七秒の剣閃、最善の一手。


 その眼窩は深く陥没し、緑色の瞳がまるで魂を吸い取るかのように虚ろに光っていた。


 特徴的なのは大きく開いた顎骨と、その頭頂付近だ。そこからは鋭く湾曲した黒い角が何本も生えており、まさに悪魔デーモンのような牙を形作っている。

 

 ただし、その身体は俺が異世界で相手にしたようなデーモンとはかけ離れていた。


 その偉丈夫じみた人型の体格は、見るからに硬質な血赤色の甲殻に覆われている。

 さらに特筆すべきは、その腰あたりに下げた刀だろう。赤い鞘に収まったそれは、抜かずとも禍々しさをこちらに伝えてくる。

 


――――――――――――――――


・こっっわ 

・死にゲーのボスだろこれ

・急にフロムゲー始まった?

・逃げろ!

・さすがに逃げの一択でしょこれ

・いやイベント型のダンジョンだから逃げるのは無理

・俺ならおしっこ漏らして土下座するけど、ユウキはどうする?


――――――――――――――――


「……だめだ、ロクなコメントが流れて来ねえ」


 鞘に収まった刀に手をかけたデーモンと見合いながら、俺は思わずそう呟いた。


 ……とはいえ、ここまで有益な情報がないということは、このモンスターも一般的なダンジョンに出てくるものではないということか。


『たぶん刀を使った攻撃が来るぞ!』というしょうもないコメントを目にしたそのとき、デーモンが動いた。


「――ッ」


 瞬間。

 赤い光の筋が、俺の眼前を切り裂いた。


「疾ッ……!」


 彼我の距離は三メートル弱はあったはずだが、いつ詰められたのか目で捉えることができなかった。


「居合い斬りってやつか……」


 踏み込みから詰め切るまでが、恐ろしく速い。

 あと一瞬でも跳躍が遅ければ、真っ二つにされていただろう。

 

 デーモンは再び刀を鞘に収め、構えの姿勢を取っている。


 一撃で分かる。

 あれは、この現実の剣術じゃない。

 ……明らかに不自然。超常的だ。


「だったら――」


 俺はデーモンから視線を外さぬまま、バック走の要領で距離を取る。

 拓けた焦土から逃れて木々の間に逃げ込むが、奴は追いかけてこない。刀に手をかけた姿勢で、ぴくりとも動かないままだ。


「ってことは、予想通りか……!」


 口から漏れた言葉を裏付ける剣戟が、その巨躯と共に振り下ろされた。

 俺の正面にあった木が代わりに斬られ、パキパキと周囲の枝を巻き込んで倒れる。

 

 おそらく……瞬間移動に近いか、それそのものなのだろう。

 全力で走って逃げた程度では無駄だということだ。


「せめて、こっちも武器があればな……」


 フィールドに落ちている物体は、枝も石も土も武器として利用できない。


 剣の打ち合いならまだ勝機はあるが、素手で得物を持った相手と戦うのは無理だ。

 それに、現実世界ならまだしも――HPを削られればあっけなくゲームオーバーというダンジョンの法則の支配下に置かれた今、正面対決の線はハナから捨てるしかないだろう。


 空振ったデーモンは、再び静止して同じ構えを取る。

 二度も避けられたことに対する苛立ちは、一切見えない。


 それはまるで極致に達した剣の達人のようでもあり、同じ動作を繰り返す機械のようにも見えた。


「やっぱ、見えねえな……!」


 三度目の剣閃を躱す。

 

 危険察知のおかげで今のところなんとか回避できているが、本能にただ従うだけの行動はいずれ騙され、間違いを起こすと決まっている。


 見切るのが不可能なら、どこかで攻撃に転じて奴を倒す他ないが……。


「……ま、効かないよな」


 不可視のはずの魔弾が、刀に斬られてあえなく弾かれる。


 居合いの構えは単なる予備動作じゃない。

 あれ自体が結界、領域なのだ。


 ――四度目の一閃。


「ったく、それしかねえのかよ……!」


 吐いた悪態はつまり、「頼むからそれ以外をやってくれ、強すぎるから」という懇願の裏返しでもある。

 

 

 構えてからきっかり七秒後に放たれる、首元を狙った、下から掬い上げるような斜め斬り。

 物理的な距離を一切無視して自分の領域を押しつける踏み込み。


 木を壁にするか、さらに障害物の多い地形に誘導すれば……いや、おそらくそれすらも無駄だろう。


 構えた瞬間に、斬るという結果が確定している。

 あれは、そういう類いのチート剣術だ。

 

 ――七秒。


「……ッ!」


 なんとか躱せはしたが、ひやりとした感覚が足先にあった。

 ……避けきれなくなってきている。


 どうやら構えから斬撃までの秒数は一定なようだ。

 ……しかしまあ、たとえ正確な秒数で放たれる剣閃であっても、直前で避けるのは至難の業だが。

 

「ふー…………」


 鼓動が早い。

 絶望的な状況に、恐怖が心を染め上げようとしてくる。

 

 デーモンが、刀に手をかけた。

 

 絶対の居合い斬り。

 何度でも、それは繰り返されるのだろう。

 俺を、ここで仕留めるまで。

 


「――よん」

 

 武器はない。

 魔術をまともに練ることもできない。

 

「――さん」


 敵は強大で、俺なんかよりよほど強い。

 ここは謎のダンジョンで、罠に嵌める気としか思えないシチュエーションで俺は誘き出されていて、そして、まんまとこうして死にかけている。


「――に」

 

 

 それでも――。

 それが諦める理由には、ならない。


 俺は歩き続けた。

 あの世界で、なにがあっても進もうとし続けた。


 ――それは、今もそうだ。


 なぜだか分からないが、俺の心に灯った火は、こんなことでは消えない。


 前に進み続けろと、力強く、不規則に揺らぎながら俺のすべてを照らし続けている――。


「――いちッ」


 全神経を集中して、繰り出される赤い一筋の光を最小限の動きで避ける。


 俺は脱いだシャツをねじり、ありったけの魔力を使って強化魔術を付与したそれを、デーモンのがら空きの首筋に振り下ろした――。

 

 


 静寂。



 

 

 世界の全てが速度を落としたように、俺には見えた。

 

 

 間違っていなかったと、思う。


 人型の魔物は、理屈でいえば初見で対処がしやすい部類だ。

 なにせ、何の情報がなくても頭――ひいては首という弱点がむき出しでそこにあるのだから。

 

 そして攻撃が来るそのタイミングこそが、俺に残された最大のチャンスだった。

 

 ……俺が利用できる唯一の物体である衣服を使うアイディアも、決して悪くはなかったと思う。

 元はただの布といえど、あそこまで強化すれば純粋な魔力に限りなく近い。攻撃力に関しては全く問題はないはずだ。

 

 

 

 ――

 

 

 ひとえに奴の、血のように赤い外殻が硬すぎたのだ。

 

 

 シャツだったその物体が、魔力光ルミナスからやがて破壊エフェクトとなって砕け散るのを、俺はただ見ている。





「――くそが」





 返す刀。


 デーモンが、俺の身体を斬った。

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