大会議。

 ――北方送りになった領主が帰ってくることは、ない。


 まだうら若いゼニエルなどは知らないかもしれないが、長く生きていれば、たとえ政治などに興味が持てなくても噂程度に耳にすることはある。


 あの土地を収めるのは貴族や国ではない。

 そこは、余人には知れぬ裏社会である。独特の力学が働き、思惑の線が絡み合い、そして誰かがその責任をとらされる。

 

 

「……ああ、今日は買い出しに行かないとねえ」


 シラベリエとゼニエルに別れを告げ、キヨは市場に向かった。

 会社帰りのサラリーマンや主婦を尻目に、エコバッグを手にした彼女はずんずんと進んでいく。


「お、キヨさん! 今日はトマトが安いよ!」


 なじみの八百屋に「ごめんなさいねえ」と拝むようなジェスチャーを送り、やがてキヨはとある肉屋の前に立った。

 ショーケースには空の銀トレイと「コロッケ300円」などの文字が空しく並ぶばかりであり、ともすれば閉店しているようにも見える。

 事実、客が訪れている気配はない。

 

 だが、キヨは引き戸を引いた。


「……らっしゃい」


 薄汚れたエプロンを着けた男に、キヨは穏やかに告げた。


「鳥の軟骨が少々要るのだけれど」


「どう炙るのがお好みで?」


「煮込むといい出汁が出るのよ」


「…………」


「冷凍品をお願いできるかしら」


 店主と思しき男は無言で立ち上がると、カウンターの扉を開けた。

 キヨは店の奥に設置された地下に向かう男の背に続いて、『特別冷凍室』と書かれた扉の前に立った。


「……ボス」


 階段を降りきった先。

 そう囁いてキヨを振り返った男は、見るからに挙動不審だった。


「すんません、あの、俺……先週入ったばっかで……。あの、ボスの顔を初めて見たんで……」


「ええ、ええ。あなた、きっと誰かと勘違いしてるようね」


 キヨは開けはなたれた半地下の外に目をやってから男に目を戻し、にっこりと笑った。


「私はただのお客さん。

 店主ボスはあなたでしょう?」


「そ……そうで……そうだ」


 自分の失態を悟って青い顔をし始めた男に構わず、キヨは手を扉にかける。


「あの、ボ……いや、あんた。

 中は注意してくだ……しろよ。その、死ぬほど寒いから――」


「大丈夫よ。

 ……おばちゃんっていうのはね、暑いのも寒いのもよく分かんないの」


 キヨはニッコリと笑って、無詠唱で防御魔法プロテゴを自身に付与した。

 

 足を踏み入れた二重扉の向こうは、凍った精肉が吊されている。仮に何の魔法的防護をしていなければ、一瞬で全身が凍結してしまう魔術が空間に満たされていた。


「よいしょ、と」


 キヨは一際大きな牛肉に塞がれた扉を開ける。


 その先に広がっているのは、打って変わって清潔な白い廊下だ。

 

 数十歩進んで、彼女はぴたりと立ち止まる。


「――会議室へ」


 目的地を口にすると、キヨの足元が一瞬だけ発光し、彼女の身体を転送させた。


 やがて目を開けると、そこは長机と椅子がいくつか置かれた無機質な部屋である。


「お疲れさまです、ボス」


「ボス、久しぶりー」


 すでにそこにいた老若男女が、口々にキヨをボスと呼んだ。

 キヨは鷹揚に手を挙げることでそれに応えると、傍に居た女性から差し出されたタバコを咥え、吸った。


「――さて。

 全部門の代表諸君。集まってくれてありがとう。

 では、さっそく報告をもらおうかしら」


「はい」


 怜悧な顔立ちをした少女が、すっくと立ち上がる。


「三日前にボス――キヨ様から急遽招集を受けた我々盗賊ギルド“銀狼団”部門は、指示通り馬車を転覆させ、中に居たゾルガタ・ボンダンドール、および彼の奴隷を救出しました」


「……ちょっと良いかしら。

 我々がやったのは救出ではなく、襲撃よ」


 表情は穏やかだが、その口調は確かに鋭かった。


「彼は今回のことを仕組んでいないし、誰かにそう頼みもしなかった。ゾルガタ様は死ぬと分かっていても、それが自分のやるべきことだと覚悟して北方行きの馬車に乗ったのよ。

 その馬車が襲われ、北方行きが困難になったこと……それはただ私が私情で仕組んだことであり、間違っても誰かに八百長などと誹りを受けることになってはいけないわ。

 あなたにも、誰にも、彼の高潔さを汚すことはできない」


「はっ……申し訳ありません」


「……いえ、少し厳しく言い過ぎたわね。

 ゾルガタ様について話す時間もとれなかったわけだし、あの不摂生な見た目ですもの。あなたが誤解するのも無理はない。……続けてちょうだい」


「はい。

 ……襲撃の際、多少の打撲はありましたが現在は治療済みです。そこから今日に至るまで、彼らは特Sクラスの住まいで不自由なく過ごしてもらっています」


「……そう。

 あ、夕飯のメニューは指定したものにしてくれた?」


「はい、毎日揚げ物を二種類欠かさぬようコックに伝えてあります」


「さすが、完璧よ」


 キヨはいたずらっぽくウィンクすると、紫煙を吐き出した。


「それで……ボンダンドール様に例の話はした?」


「はい。

 このまま盗賊に襲われて死んだことにして新たに生き直すか、それともここで本当に死んでもらうか……ですね」


「彼はなんと答えたかしら?」


「それは――」


 ――そのとき、彼が言ったのは。

 記憶した一言一句を思い出そうと、少女は目を瞑った。

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