精進者の羅針。
【ようこそ、ユウキ様 リィナ様】
まだ光が焼き付いた視界に、ダイアログが浮かんでは消えていく。
【ダンジョン名:星々の枢密林
推奨ランク:
現在挑戦者数:2】
【名前:鍋島有希
HP:150/150
魔力:100/100
二つ名:瑠璃色の簒奪者
ランク:A】
【リィナ・アンブラ・アヴェルノ
HP:100/100
魔力:25/25
二つ名:なし
ランク:B】
「――――」
繋いだ手をゆっくりと離して、すぐに自身に強化系魔術を付与する。
こんな至近距離で異世界産の魔術を行使しても、リィナは特に何も疑問に思う様子を見せない。
魔女の驕りゆえ、魔術行使や魔力の気配に疎い……のは事実だが、ダンジョンのスキル発動と魔術行使、その両者の区別が付かないほど似ているからだろう。
――――――――――――――――
・きたああああああ
・もう始まってる!
・聖域だ!
・うおおおおおおおおおお
・聖域初見
・もう敵出てきた?
・リーナーーーーー
・初見です!
・刀使え刀使え刀使え刀使え刀使え刀使え刀使え刀使え刀使え
――――――――――――――――
配信をオンにすると、怒濤の勢いでコメントが流れてくる。
やはり、今日の配信の注目度は最初からかなり高そうだ。
……まあ、そうでなければ困るが。
「ん……ありがと」
リィナに俺の“ツールズ”を渡してから、俺も彼女と同様に辺りを見回す。
――それは、満天の星空だった。
星空のような天井に覆われた空間、と言ったほうが正しいかもしれない。外では感じることのない、奇妙な圧迫感のようなものがある。
いったいどんな材質なのかは不明だが……地面はその夜空を鈍く反射し、そのせいで空と地の境界が曖昧だ。
星々の枢密林、第一層――。
この階層にモンスターは、出ないらしい。
事前情報を過信しているわけではないが、これだけ見通しが良ければとりあえず奇襲の心配はなさそうだ。
「……ユウキ、あれ……」
リィナが指さすあたりに、なにかがふたつ、落ちている。
……これも、事前に調べた通りのものだ。
アイテム名、【
常に進むべき方向を指し示してくれるだけではなく、その磁針蓋を
……そしてもちろん、メリットの裏側には強烈なデメリットが設定されている。
その羅針盤を拾った瞬間、探索者はそれを自らの手で破壊するまで――つまりダンジョンを脱出するまで、「
具体的には、“インベントリ”一つ目のスロットに置かれた武器や杖以外のものにアクセスできなくなるのだ。
入念な準備を嘲笑うかのような効果。
なにも知らずにこの羅針盤を取ってしまった最初の探索者は、「クソゲー!」と叫びながらそれを地面に叩きつけて帰還したという逸話が残っている。
――――――――――――――――
・例 の ア レ
・お、クソゲー!じゃん
・羅針盤くんさぁ……
・???「クソゲー!」
・クソゲー!ほんとすき
・羅針盤不要説
・羅針盤ないほうがクソゲーなんだよなあ……
・羅針盤不要説(徘徊十時間コース)
・あの後亡くなったんだよね……………
――――――――――――――――
……デメリットが知れ渡ってなお、【
いつでも帰還できるという保証は、それほどまでに大きいのだ。
そして無論、俺たちも同様の選択――すなわち、【精進者の羅針】習得の道を選ぶ。
というか、もとより“ツールズ”を持たないリィナは“インベントリ”にアクセスできないし……俺も、まともな武器と言えるのは例の刀一本のみだ。
俺たちにとって、物資制限は大した制限ではないと言えた。
……まあ、単に深刻な準備不足が偶然噛み合った結果とも言えるが……。
「……なんか、骨みたいな触感だな」
「ええ……なんでそんなやな事言うの……」
本当に嫌そうな顔をしつつ、首からその羅針盤をかける。
そのとき――こつ、とリィナの胸元から、なにかとぶつかったような小さな音が聞こえた。
