憤怒の角持ちに雨が降る。

 ダンジョンを選ぶ際の条件は、いくつかある。


 大前提として、挑戦者が自分たちの他にいないこと。


 それから、敵を探し回る必要がなく、正しい道順というものが存在しない、いわゆるウェーブ型のダンジョンであること。

 

 そしてできることなら、洞窟や地下ではない拓けた空間を持ち――なおかつ、場所が特定されない程度に、これといった特徴のない景色であること。



 だから俺たちは、このダンジョンを選んだ。



【ダンジョン名:緑吹雪の平原

 推奨ランク:C

 現在挑戦者数:2】



 それは人類滅亡後、ゆるやかに人工物が自然に侵食されていくような――。

 

 そんな風景が、そこには広がっていた。

 

「……そろそろか」


 すでに体感にして二十分ほどが経過していた。

 ……俺は森林地帯の奥から、なにかがやってくるのを感じる。

 

 その感覚は果たして“危険探知”によるものなのか、それともダンジョンによるなのか。


 まるで、気圧差による耳鳴りのような感覚のあとに――。

 

『ゴガアアアアアアアアッ!』


 鬱蒼と茂る木々の向こう。

 咆哮をあげて、なにか黒い影がこちらに向かってくる。

 

 素直な軌道。


 回避しても追尾してくることはなく……速さ自体は避けられないほどではない。

 が、その膂力は目を瞠るものがあった。


 木々をなぎ倒し、あたりに点在していた遺跡の一部を破壊し――。

 ようやく止まったが、赤く光る目をこちらに向ける。

 

 異様なまでに筋骨隆々の人間……に見えなくはないが、その頭部を見れば正体は明らかだ。


 

 牛頭の怪物。



 ――ミノタウロスが、そこにいた。


 

《【憤怒の角持ち】

 危険度:B》

 

 

 “ツールズ”を介したダイアログボックスに表示される情報は至ってシンプル。

 ……それでもその危険度を見れば、が俺たちの目当てのものだと分かる。

 

「ここにきて新種か……」

 

 それも、初めてのボス級だ。

 今まではC+級の【サイオンゴブリン】が集団戦を仕掛けてきたり、【ダブルオーク】が手下のペットを引き連れて襲ってきたり。

 

 まあ、B級はかつてない強敵だが……。

 単体であることは、挑発役ギドラにとっては基本的に喜ばしいことだ。


「……あの突進を正面から受けきるのは無理だな」

 

 駆け抜けていった跡が地面に残り、白い煙のようなものが立ちのぼっている。

 ――そこに生じた即席の霧を裂くように、再びミノタウロスが猛進チャージしてきた。


「うおっ……!?」


 寸前のところで躱したものの……としか形容の出来ない感覚が、身体を駆け巡る。


「まさか……」

 

 案の定、視線を上げてステータスを確認するとHPが減っていた。


「いや、絶対当たってねえよ……」


 少なくとも接触した感覚はなかった。

 それに、最初に避けた時と同じくらいには間隔があったとは思うが……。


――――――――――――――――


・ミノタウロスきたあああ

・ミノはまずい

・ユウキガン不利じゃね?

・これダメちゃんが詰んでるの見たわw

・しかも緑色のほうじゃん

・どう戦うか……見物ですなw

・ユウキくんがんばえー!


――――――――――――――――


「…………」


 視聴者はどうにも『ギリギリの戦い』とやらを求めているらしく、おかげで悪趣味な貴族みたいなコメントしか流れてこない。


 攻略法など、誰かが有用な情報を書き込んだ途端に「ネタバレやめろ」などと非難が殺到する雰囲気がいつのまにか醸成されていた。


 ……実に迷惑な話だ。

 これもう殺人教唆だろ。



 ……しかしまあ。

 俺の役割は、倒すことじゃない。

 あくまで、足止めだ。



「――――」



 ぱん、と破裂するような音が辺り一帯に鳴り響く。


 それは、俺の指先から出た魔術――“火球”のちょっとした応用。

 信号弾、あるいは花火……というよりも、空に焼き付ける目印と言った方が正しいか。


 ここに敵襲あり。

 そういう意味を込めた、色とりどりの光だ。


「ゴアアアアアアアアアア!」


 花火に警戒を見せていた様子のミノタウロスだったが、なにも起きないと分かると再び前傾姿勢を取る。


「……そうか。

 お前、気付いていないのか」


 真の脅威が誰なのかを。


 魔法行使の気配を、どうやらこいつは感知できないらしい。

 だったら俺は、デコイの役割を演じ切るだけだ。


 “インベントリ”からデーモンの刀を呼び出す。

 低耐久高火力……だと思われるその刀を、俺はまだ鞘から抜いていないし、いつかそのときが来るまで抜く気もない。


 まさしく伝家の宝刀だ。


「……ッ!」


 引き付けるために、なるべくギリギリで避ける。


 ――瘴気だ。

 突進の瞬間、奴の輪郭を覆っている黒い靄が拡充する。

 それが見た目以上の攻撃範囲を作りだしているのだ。

 

