窮地のボスラッシュ。
――配信開始から一時間半が経過した。
体力にはまだ余裕がある。
……というか、ありすぎる。
いくら身体強化をしているとはいえ、ここまでの戦闘回数を考慮すればこの疲労感のなさは異常だ。
恐らくだが、これもダンジョン効果なのだろう。
疲労感に留まらず、喉の渇きや空腹感などの生理的な欲求も抑制されている上に、攻撃を受けても痛みを感じる代わりにHPが減る。
……そういうところを含め、やはり現実感がない。
どこまでもリアルなゲーム。
俺のダンジョンに対する印象は、最初から一貫してその一言に尽きた。
「――だからって、ボスラッシュまで実装しなくていいだろ……!」
配信開始から一時間半。
四方八方から大量に湧いて出てくるモンスターを相手に、俺は森の中を駆け回っていた。
迫り来る相手は白い犬、歩くキノコ、カラスに似た凶暴な鳥……などなど、これまで遭遇したモンスターの詰め合わせセットである。
……いくらなんでも、この拓けた場所ではこちらの分が悪すぎる。
せめて木々の密集地帯に場所を変えたいが……。
『ガアッ!!』
空からの奇襲。
飛んでくるカラスもどきを、俺は横飛びで避けた――が、その一瞬のロスを見逃さず、今度は白い犬が距離を詰めて飛び込んでくる。
「――くっ!」
その横っ面に、魔力を纏わせた拳をたたき込む。
吹き飛ぶ白犬の躯が、地面にバウンドする前に光となって消えた。
……できればやりたくなかった攻撃手段だ。
恐れていた通り、視界下部に表示しているHPが20ほど減っている。
ダンジョンで武器を使えば摩耗していくように、自分の身体を武器として消耗した、という扱いなのだろう。
「やっぱ武器ないとキツすぎるって……!」
地面を転がり、膝をついて
指先の狙いはほとんど勘に近かったが、“射手の目”による補正は強力だ。
外しはしない。
が、カラスめいたモンスターは断末魔をあげる一方で、白犬はわずかに動きを鈍らせただけだった。
おそらく、魔力耐性が高いのだろう。リスクを取って物理で攻撃しろ、というのが想定された攻略法なのだ。
「いや、バランスおかしいだろ……!
だったら武器も、ドロップするように、しろ、よッ」
ステップを踏むように奴らの爪と牙を避け、魔弾を連射する。
五発ほどあてて、ようやく犬の一匹が沈んだ。
残るは数匹。
さらにその後ろからは、大量のキノコが一生懸命走ってきている。
それを見た視聴者からの『かわい~!』というコメントが目の端に映って殺意が湧くが。
「あぶねっ……!」
鼻先を、白犬の赤黒い爪が掠めていく。
……よくない傾向だった。
スタミナはともかく、集中力が切れてきている。おそらく、魔力の残量が半分を切ったせいもあるのだろう。
集中力が切れると雑念が湧く。
雑念は恐怖と諦念を呼び起こし、立ち向かう意志を刈り取ってしまう。
だが、あと一息。
ボスラッシュまで来たのだ。あともう少しで、このダンジョンは終わる。
根拠はほとんどなかったが、そう信じて心を奮い立たせる。
攻撃に転じる前に一度大きく距離を取って、“身体強化”を飽和値まで重ねがけた。
「――ふッ」
さらに、
余計なことを考えられないくらいに。
木々に逃げ込むのは諦めて、白犬の群れへと走り出す。
飛び込んでくる犬のすぐ横を、スライディングしながら――。
「切り裂けッ――!」
俺は、握り込んだ右手に力を込める。
その手には、もちろんなにも持っていない。
【石斧】はとうに使い果たし、ドロップアイテムもない。
フィールドに落ちている石や枝は、持っただけで消滅してしまう。
けれど、武器は確かにここにある。
……そのはずだと、俺は信じた。
口にした「切り裂け」という言葉は、自身への鼓舞である。ぶっちゃけ心情としては「切り裂けるといいな~~~」くらいのものだ。
イメージするのは、短刀。
肉を裂き、骨を両断する鋭利な刃物。
俺は、それが欲しかった。
「ぉおおおッ……!」
果たして――。
その開いた口元から首にかけて、手に持った魔力が歪に切り裂いていく。
うまくいった、という喜びを押し殺して、うまくいって当然、に変換する。
斬り捨て、次の一匹の背に刺し、また一匹を斬った。
最後の一匹――まだかろうじて形を残している短刀に無理矢理魔力を注ぎ込み、その頭蓋に叩きつける。
骨が砕ける音。
悲鳴のような音――。
霧散した魔力はもう形をとることはなく、空間へと止めどなく流出していった。
「――はあっ、はあっ……!」
――脳が痺れるような感覚。
酸欠のような感覚に、しばし喘ぐ。
魔力を形あるものとして体外に留めておくのは、相当な技術が必要だ。
……そして悲しいことに、それは俺がもっとも不得意とする分野である。
魔力の流出が止まらない。
まるで穴の空いた風船だ。
「やっぱり、こうなる、か……」
未熟な魔術師が、なんの補助もなく過ぎた
一度与えられた意味を失った魔力が、再び形をとろうと藻掻く。
止めようにも、魔力の止め方など知らない。
そんな芸当ができるなら、そもそも魔力で武器を作ったくらいでこうはなっていない。
急激な魔力喪失が、意識を混濁させていく。
――だが、膝をつくには早い。
まだボスラッシュの最中だ。
第二波がすぐにでもやってきてしまう。
俺は流出する魔力に、なんとかもう一度意味を与えようと手を広げた。
「――炎、を……ッ!」
“火球”も“炎華”も望まない。
どうせもう、そこまでの制御はできない。
ただこの胸にまだ灯る熱で、敵を焼き尽くしたいと願った。
大昔。
かつて異世界で、魔法を初めて使った誰かがそう願ったように。
そして異世界で、死地に立たされた俺が何度もそう願ったように。
身体から無意味に失われる魔力に、技術も制御もへったくれもなく、ただ願う。
「――ちなみに、これは」
揺らめく橙の光。
陽炎となっていくモンスターをぼんやりとした視界で感じながら、俺は忘れず視聴者へ言い訳を口にする。
「瑠璃蜘蛛を討伐して得た能力、です……」
敵を倒し尽くせたのか、もう自分が立っているのかどうかも分からない。
揺らぐ景色を見つめ、『え、今!?』『今それ言う必要ある!?』『そんな場合か!?』というコメントを視界に入れながら。
……俺はまだ、意識を保とうと気力を奮い立たせている。
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