「……そういえば、それって持ち込めるんだな」
「え? ああ……これ?」
リィナが襟から、提げていたペンダントを引っ張り出して俺に見せてくる。
――深緑色の宝石。
それは、ただのアクセサリーではない。
ある種の強力な魔術的防護を施すものだ。
ちなみに、俺も
なんなら着ている服の裏地にも刻んできたのだが、それも魔法陣のみ綺麗に消されている。
そこまで徹底して持ち込みを禁じているのにも関わらず、このペンダントは消えなかった。
……それだけ、これが強力な代物ということだろう。
「ちょ、ちょっと……なに?」
気が付けば。
俺はそのペンダントを、彼女の首に繋がれたまま手に取っている。
……戸惑いと照れ、それから取り繕ったような不機嫌さ。
近くで見る彼女の顔からは、かつてとは違い、幼さの影を見いだすことはもうできない。
……まあ、当たり前か。
このペンダントを渡してから、二年以上の時が流れたのだ。
あの日、俺の仲間になることを決めた少女は……世界を救い、離別を経験し、きっと少しだけ大人になった。
そして反対に……リィナがいま見ている俺の顔には、かつての面影はないのだろう。
「好きな人」だと言って憚らない彼女が、気付けないほどに。
かつて勇者ユウキに刻まれていた、艱難辛苦。
……それを知っているのは、もはや俺の魂だけだ。
「――いたっ!」
ペンダントから手を離して軽く頭を小突くと、リィナは大げさに額を抑えた。
「……なんではたくの、燃やすよ!?」
「いや、すまん、燃やさないでくれ」
『ちゅーしろ』だの『モザイク取れ』だの、囃し立てるコメントについイラッとして……という言い訳を呑み込んで平謝りする。
……あるいは単に、なんとなく気恥ずかしくなったのかもしれなかった。
いずれにせよ、俺らしくもない。
……どうかしている。
ガラにもなく感傷的になっているのか。
あるいは、この星が瞬く不思議な空間がそうさせているのか。
……いや、おそらくはそのどれでもない。
というか、根本はそうじゃない。
もっと単純な話――。
俺は、どうやら疲れているらしかった。
度重なる睡眠不足。
一向に掴めない、謎の少女の真の目的。
それに、昨日は久しぶりにダンジョンに行かなかったとはいえ、学校に行きながら【星々の枢密林】の情報を集めることに終始していた。
結果、積み上げられた疲労によって判断能力が鈍り、合理的な思考が妨げられている。
それが俺の今の状態だ。
「まずいな……」
……よくなさ過ぎる兆候だった。
だが、この時点でそれを自覚できたのは僥倖とも言える。
無自覚に間違いを犯すことと、それを覚悟しながらも間違えてしまうことは全く違う。
どうせなら、後者の方が数段マシというものだ。
……まあ、間違いは間違いではあるんだが。
慎重を期すなら、接敵の可能性がないこの場所で、今すぐ羅針盤を叩き割って帰って寝た方が良い気もするが……ここまで視聴者の期待が高まっている今、それもできない。
「……ねえ、大丈夫?」
俺が本調子ではないことは、どうやらリィナにも伝わっているらしかった。
だが、ここで引き返す選択はない。
舞台は整った。
今この時を逃せば、次はもうないかもしれない。
そんな予感がする。
それに……。
一体どこまで行けば少女がクリア判定を出してくれるかは分からないが……たとえ俺が駄目になっても、リィナがいる。
だからきっとなんとかなる――と思ってしまうのは、俺が元々そういう性格だからか、それともやはり、疲労のせいなのか。
「大丈夫だ。……行こう」
「うん……分かった」
一抹の不安を抱えながら――俺たちは、紫色の光に足を踏み入れる。
第二階層。
およそ半数以上が脱落すると言われる、その場所に行くために。
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