そして、聖域へ。
電車で約四十分ほど。
さらに二十分程度歩いた住宅地に、その民家はあった。
曰く付きの廃屋。
一見した人間のほとんどが、そんな感想を抱くだろう。
あるいは、ホラー映画の撮影セットだろうか。
とにかく、明るい雰囲気はどこにもない。
表札は雨風で劣化し、末尾の「藤」という文字だけがかろうじて読み取れる。
民家をぐるりと取り囲む簡易的な石の塀、その街灯の光が当たる部分には、ラミネート加工された紙が貼られていた。
『危険 無用の立ち入りを禁ず』
それがネットで事前に仕入れた情報と合致することを確認して、俺とリィナは門を通り抜けて玄関の引き戸に手をかける。
その直前――。
「ね、すごいでしょ」
息を潜め、リィナが俺の肩をつついてきた。
振り返ってみると、その表情は誇らしげですらある。
急になんの自慢が始まったんだ、と一瞬訝しんだが、すぐに理解した。
家を出る前にリィナがかけたその魔術によって、民家の周りを彷徨いていた数人――おそらく「ユウキとリィナ」を待ち伏せしていた人間の目に留まることなく、こうして中に入れたことに彼女は胸を張っているのだ。
「ああ、そうだな。助かったよ」
「…………」
「……なんだよ、その不満そうな顔は」
「なんでもないよ。
……そういうつまんないとこも、私の知ってる方のユウキに似てるなって思っただけ」
「その『私の知ってる方のユウキ』ってやつ、基本的に悪口言うときにしか使ってこないよな」
「はあ? 勇者サマは良いところもいっぱいあるんだけど?
たとえば………えっと………まあ……いろいろ……」
「中々出てこないじゃねえか」
スマホのライトを点灯させ、土足で玄関をあがる。
床が軋む。
無人状態に置かれ続けた家屋特有の、無機質に埃っぽい空気。
かつて居間だったであろう部屋を通り過ぎて、風呂場の脱衣所の奥へと進んでいく。
「この家の一番奥、だったっけ。
……これ、床が抜けたりしないよね?」
いかにもホラーな雰囲気にやられていないか心配していたが、リィナは案外平気そうだ。
向こうの世界では夜の墓地などにビビりまくっていたものだが……こういう和製ホラー的な雰囲気は、そもそもピンときてないのかもしれなかった。
突き当たりの、右の部屋。
その和室にそぐわない、白いフレンチウィンドウからは、塗装の剥げた縁側と荒れた庭が見えた。
景観を息苦しいものにしているのは、石垣の前を塞ぐ民家のせいだ。
その薄汚れた外壁のせいで、縁側に立ってもなお、空を見ることは叶わない。
星も月明かりも、差し込むことはない。
それでも明るく見えるのは、縁側の下の敷石に刻まれたポータルの光があるからだった。
よく見ると、石垣にはこう落書きされている――「星々は遠くに輝く!」。
詩的というには情緒が足らず、フレーバーテキストにしてはありきたりすぎる。
この家の住人が書いたものなのか、それとも探索者が書き残したものなのか。
ともかく、それが目的地を――。
俺たちが挑戦するダンジョンの入り口を、確かに示していた。
実のところ――。
そのダンジョンに行くことを最初に決めたのは、俺でもリィナでもない。
前回、リィナのランクが上がった直後くらいからだろうか。
いつの間にかそうなっていた――と言うのが正しい。
いつの間にか、視聴者や他の配信者の間で、俺たちがそこに行くという空気ができていて。
いつの間にか、それが決定事項になっていて。
……そしていつの間にか、リィナがしれっと告知をしていた。
まあ、リィナの告知はともかく、だ。
この不自然さはほとんど間違いなく、例の謎の少女によるものなのだろう。
謎の力でバイト先の社長に働きかけ……俺をあの日、ダンジョンに呼び寄せたように。
その確信が、俺にはあった。
単にそのほうが、「より注目される」からなのか。
それとも、俺にリィナを召喚させたように、このダンジョンに行かせることで、なにか目的があるからなのか――。
思うところはある。
それでも、だ。
「これで、最後だね」
リィナのその言葉に、俺は「ああ」と短く頷く。
これで最後。
これで、リィナは元の世界に帰ることができる。
俺たちは今日ここに至るまで、注目されるための布石を積み上げてきて……そして満を持して、謎の少女がこのダンジョンを指定してきた。
だから、きっとこれで目的は果たせる。
……そうだな。
そう信じよう。
右手がリィナの手に触れる。
彼女が握り返してくるその力を感じながら――俺たちは、誘うように明滅する青い光の中へ、まるで飛び込むように、足を踏み下ろした。
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