好きで卑屈な性格になったわけでもないのに、咎められるからますます卑屈になっていく。

エリー.ファー

好きで卑屈な性格になったわけでもないのに、咎められるからますます卑屈になっていく。

 バイト先からの帰宅途中。

 私は卑屈だった。

 正確には常に卑屈である。

 バイト先からの帰宅途中でも。帰宅完了時でも。未帰宅でも。それこそバイト中であったとしても。

 卑屈な性格を咎められた。

 よくあることである。

 好きで卑屈な性格になったわけでもないのだ。

 なのに、無理矢理話題の中心にされて、気が付けば卑屈さはより色濃くなるばかりである。

 どう生きれば卑屈さを捨てきることができるのかと考えたが、諦めた。

 私は私なのだ。

 周りの人間には申し訳ないが、この卑屈さを捨てる予定はない。

 卑屈さがアイデンティティになっている、という考え方をしているのではないかと疑われたが大きな間違いだ。

 私の場合は。

 あくまで私のケースでは、という所になるのだが。

 卑屈、という生き方が甘美なのである。

 深海に向かって落ちていく絶望感。

 ダウナー。

 心が死に近づいていく一瞬。

 もちろん、人によっては避けたい感覚かもしれない。しかし、私にとっては異常なくらいに心地よく、とても楽しいのだ。

 別に卑屈だからといって自殺する気もない。

 あくまで卑屈というだけだ。

 どうして、そんなに卑屈でいてはならないのだろうか。卑屈というものを悪く定義するのは一種の宗教のようにも思える。

 卑屈であるおかげで、安全圏にいられるし、ここまで生きて来られたのだろうし、より存在を認識してもらいやすいのだ。

 携帯が鳴る。

 母からだった。

「もしもし」

「あー、もしもし。お母さんなんだけどさぁ。牛乳を二本、買ってきてよ。帰ってくる前に、どうせあんたスーパー寄るんでしょ。あの角のところのスーパー」

「あぁ、今日は寄る予定はないよ。特にお菓子とか買わないで帰るつもりだったから」

「あらっ、何言ってんの。じゃあ、寄りなさい。すぐに寄りなさいよ。牛乳がないと夕飯ができないんだから。ねっ、分かったでしょ。早く牛乳を買って来なさい」

「本当に、寄る予定はないけど、分かった、行くよ」

「え、何それ。お母さんが悪いみたいじゃない。なんか、あんたのことを無理やりスーパーに寄らせてるみたいじゃない」

「みたいじゃなくて、実際そうだよ」

「あら、そうなの。ねぇ、あんたはちゃんと意見が言えるようになって偉いねぇ。本当に、昔なんか自分の意見を全然言わないから困ったもんだけど」

「うるさいなぁ。寄るよ。寄ればいいんでしょ」

「そう、寄って買ってきて頂戴」

「牛乳を二本だよね」

「そう、二本。賞味期限が先で、安いやつね」

「はいはい」

「じゃあ、お母さんは夕飯を作るので忙しいから切るね。じゃあね。いいね、もう切るよ」

 むしろ、こっちから切った。

 今の会話を思い出しても。

 私という生き物は、卑屈な喋り方と行動をしているだけで別に卑屈そのものではなかったような気がする。

 自分の意見は伝えているし、許容できるからスーパーに行くのであるし。

 私は本当に卑屈なのだろうか。

 卑屈という定義に厳しい人間が数多くいる、というだけなのではないだろうか。

 私はスーパーに寄って牛乳を二本買って、家に帰る。

 当然、自分の意思である。

 卑屈ではない。

 卑屈を毛嫌いする人たちは、卑屈という性格に親でも殺されたのだろうか。

 非常に気になるところである。

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