 ……だが、見切ったところで仕舞いだ。


 リィナの魔法がそろそろ発動するはず――。

 そう思っていると、


「古の言葉よ 

 今ここに集い 驚嘆させよ」


 そんな詠唱が、後ろのほうから聞こえてきた。



「あっ……バカ……」


 頭を抱えたくなる。


 わざわざ近づいてきたうえに、全く意味のない詠唱。

 ……どう考えても、ただの演出だった。


 

――――――――――――――――


・詠唱wwww

・魔女要素きたーーーー

・なにこの詠唱は 一生懸命考えたんか?

・かわいい

・雰囲気わりと出てるじゃん

・詠唱パートすき


――――――――――――――――

 

 コメントは盛り上がっている。

 ……というか、盛り上げるためにこんなことをしているのだろう。


 毎回遠くから魔法をぶち込むのも芸がないし、魔女というキャラに求められる要素を自分なりに考えてみたのかもしれない。


 いいぞ、配信者としての自覚が出てきたな。


 ……でもできれば、こんな強敵っぽい奴の時に出さないで欲しかった。

 というかもっと出すタイミングあっただろ、不細工なゴブリンの群れをワンパンで吹き飛ばす前とか。


「未知なる力を垣間見せよ 及ばぬところ無く行き渡らん事を

 私が今ここに詠唱する そしてすべてを叶えよ――」


「――おい、それもう切り上げてもらって良いか!?」


「光は満ちて、待ってあとちょっとだから、すべては円環となる 

 大いなる調和を紡げ!」


「ガアアアアアアアアアアアッ」


 ただならぬ気配を感じたのだろう、リィナの存在に気付いたミノタウロスが、俺の魔弾と火球を無視してリィナの方へ体勢を変える。


 マズい――と一瞬冷や汗をかいたが、突進発動の寸前で詠唱演出が終わったようだ。


「“雷光一掃ヴェントゥノミナ”!!」


 そう叫んだリィナが、白い閃光を真っ直ぐに放ち――。


 そしてそれはミノタウロスの瘴気の前に、あっけなく無効化された。



「……えー。

 ウソでしょ?」


「ゴガアアアアアア!!!」


 大音声をあげて、ミノタウロスが呆然としているリィナに向かって突進していく。


――――――――――――――――


・ユウキが詠唱中に余計なこと言うから!

・「ちょっと待って」さえなければなあ

・ユウキくんさあ……

・まあミノタは魔力耐性すごいし・・・・


――――――――――――――――


 いや完全にリィナが油断してたせいだろ、と思いながらも、俺はミノタウロスに追いつこうと駆け出そうとして――。



「――雷系統って、やっぱり苦手」



 ため息交じりにぼやく声が、はっきりと聞こえて。

 

 

 ――直後に、

 

 そう、それはまさしく闇だ。


 俺の頭上にも降り注ぐそれは、雨よりも大きな雫で、そして陰鬱だった。

 

 俺とリィナのちょうど間の距離を駆けようとしていたミノタウロスが、その超局所的豪雨とでも呼ぶべき闇に降られて、動きを鈍くする。


 【終わりに降る闇雨】。

 

 一定範囲に存在するものの鈍化と脆弱化という、特に対多において無類の強さを誇る固有魔法だ。


 それこそが、配信において初めて見せる――闇の魔女アンブレラ・ウィッチ、リィナの真骨頂だった。

 

 

「……いいのかな、こんな配信映えしないやり方で。

 まあ、仕方ないか」


 いつの間にか黒い傘を差しているリィナが、あと一歩というところで完全に動きを止めたミノタウロスに近づいていく。

 

 それから傘を閉じて、その先端を奴の胸に突きつけた。


「……あ、ごめんユウキ。

 そのうち動けるようになるから安心して」


 ミノタウロスの肩越しに、黒髪の少女は俺にそう告げてから、


「えい」


 という緊張感のないかけ声と共に、傘でその胸を背中まで貫く。

 

 

 悲鳴も咆哮も上がらない。

 青白い光だけが証明する、静かな死だ。



 俺は、まるで石になったかのように動かない身体をもどかしく思いながら――その表示を見る。

 



【リィナ・アンブラ・アヴェルノ

 HP:100/100

 魔力:25/25

 二つ名:なし

 ランク:B】



 これで、推奨Bランク以上のダンジョンに入るための条件は満たした。

 

 ……まだなにが決まったわけでもないが、ひとつ肩の荷が下りた気がする。

 

 あともう一息。

 

 もうすぐ、俺はリィナを異世界に帰してあげることができる。

 

 ……そのはずだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る