するころだ。そいつを利用させてもらう。フラウヘルトとハンドベルクは、狙撃班として俺たちの突入までを支援。ロストリンクス、ノーガン、エルマードは、俺と共に迂回して連中を挟撃きょうげきする。さあ、行くぞ!」




 定期便の馬車が一台、開かれた門の奥に入ろうとしたときだった。

 警備陣地から聞こえる悲鳴と、遅れて聞こえてくる発法はっぽう音。

 フラウヘルトとハンドベルクの狙撃が始まった。それを合図に、俺たちも前進を開始する。


「ふんッ!」


 奴らの混乱に乗じてノーガンとロストリンクスがぶん投げた、工作兵ハンドベルクご自慢の、爆炎術式を刻印した手製の手投げ榴弾りゅうだん


 ドゴォオオオオンッ!


「ぎゃああっ!」


 積み上げられた土嚢どのうを揺るがし、馬車の車輪を吹っ飛ばす、派手な爆炎が巻き上がる!

 まずは、もっとも厄介と思われるブローニングM919機械化マシーネン歩槍ゲヴェアの陣地を無力化し、そして馬車を擱座かくざさせて門の開閉を不可能にするためだ。


 吹き飛んだ連中は地面を転げまわるようにして、必死に火を消そうとしている。

 即座にブローニング陣地に突っ込むと、榴弾りゅうだんの爆発で崩れかけの土嚢の陰に身を隠しながら、ヴィッカースを装備した両端の陣地に向けて射撃を開始!

 さあ、派手にやってやる! これが俺たちの未来につなげる、最初ののろしだ!


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